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1811(文化8)年 〈ゴローニン事件〉★

2016-12-03 | 『新日本史頻出年代暗記』

▲ゴローニン

●江戸時代(光格天皇 徳川家斉) 
Golovnin, captain of the Rissian naval vessel Dianna, is captured and imprisoned by the Japanese while surveying the Kuril Islands.
人(ひと)灰色の 牢にいた。
           1811年 箱館   ゴローニン  高田屋嘉兵衛

1804年に通商を求める目的で来日したレザノフは通商を拒否されると、ロシア軍人を雇い、択捉島や樺太を略奪。

1811年、ロシア艦長ゴローニンは千島列島を測量中、捕らえられ、箱館に監禁された。

ロシアは翌年、択捉場所請負人高田屋嘉兵衛を抑留、ゴローニンは送還された嘉兵衛の尽力で釈放(ゴローニン事件)。ゴローニンは拘留中に『日本幽囚記』を書いた。

高田屋嘉兵衛

 

高行楽連れのこへかへ五郎。

(大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう))(ラクスマン)(津太夫(つだゆう)・ザノフ)(ゴローウニン・高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ))

 

[句意]高校大学で楽(らく)して勉強しない人には、疲れる(就職)浪人のカベがある、という句。「疲れる」はゴロのためやや苦しいが、(つだれる)と読んで下さい。ラクスマン→レザノフ→ゴローニンの順が分かればよいと思うので、「れ」だけで「レザノフ」の再現をお願いします。

 

[ポイント]
1.大黒屋光太夫ラクスマンに、津太夫レザノフに送還され、高田屋嘉兵衛ゴローウニンと交換された。

[解説]
1.ラクスマンは、1792年、女帝エカチェリーナ2世の命により伊勢の船員大黒屋光太夫(1751~1828)ら3名の送還と通商要求のため、根室に来航した。老中松平定信は、ラクスマンに対して、長崎入港許可証を交付して退去させた。桂川甫周(かつらがわほしゅう)が大黒屋光太夫から聴取して著した漂流記が『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』。


2.レザノフは、1804年、仙台の船員津太夫(1744~1814)ら漂流民4人を送って、ラクスマンが受けた長崎入港許可証を持参して来航。アレクサンドル1世の国書により通商を要求したが、幕府は拒否。帰路レザノフは、報復と威嚇のため、部下に樺太・千島を攻撃させた。

 なお津太夫らは1793年に石巻から江戸に向かう途中で漂流、翌年ロシア人に助けられ、シベリアから陸路ヨーロッパに出、大西洋から太平洋を通って1804年に帰国。彼らは結果として、日本人初の世界一周を成し遂げたことになる。江戸で取り調べにあった大槻玄沢(おおつきげんたく)により『環海異聞(かんかいいぶん)』が書かれた。

3.ゴローウニンは、1811年、レザノフ事件の報復として国後島で日本側に捕らえられた。ロシアはその報復として淡路商人高田屋嘉兵衛(1769~1827)を捕らえる。翌年嘉兵衛の努力などで両者の交換が実現。ゴローウニンはこの経験を帰国後『日本幽囚記(にほんゆうしゅうき)』に著す。

 

〈2016明大・文

問4 史料Aの政策が出された時期に関連して、18世紀末から19世紀前半の政治・社会についての説明として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
 1 ロシア使節ラクスマンが根室に来航し、漂流民高田屋嘉兵衛を届けるとともに通商を求めた。
 2 幕府は朱子学を正学とし、湯島聖堂の学問所で朱子学以外の講義や研究を禁じた。
 3 幕府は林子平が『三国通覧図説』で海岸防備を説いたことを幕政批判とみて弾圧した。
 4 幕府は近藤重蔵・最上徳内らに択捉島を調査させ、「大日本恵登呂府」の標柱を立てさせた。」

(答:1×高田屋嘉兵衛→大黒屋光太夫)〉


〈2016早大・政経

【史料】大槻平次上書
 私義、昔年[ 1 ]を編著仕候大槻玄沢と申者次男に御座候所、魯西亜国の義は、……文化年中、3レサノツト〔レザノフ〕え論文御渡し……。(後略)

問1 空欄1に入るものはどれか。


 a『環海異聞』  b『采覧異言』

 c『新訂万国全図』 
 d『航海遠略策』 e『辺要分界図考』 

問3 下線部3レサノツト〔レザノフ〕についての記述として誤っているものはどれか。


 aフィンランド湾から大西洋を渡り、アメリカ大陸南端を通過、ハワイを経由してカムチャッカに至る大航海を経て日本に到達した。

 b長崎に来航し、通商を求めた。
 c津太夫らの日本人漂流民を送還したが、幕府はその受け入れを拒否した。
 d幕府に要求を拒絶された報復として、帰路、樺太や択捉島などの日本人入植地を攻撃した。
 eロシアの宮廷につかえ、また、露領アメリカ会社の総支配人でもあった。」

(答:問1a、問3c×送還はやや時期が長引いたが実現した)〉


〈2013早大・政経

問1 日露和親条約の締結に至るまで、当該地域で生じた出来事で、正しいものはどれか。

 ア)ラクスマンが、アレクサンドル1世の命を受け、津太夫らを伴い根室に来航した。

 イ)日露和親条約で、日本は南樺太を領有し、同地域は松前藩の直轄地となった。
 ウ)19世紀になって、幕府は樺太探索のために最上徳内を送った。
 エ)蝦夷地御用の近藤重蔵が「大日本恵登呂府」の標柱を立て、幕府が同地を直轄とした。
 オ)千島列島を測量中にとらわれたゴローニンの釈放に、大黒屋光太夫が尽力した。」

(答:エ ※ア×エカチェリーナ2世の命、津太夫ではなく大黒屋光太夫、イ×蝦夷地の大部分を幕府に召し上げられ(幕府直轄)、渡島半島南西部だけを領地とするようになった、ウ×探検は1786年、オ×高田屋嘉兵衛が尽力)〉


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