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日本之下層社会 

2017-09-15 | 生物暗記法

いや危機日本 源之助。

横山源之助)(日本之下層社会)(1899


[ポイント]

1.横山源之助は、1899年、『日本之下層社会』を出版した。

[解説]

1.横山源之助(1871~1915)は毎日新聞(現毎日新聞社とは別会社)記者。実態調査を3年間行って、『日本之下層社会』を1899(明治32)年刊行。「東京の貧民・職人社会・手工業・機械工場・小作人の生活」の五部構成。当時の労働者の劣悪な状況をつぶさに示した。「職工の境遇にして憐れむべきものを挙ぐれば製糸職工第一たるべし」として当時の製糸女工の労働時間が18時間にも及ぶことを報告している。

2.横山は農商務省嘱託(しょくたく)として『職工事情』調査にも参加している。


2016慶大・経済B方式

問10 下線部Cに関連して、工場法とそれが制定された背景に関する次の1~4の文章の中から、誤りを含むものを1つ選べ。

 1 横山源之助の『日本之下層社会』や農商務省がまとめた『職工事情』には女工などの劣悪な労働条件が示された。

 2 高野房太郎・片山潜らによる労働組合期成会や、鉄工組合・日本鉄道矯正会などが組織され、労働運動が高まった。
 3 工場法は、第2次桂太郎内閣の時に公布されたが、それが施行された年は公布された年の5年後であった。
 4 工場法は、工場の規模、労働者の性別・年齢にかかわらず、労働時間に制限を設定した。」

(答:4× ※少年・女性の就業時間の限度を12時間とし、その深夜業を禁止した。適用範囲は15人以上を使用する工場に限られ、製糸業などに14時間労働、紡績業に期限つきで深夜業を認めていた。)〉



2014立大・現代心理(映像身体)・社会・コミュ福祉(福祉)

4.これ(労働者は、過酷な労働条件のもと、低賃金と長時間労働を強いられた)に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。

 a.賀川豊彦は、都市下層社会への探訪や労働者の生活状況の調査をおこない、『日本之下層社会』を著した

 b.鉱山や土木工事の現場では、納屋頭が労働者を納屋に収容し、その生活まで管理する納屋制度が存在していた
 c.雑誌『日本人』が高島炭鉱の賃金労働者の劣悪な労働条件の実態を報じ、社会問題化した
 d.東京や大阪のような大都市では、下層民が集中して住む貧民窟が多数出現した」

(答:a×賀川豊彦→横山源之助)〉

2013立大・法済異文化

問10.この調査(壮丁教育調査)によると、明治末期から大正前期にかけて卒業率がもっとも停滞するのは地方より東京などの都市部であることがわかっている。その要因の一部は、『日本之下層社会』に描かれているような都市の貧困問題にあるといわれているが、この著者は誰か。その名をしるせ。」

(答:横山源之助)〉

2012慶大・商A方式:「

問2 下線部(コ)地主と小作人の経済格差は拡大してについて、1899年に刊行された、東京の下層労働者や小作人の実態を調査して、社会のひずみを訴えた著書『日本之下層社会』を著した人物の名前を漢字で書きなさい。」

(答:横山源之助)〉

 

引くお産ノー 事情あり。

(農商務省)(情)(1903


[ポイント]

1.農商務省は、1903年に、『職工事情』を刊行。

[解説]

1.『職工事情』は政府(農商務省商工局)による実態調査で1903(明治36)年刊。全国の工場労働者の劣悪な実態を1900年から調査した報告書。工場法立案の基礎資料となった。5巻のうち2巻が聞き書き調査。そこから寄宿舎生活の恐るべき実態が見えてくるが、官製報告ゆえに、実態はもっとヒドイと考えるべきもの。これには同省嘱託横山源之助をはじめ各方面の専門家が協力している。

 

2016立教大・文:「
問7.これ(農商務省)に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。

 a.駒場農学校を開設した

 b.第1回内国勧業博覧会を|釧崔した
 c.地方改良連動の中心的な担い于となった
 d.労働者の状態を調査した『職工事情』をまとめた」

(答:d)〉


2016慶大・経済B方式

問10 下線部C労働環境は過酷に関連して、工場法とそれが制定された背景に関する次の1~4の文章の中から、誤りを含むものを1つ選べ。

 1 横山源之助の『日本之下層社会』や農商務省がまとめた『職工事情』には女工などの劣悪な労働条件が示された。

 2 高野房太郎・片山潜らによる労働組合期成会や、鉄工組合・日本鉄道矯正会などが組織され、労働運動が高まった。
 3 工場法は、第2次桂太郎内閣の時に公布されたが、それが施行された年は公布された年の5年後であった。
 4 工場法は、工場の規模、労働者の性別・年齢にかかわらず、労働時間に制限を設定した。」

(答:4×少年・女性の就業時間の限度を12時間とし、その深夜業を禁止した。適用範囲は15人以上を使用する工場に限られ、製糸業などに14時間労働、紡績業に期限つきで深夜業を認めていた。)


2014立大・現代心理(映像身体)・社会・コミュ福祉(福祉)

 この時期の花形産業は繊維産業であったが、紡績工場や製糸工場の労働者の多くは、女工であった。その労働は過酷であり、農商務省が調査してまとめた『( ホ )』(1903年)には、紡績工場では二交代制の昼夜業がおこなわれ、昼の勤務時間は午前6時から午後6時まで、夜は午後6時から翌朝の6時20分までという12時間以上におよび、それぞれ朝・昼・夜食の時間が15分与えられるのみという実態が報告されている。休日・休憩時間が少ないうえに不衛生な労働環境のもと、過労で呼吸器病・消化器病などさまぎまな病に倒れる者も多かった。」

(答:ホ.職工事情)

女工哀史

ひどくニッコリ細女。工


細井和喜蔵(ほそいわきぞう))(1925)(女工哀史


[句意](私は)クニ子という細身の女工を愛した、という句。なぜ細身か?って。それは劣悪な労働環境・低賃金でろくなものも食べていないから。


[ポイント]

1.細井和喜蔵は、1925年、『女工哀史』を出す。

[解説]

1.女工哀史(1925(大正14)年刊)は、小説家細井和喜蔵(1897~1925)著。細井は幼くして肉親を失い小学校中退で紡績工場で働く。労働運動に参加し『種蒔く人』に小説などを発表。同書は記録文学で、紡績女工の低賃金、長時間労働、劣悪な労働環境を詳述している。

 

2014立大・現代心理(映像身体)・社会・コミュ福祉(福祉):「
問3.これ(女工)に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。

 a.甲府の雨宮製糸工場の女工たちは、日本最初の工場ストライキを起こした

 b.諏訪製糸同盟は、工女登録制度をつくった
 c.高野房太郎は『女工哀史』を著し、紡績女工の過酷な労働実態を明らかにした
 d.1900年頃の工場労働者の約6割が繊維産業で働いており、その大部分は女性であった」

(答:c)〉


2013立大・法済異文化

問11.1925年に改造社から刊行されたこの著作(当時の工場労働者の実状を描いた細井和喜蔵の著作)は何か。その名をしるせ。」

(答:女工哀史)〉

 

2011明大・全学部

問3 下線部(ウ)資本家が労働時間を増大させたり賃金の引上げを抑制したりするなどの労働強化に関連し,労働者の苦しい労働状況を記した書とその著者の組み合わせとして正しいものはどれか。次のA~Dから一つ選べ。

 A『職工事情』-片山潜
 B『女工哀史』-細井和喜蔵

 C『妾の半生涯』-景山(福田)英子
 D『日本之下層社会』-髙野房太郎


(答:B ※cは内容が正しくない)


コメント
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