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奥利根紀行

2020-05-08 | 『増鏡』の作者と成立年代(2020)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 5月 8日(金)22時29分9秒

>筆綾丸さん
>国会図書館の遠隔複写サービス
コロナ軍の急襲に際し、しんがりを務めるくらいの気概があるのかと思ったら、真っ先に降参してしまいましたね。

今日は渋川市に所用があったついでに、同地の天台宗の名刹、真光寺に参詣してみました。


そして、あまりに天気が良かったので吾妻川と利根川の合流地点にある白井城址まで行くと、今度は利根川を遡ってみたくなり、いつもの17号ではなく、利根川東岸の宮田不動尊・沼尾川親水公園・棚下不動を経て、ところどころ極端に細くなる山道を沼田までドライブしてきました。
雪解けの利根川の水は蒼く輝き、沼田城址はツツジが満開で、なかなか良い気分転換になりました。
ずいぶん長く投稿を休んでしまいましたが、また、明日からボチボチ書いて行きます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

戦後余話 2020/05/06(水) 16:19:27
小太郎さん
国会図書館の遠隔複写サービスくらいは、文化国家として、非常時における最低限の仕事だと思いますが、もう、なりふりかまわぬ心慌意乱ですね。

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「古暦」というのは三成が秀吉の死後剃髪して名乗っていた入道名である。(前掲書120頁)
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恥ずかしながら、三成が剃髪していたことも、入道名が古暦ということも、知りませんでした。
年が変われば、普通、古暦は不要になりますが、三成の場合、秀吉の死(慶長3年8月18日)から自身の処刑(慶長5年10月1日)まで、実に2年以上も有効に機能した、というのは歴史の皮肉です。
古暦が冬の季語として定着した年代は不明ですが、
服部嵐雪の、
古暦ほしき人には参らせん
は、案外、三成への追善供養なのかもしれず、祥月命日が初冬の朔日というのも平仄が合います。
六条河原で斬首された敗北者(三成、行長、恵瓊)のうち、禿頭は二人で、このような打ち首を晒すときは、両耳を掴んで持ち上げるのだろうか、と思いました。
また、行長はクリスチャンなので、斬首された三人の最大公約数は形式的には宗教だ、と云えなくもないですね。
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