>筆綾丸さん
憲法を真面目に学ぼうとする人の多くが最初に躓くのはおそらく「主権」概念で、歴史的展開も非常に複雑ですね。
基本的には憲法(と国際法)の世界では主権は国家の最高独立性を意味するので、丸島氏の<戦国大名をひとつの「主権的な国家」、日本国に対する「下位国家」として把握する>といった表現は、法学部出身者にはものすごく抵抗があります。
主権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E6%A8%A9
主権国家体制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E6%A8%A9%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%BD%93%E5%88%B6
上記のウィキペディアの記述には独自研究の部分もありそうですが、一応の理解には役立ちます。
戦国大名の研究者も、国家とは何かを考える上で憲法と国際法の議論は参考にしているものと思いますが、一般書という制約のためか、丸島氏の著書には言及はなく、黒田基樹氏の『百姓から見た戦国大名』にもなさそうですね。未読ですが。
いっそのこと戦国期には上位国家の「日本国」はなかった、最高独立性を持つ「地域国家」が分立していただけ、とすれば目茶目茶すっきりする話ですが、そのように言っている研究者はいないんですかね。
それと、丸島氏の議論では、
国家→外交
が自明の前提になっているような感じもしますが、これは決して自明ではないですね。
例えばシリアでは反体制派を集めてアサド政権に対抗できるだけの組織を作り、それを諸外国が「国家」として承認してアサド政権をつぶそうという動きがありましたが、これなどは
外交→国家
ですね。
外交を担えるだけの組織体だから国家だ、という見方は別に近代になって突然生まれたものではなく、むしろ歴史的にはそれが当たり前ではないかと思います。
東アジアだと中国の王朝が、周辺からやってくる有象無象の集団の代表者から事情聴取して、おまえのところはなかなかしっかりしているから外交相手として認めてあげよう、「国家」として承認してあげよう、みたいな感じじゃないですかね。
戦国期だとヨーロッパから来た宣教師は日本のいろんな集団を観察した上で、天皇を相手にしても無駄、室町幕府の将軍を相手にしても埒があかない、「外交」の相手として意味があるのは戦国大名だけ、だからこれが「国家」でしょう、と判断したのではないか。
丸島氏の挙げる第三の理由、「ポルトガル宣教師の視点」は非常に重要であり、当時はもちろん国際法と呼ぶに値する法体系はありませんが、
外交を担えるだけの組織体→国家
という理由だけで戦国大名を「国家」と認めてもよいのではないかという感じもします。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6989