goo

吉村昭・著“深海の使者”を読んで

最近のようにキナ臭い政治情勢の中で、最近 吉村昭の“深海の使者”をようやく読み終えた。潜水艦は今もっとも気懸りな兵種であり、その運用は日本が世界トップであるとされる。その源流である先の大戦での日本の潜水艦運用状況を知ることは意義あることだろうと読んだ次第だ。 戦争中の昭和17年(1942)に枢軸国の同盟を実効あるものとするには実際に人的、物的往来が必要と当時の政府は認識した。相互の戦略的役割の確認はもとより、特に日本側はドイツの新技術である電波探信義(レーダー)や電波探知機(レーダー照射逆探知機)の実物導入をドイツ側に要望した。それまで日独の軍需物資はドイツの特設巡洋艦で大胆に実施していたが、それではドイツ側は最新技術が連合軍に鹵獲されるとおそれた。しかし日本が大型潜水艦を派遣すればドイツは応じるとして開始。その後は、ジェット機やロケット機の技術導入も企図して、橘花や秋水、或いは特攻機・桜花の元となった。この一連の史実が“小説”になっている。 しかし、5次5隻派遣されてほぼ目的を達し潜水艦自身も無事に帰国できたのは、第2次の伊号第八潜水艦だけであった。日独間の1万5千浬(3万キロ弱)の潜航を含む航海が如何に過酷だったかが理解できる。(実際は日仏間) 読み終わって、戦争中のこことは言え、命を懸けておじけることなく任務遂行に努力する群像に敬意を通り越してほろ苦さを感じてしまう。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする