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2020年年末ご挨拶

ガースー政権が平然としていて目下緊急事態でないのならば、一般国民も平然と例年通り活動し、街の人出はこれ以上減少することはあるまい。また早期閉店が死活問題の飲食店は、夜の営業も継続する道理である。 今年の反省だが、自分ではどうしようもないこと、これに煩わされることが大半だ。世の中とはそういうものだが、何だか未だにそうした理不尽に憤っている。私の所属する組織の指導陣の見る目が無く、意見してもそれを取り上げない。だから、自分から見限った団体がある。一方、もう少し社会的に影響力のある団体にも所属していて、そちらに活動を注力したが、こちらでも具申意見が影響力を持たない状態だ。そこから、日本社会の活力と革新性に全く乏しい限りであることも見えてくるのだ。文学者・三島由紀夫の行動や芥川龍之介の作品からも日本の社会状況が見えてくる気がする。 私は人生につきまとうのは、“お勉強”であると考えている。この“お勉強”は、西洋哲学の概観を西研先生を頼りに今後も続けて行きたい。それを“法哲学”の面に伸ばしていきたいとの“野望”を抱き始めている。来年は、そうした野望実現のマイルストーンにしたいと思っている。カナリ、エエカッコしてしまったか? . . . 本文を読む
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本年年末の京都・東山・豊国廟参拝とグルメ

先週末は仕事で京都の東山七條に午後赴く仕事があり、例によって午前の京都探訪を報告したい。七條東山の阿弥陀ヶ峰山頂には、豊国廟、つまり太閤はんのお墓がある。実は、昨年も同様に年末に参拝したのだが、思うところあり、今年も赴いた。この山の名は、天平年間(729-749)に行基が阿弥陀如来を安置したことに由来する、という。 きつい石段に、ゼイゼイ、ハァハァ、汗はダクダク。途中何度も立ち止まって休憩。喘息と年齢には勝てない。山頂の五輪塔は日本一の大きさ。秀吉が亡くなった後、遺命によりここを墳墓にして神社を建立したが、江戸期に建物その他は廃された。明治になり天皇の御沙汰で再興し、その際に、秀吉の遺骸がでてきて検証されたが、さすがに辱められた痕跡はなかった、とのこと。 昼食のため京博の下にある、秀吉ゆかりの鰻屋に入る。ここは鰻鍋が名物でそれだけしかメニューにない老舗だが、新型ウィルス禍で“まむし弁当”を3千円で始めた由で注文。だが、先付けに出て来た、抹茶と落雁に驚愕。落雁が小指の先の大きさ。“まむし弁当”はさすがに鰻はよく肥えたのが三枚丸々入っていて、タレも満遍なくご飯にかかっている。しかし、意気込んで入った店で第一印象でガッカリしたのが響いて、良い思いはしなかった。 仕事の後、入った四条烏丸のカフェでお楽しみタルトタタンにも少々ガッカリ。この日のグルメは、不作!まぁこんなこともあるわな。それでも結果としては、少しづつ京都の内面に入り込んでいる感触もあるのでまぁエエかっ! . . . 本文を読む
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“苫野一徳 特別授業『社会契約論』”を読んで

先週は“苫野一徳 特別授業『社会契約論』”を読んだので報告したい。自由学園の中高生に向けて苫野一徳准教授の行った4日間の講演を元にしたムックである。中高生向けの基本は重要で、これを知らずして大きな顔はできないはずだ。これで、人民の“一般意志”概念が『社会契約論』の中心的役割を果たしており、その概念の出発点と、それを見出し確立する方法論についておおよそ理解できたつもりである。 ホッブスの“万人の万人への戦争”を防止するのは人民による人民のための人民の“社会契約”であり、また一般意思形成には公衆の啓蒙化が重要なポイントである。それが十分になれば戦争の危機は薄れる可能性は高くなる。或いは、学校での“社会契約”が“いじめ”防止のツールとなりうるかも知れない。 . . . 本文を読む
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ルソーの“孤独な散歩者の夢想”を一先ず読み終えて

今回は偉大なる天才思想家ジャン・ジャック・ルソーについて“お勉強”したことを報告したい。解説本を読んだが、未だにその重要部分の片鱗すら把握できていない。 ①西研[著]“ルソー・エミール~自分のために生き、みんなにために生きる”NHK「100分de名著」ブックス ②福田歓一[著]“ルソー”(岩波現代文庫) ③ルソー[著], 青柳瑞穂[翻訳]“孤独な散歩者の夢想”(新潮文庫) 西研教授を私の哲学の師と定めて、読み継いで“ルソー・エミール”に至ったのだが、残念ながら知りたいこと、つまり“社会契約論”の概要と“一般意思”の真髄についてはほとんど触れられていなかった。その後、ここに挙げた後ろ2冊を読んだのだが、浅学菲才を痛感するばかりだった。 ルソー自身の“孤独な散歩者の夢想”は当初は異様なまでの自己愛に嫌悪を感じたものだが、終盤に至るとそれが純粋な感情からのものと理解できるようになった。そのような純粋な人物にとっては、百科全書派文化人のヴォルテールの裏切りのダメージの大きさが計り知れないものだったようなのだ。それが原因で多くの友人を失い孤独の晩年となったようだ。 . . . 本文を読む
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