op's weblog

文字通りのログ。経験したことや考えたことの断片のアーカイブ。

サル団子

2010年11月27日 15時05分02秒 | Weblog
つるつるの金属やプラスチックの板の上で液体が丸く固まるのは表面張力のせい、というのはよく知られている。さらに言うと、通常、液体がある場所のうち、温度が低い箇所ほどこの表面張力の力は大きくなる。で、そっち(表面張力が強いところ)のほうへ液体が引っ張られる(結果的に冷たいポイントの液体玉が大きくなる)のをマランゴニ効果と呼ぶらしい。

マランゴニ効果については、最近の宇宙への関心の高まりもあり、JAXAのサイトを覗いて、国際宇宙ステーションの実験棟で関連実験が行われていることを知っている人もいるかも知れない。

今日読んだ池田信夫氏のブログ記事を読んだとき、このJAXAのサイトの解説ページにある「サル団子」のたとえを思い出してちょっと笑ってしまった。

池田信夫 blog : 退却戦の戦い方 - ライブドアブログ

物質科学実験 Marangoni:宇宙実験サクッと解説:マランゴニ編

先が読みにくい、厳しい、言い換えると“お寒い”環境では、資源の再配分、集約化とそのスピードが生存のカギとなるのは、実際のところ、普通に生活していれば誰もが気づいて、やっていることだ。もっとも、これは厳しい環境への適応以外に洗練の高度化プロセスという側面もあるので、悪いことばかりじゃない。IT分野で言えばデータセンターのモジュール化(最小単位をコンパクトにして必要な分だけ増減しやすい構造にすること)や動的化もそのいい例だ。一方でもしかしたら孫氏の『光の道』案は、界面活性剤のようなものかも知れない。いずれにせよ、光インフラの全国土完備はあればあったで有り難いが、「「光の道」の実現こそが、「IT立国」こそが、日本の競争力を復活させる、日本を救う鍵」かどうかは疑問。


ちなみに、サル団子の法則(寒いところでは寄り集まりたがる)には実は例外がある。産業技術総合研究所の阿部宜之氏等が電子機器の冷却への応用を研究している『Self-rewetting(自己再湿潤化?)流体』と呼ばれる種類の液体は、温度が高くなるほど表面張力が強くなるのだ。だから例えばCPUの冷却用に使うと、熱い部分に液体が勝手に引き寄せられていって冷やしてしまうシステムがうまくやればポンプ無しでできる(表面張力の違いで流れができることは同じだからこれもマランゴニ対流)。

TED_Plaza Self-rewetting流体への期待 ※Firefoxだとレイアウトが崩れるので注意。
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ハルマゲドン

2010年11月09日 21時43分16秒 | Weblog
ITの世界でハルマゲドンというと、昨年はじめにネットワーク機器最大手のシスコ社がサーバの販売に乗り出すことで、IBMやHP、DELL等“コンピューター・ゴジラ”達に事実上宣戦布告したことを指す。その後データベース・ソフト最大手のオラクル社がサン・マイクロシステムズ社を買収したりなど、ちょっと名のあるIT企業はこぞってデータセンターを含むネット・インフラ関連の買収合戦、事業拡大を続けている。

一方、そのインフラの上で成立している仮想世界と、「旧体制」である国および大手マスメディアとの争いもいよいよハルマゲドンと言える段階に入ってきたようだ。ニコニコ動画から、日本におけるそれを宣言したのは、皮肉にも旧体制から抹殺されかかっている小沢一郎氏だ。さらに今日は尖閣諸島における小競り合いの録画データについて日本政府がグーグルの日本法人に情報の「強制差し押さえ」を行うニュースが流れた。中国におけるグーグルや、サウジアラビアやインドにおけるブラックベリーの件が最近では日本でも報道されていた。

が、既にグローバルサイズでクラウド・コンピューティングへのシフトが進んでいる今、データの差し押さえや所有権については、一つの国の権力や法律でどうこうできる時代ではなくなりかかっている。うまくいけばオリジナルデータとその発信者を押さえることはできるかもしれないが、デジタルデータ相手ではそれをやっても事実上無意味だ。いずれにせよ、情報鎖国や監視社会へのシフトは一時的には起こるだろうが、今までの歴史が示すように、それは新陳代謝を止めてしまうことになり、国や社会の停滞や崩壊を促す結果にしかならない。

遅かれ早かれ「旧体制」は負ける。これについては(仮想世界がらみなのに)現実の進行スピードが速すぎて、論じるより参加して楽しんでしまう方が早い。いやー、本当にここまでくるとやっぱり驚くよなー。PCか携帯ひとつあれば誰でも即参加できる革命の時代。もちろんこの場合“も”、どっちが正しいかなんて考えても無意味。どっちもどこまでいっても胡散臭い。答えを他人から教えてもらうのを待っているような連中は一番のカモである。
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