シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

犬と猫と人間と

2009-11-30 | シネマ あ行
んー、これはねぇ…見ようか見るまいか迷っていたんですよ。なんか暗い気持ちになりそうで見るのがイヤでね。でも、そんな理由で見ないのはやっぱダメだなぁと思って見に行くことにしました。

稲葉恵子さんという一人の女性が飯田基晴監督にペットたちの現状を知らせる映画を作って欲しいと依頼するところから始まる。ワタクシは飯田監督の「あしがらさん」などは見ていないのだが、この稲葉さんという女性はきっと監督の作品を見て決めたのだろう。「自分でいいのか?」と問う監督に「人を見る目はあるほうですから」と自信を持って答える。それをきっかけに動物愛護について考えたこともなかった飯田監督は現在の日本のペットの現状を追い始める。手始めは“動物愛護センター”という名称のいわゆる保健所から、民間の団体でレスキューをやっているところ、個人的に野良猫を助けている人たち、動物病院の先生、訓練士、イギリスの現状などなどを見せていく。

当然、日本のペットたちがおかれている悲惨な状況に涙が出るシーンがいくつもある。ただ、ここで涙なんか流していいのかなんていう罪悪感にも見舞われるがやはり涙はあふれるものだ。全ては人間のエゴなんだろうけど、この「人間のエゴ」というものはやっかいな代物で、「これはエゴ、あれはエゴじゃない」なんて線引きはできないと思う。結局、人間は「エゴ」というものを認識できる脳を持った動物である以上、何をやってもそれは「エゴ」という側面を否定できないってことになると思うのだ。

この作品で語られる動物愛護についての話をここで語ってしまうとかなりまとまりのない膨大な文章になってしまうと思うので、それはここではやめておきたい。なので、ここでは“映画作品”としてどうだったかというテーマに絞って書くことにする。

この映画を見ている最中、鑑賞後、少しもどかしいものを感じた。監督の語り口はどこまでもソフトで、優しい。悪い言い方をすれば「生ぬるい」のだ。飼い猫が産んだ子猫たちをこれ以上は飼えないからと言って保健所に持ち込んでくる飼い主や、保健所の譲渡会に飼い犬が産んだ仔犬たちを持ち込んだ飼い主に「じゃあ、なぜお宅の飼い猫や飼い犬に避妊手術をしないのか?」と監督は問わない。現状の責任の一端を担うペット産業のほうには一切取材に行かない。パピーミルなどにマイケルムーアのような突撃取材をかけるというようなことを決行しているのかなと思ってこの作品を見に行ったのだけど、実際にはまぁテレビニュースの特集などでも短時間ではあるけど、時々こういう特集は見られるなといった感じ。彼の取材で特にワタクシが新たに知った事実というものはなかった。そのあたりにぶっちゃけ物足りなさを感じはした。(でもそれはワタクシが2年半前に初めて犬を飼い始めて自分で勉強する機会があったからで、それまではこんなことは知らなかったのだから、普通の観客にとっては初めて知る事実がたくさんあるんだろう)

そして、鑑賞後この映画の公式サイトを見て、そこにワタクシの大好きなタレント杉本彩がコメントを残しているのを見て、彼女のブログにも行ってみた。そこにあった言葉にワタクシは納得させられた。

ここに引用させていただきます。

私がもし監督なら、
怒りと悲しみばかりが先走り、
過激な作品になって、
こんなふうには撮れないだろうと感じました。


飯田基晴監督は、
きっと一人でも多くの人に
観てもらうことに意義があると、

4年もの間、
悲惨な現実と向き合い、
ご自身の中から溢れる
あらゆる思いや憤りを
冷静に受け止めながら、
使命と感じて撮影されたのではないか、
と私は推測します。

引用終わり。

現実問題として、確かにあまりに過激な作品にしてしまうと多くの人の目に触れることなく終わってしまう可能性があっただろう。この先、小学校などで上映されるというチャンスもつぶしてしまうことになるかもしれない。そんなことになったら本末転倒だし、もともと稲葉さんがこの人なら間違いないと選んだ監督なんだから、彼女はきっと監督がこんなふうな作品を仕上げてくれることが分かっていたんだろう。残念ながら彼女はこの作品の完成を見ずに亡くなってしまわれたが、おそらくこの作品ならば彼女が納得できるものに仕上がっているのだろう。これは氷山の一角で、もっと悲惨なこともあるけど、あくまでも「入門編」として見てもらうのにはとても良い作品だと思う。

内容にはあまり触れないで書くと言ったけど、少しだけ。野良猫の不妊手術をしている獣医さんが、妊娠中のメス猫を手術しているときに「こんなふうに子供がお腹にいる場合があって、その時が一番辛い。この場でうずくまってしまうときがある」と言っていたのが、ものすごく印象的だった。獣医さんでさえ何度経験してもそれに慣れずに辛い思いをしているのだということがとても衝撃的だった。
それから、CCクロという団体の代表の方の言葉はどれもとても説得力のある言葉で、実際に何年も保護に携わっている方の重い言葉だった。
他にも書きたいことはあるんだけど、少しだけと言ったので最後に、保健所に勤めて、犬猫の処分をされている人たちがみな動物好きであったことがとても印象的だった。「好きだからこそできると思うんです。せめて、最期くらい彼らを物として扱わない彼らを好きな人の手で処分してやりたいんです」このセリフが胸に刺さった。

オマケ民間の愛護団体が保護している“しろえもん”という犬が出てきたが、うちで飼っているワイマラナーのクマルの仔犬のころの性格によく似ていて笑えてしまった。人が大好きなために嬉しくて興奮しやすくて、甘噛みや引っ張りがひどくて困ったヤツ。彼を訓練するために3人の訓練士が登場していた。うちのクマルの訓練士さんは様々な方法を試みる人で登場した3人すべてを足したような感じだけど、訓練には色々な考え方や方法があってどれが完璧に正しいというわけではないと思うので、何も知らない人が見たらこの作品で最初に登場した訓練士さんがちょっと“乱暴な人”みたいな扱いで終わってしまっていたのが残念だった。


イングロリアスバスターズ

2009-11-27 | シネマ あ行
ブラッドピット×クエンティンタランティーノということで以前から楽しみにしていた作品。ダイアンクルーガーも出ているしね。

結論から言うと、ワタクシはかなり好きです。世間の評判はどうなのかな?知らんけど。残酷なシーンが苦手な人はダメですね。全編がではないので、そこだけ目をつぶればいけるけど、そういうシーンがあるということで悪趣味だと思う人はダメでしょうね。

今回ワタクシはもっとタランティーノの狂ったところが炸裂するのかなぁと思ってたんですけどね。「フロムダスクティルドーン」のときみたいに、物語の途中でいきなりタガが外れたようにムチャクチャになるのかなと。だから、そのきっかけを今か今かと待っていたわけですが、結果は意外にマトモ。いや、この映画を“マトモ”と呼んでしまうとワタクシがイカレてると言われそうですけどね。話の筋はちゃんと通ってるし、実際の歴史にこんな嘘ばかり粉飾して映画にしていいの?という倫理感を脇に置いておけば十分に楽しめる作品でした。タランティーノ相手に“倫理感”なんてねぇ。言うだけ無駄ってもんです。上映時間が152分と長めなんですけど、ワタクシは全然感じなかったなぁ。むしろ、もっと続いてほしいと思うくらい。

タランティーノ独特の長回しでのセリフの応酬も、今回は全部意味があることだったしな。ハンスランダ大佐クリストフヴァルツと農民のやりとりとか、アーチーヒコックス大佐ミヒャエルファスベンダー、ヒューゴスティーグリッツティルシュヴァイガー、ブリジットフォンハマーシュマルク(ダイアンクルーガー)VSナチの親衛隊のやりとりとか、長いけど、ちゃんと意味のある駆け引きでこちらも固唾を呑んで見守るという心地よい緊張状態が続いて映画的な面白さに満ちていた。ハンスランダ大佐と農民のやりとりのときに「ここからは英語で話そう」なんて言って、アメリカで字幕を嫌う人たちへのサービスっていうギャグかと思って笑っちゃったんだけど、それがちゃんと意味があったのがすごかった。

ショシャナを演じたメラニーロランは今回初めて見た女優さんだったんだけど、結構きれいだったなぁ。彼女がフレデリックツォラーダニエルブリュールに呼ばれてゲッベルスシルベスターグロートの前に出されるレストランのシーンでは特に飾り気のない様子がとてもきれいだった。ダニエルブリュールは今回ちょっと薄気味の悪い役でかわいそうだったな。

ブラピ×タランティーノとは言っても、タランティーノの映画らしくアンサンブルキャスト系なので、ブラピばかりが目立つという感じではなかったですね。ブラピのようなスーパースターはそんな映画のほうが楽しめるのかもしれません。

ひとことで言うとやっぱ「悪趣味」ってことになっちゃうのかなー。最後のアルドレイン中尉の“最高傑作”を笑い飛ばせる人にはオススメですけどね。タランティーノの映画ってどんなんって知らん人はビックリしてしまうかも。まぁ、そんな人ももう少ないか。エグいのとふざけてるのがダメな人な見ないほうがいいですな。

2012

2009-11-26 | シネマ な行

こういう大作は苦手なもので、見に行くリストにはなかったのですが、前売券があたったので行ってまいりました。しっかし、ハリウッドは何回地球を滅亡の危機に陥れたら気が済むんですかねー。それでも、公開週末の全米の興行成績はNo.1取っちゃうんだからね。やっぱアメリカ人はこういうの大好きなのか?

マヤの伝説で2012年に地球が滅びることになっているそうで。先ごろ、NASAは「そんなことはありません」なんて公式に発表してて、笑っちゃったんだけど、NASAがそんなこと真剣に発表するってことは真剣に心配している人たちがいるってことよね。ミレニアムも嘘だったじゃんとか思わないのかな?

ま、それはいいとして、映画としては、こういうのはもうCGとザ・家族愛を楽しもうって感じですよね。CGの技術っていうのはもうものすごい進歩してるからやっぱ迫力ありました。一般人の中でいち早く異変に気付いたジャクソンジョンキューザックが一家を連れて車や飛行機で逃げまくるシークエンスはかなりスゴかった。あれはもう映画館より、どっかの遊園地でアトラクションにしたほうがいいよね。大量の人がばかばか死んでいくんだけど、自分たちだけは絶対助かるってやつね。そこんとこがどうしても安心感を持って見ちゃうのがどうしようもないんだけど。

ストーリーはまぁあんまり気にしないほうがいいでしょうな。突っ込みたいところもあり過ぎるけど、そう言っちゃうとなぁ…っていうタイプの映画だし、あえて何も言わないでおきますよ。登場人物の中ではワタクシならちょっとイカれたラジオのDJチャーリーウディハレルソンのように華々しく散りたいなぁ。あんなふうに災害の初期に死ねたらいいかも。もちろん、愛する人と手に手を取ってっていうのが最高だけどね、チャーリーみたいに一人ぼっちじゃなくて。

ストーリーは気にしないでって書いたけど、やっぱり元妻アマンダピートの恋人が死んじゃって、また家族でやり直そうぜっていうのは、恐ろしいほどに都合良過ぎだよねぇ。こっちのほうがある意味怖い。こういう展開のせいで最後の感動もちょっと薄れたな。え、いいの?みたいな。やっぱ家族愛ってディザスタームービーの基本だからさ、この設定はちょっと無理があったような。そういう意味では主人公一家より、周りの人の家族愛のほうが泣けたかな。科学者のキウェテルイジョフォーとお父さんとか大統領ダニーグローヴァーとその娘タンディニュートンとかね。

ジェットコースターに乗る気分で行かれるといいかもしれません。


ファッションが教えてくれること

2009-11-19 | シネマ は行
こんな題材の映画だから、周りがオサレな男子や女子ばかりでワタクシなどが行ったら白い目で見られたらどうしようとビクビクしながら出かけて行ったけど、まぁまぁ普通のOLさんたちが多い感じでちょっと安心した。

「プラダを来た悪魔」でメリルストリープが演じた鬼編集長のモデルと言われるアメリカ版ヴォーグの編集長アナウィンターのドキュメンタリー。というコピーがちまたにあふれているけど、実際には“アメリカ版ヴォーグ2007年9月号ができるまで”といった感じだった。原題も「The September Issue」だしね。

まぁ、もちろん1冊のヴォーグができるまでよりも世界のファッションの中心であるアメリカ版ヴォーグの編集長アナウィンターの実像に迫るっていうのが本来の狙いなんだろうけど、アナウィンターに密着取材しましたって感じの作りではない。ワタクシは逆にそこが気に入ったけど。

9月号といえば、ファッション界では一年の幕開けのようなものらしく、それはそれは力の入れようが他の号とは違うらしい。まずはどんな方向性でいくかという会議のシーンから始まるが、その会議が終わってのテロップ「9月号締め切りまであと5ヶ月」はぁ???あと、5ヶ月???ってまだ3月かそこらってこと?ファッションショーなんかを見てると「もう秋冬コレクション?」なんてのが普通だからファッション雑誌だってそのくらいから動いていて当然なんだろうけど、それでもいきなりガツンと驚いてしまった。

そこからは「ヴォーグ」で働く人や、デザイナー、フォトグラファー、モデルなどなどの仕事ぶりが次々に映し出される。アナウィンターは常に最終判断を下す立場。彼女がNoと言えば、No。その服はもういらない。彼女と同じキャリアを積んでいるグレイズコディントンが持ってきた写真でもアナがダメと言えばダメ。ファッション業界に疎い人でも知っているような超有名デザイナーたちでさえ、アナにどう思う?と聞くし、アナが「イマイチ」と言えば、その意見を取り入れる。

最初は、結局みんな彼女が怖くて誰も反論できないだけじゃないのかと思ったんだけど、周囲の人のインタビューを聞いていくうちにそれがアナの実績に基づくものだということが分かっていく。デザイナーにもっと早く服を作るように言ってくれとか、うちに新しいデザイナーを入れるなら誰がいいか教えてくれとか、みんなアナに頼ってるしね。同期入社のグレイスは「アナとはお互いに理解しあっている。二人とも頑固だけど、私は引き際を知っている。アナにはそれがないの」と言い、アナは「グレイスの写真をプロデュースする能力は天才的」と言う。どちらも第一線で仕事をし、お互いに認め合っているからこそ言えるのだろう。実際、アナの決断力の凄さとグレイスの天才的な写真の出来上がりがこの作品で見ることができる。

ワタクシは昔からなぜかファッション業界の内幕ものに惹かれる。ファッションに特に詳しいわけでもなんでもないんだけどね。アナのインタビューで、アナが「ファッションを批判する人はファッションを恐れているのだ」と言っていた。彼女の(結構エリートな)「兄弟たちは自分の仕事のことをamusedしている(面白がっている)」とも。それがproud(誇りに思っている)でもinterested(興味を持っている)でもなくamusedだったことがなんだか印象的だった。amusedという単語そのものには特にバカにしているとかネガティヴなイメージはないと思うけど、それでもやっぱり“ファッション業界”というものの特異性というか、「ファッション雑誌を作る」という仕事が決して世界中から尊敬される仕事ではないということを分かっていて、それでもそれに誇りを持っているし、「ファッションを批判する人は恐れているのだ」というセリフが物語るようにファッションの持つパワーというものを理解して仕事をしているという彼女の自負があの表現に表れているような気がした。結局、ワタクシがファッション業界に惹かれるのは、そういうファッションが持つ立ち位置の不安定さというか、ただの広告なのか、芸術まで高められるものなのかというような曖昧な部分にあるのかなぁと再認識したりなんかもした。

アナウィンターの娘が途中で登場するけど、彼女は母親の仕事ぶりは尊敬するけど、ファッション業界には興味はないと言って法曹界に進むようなことを言っていた。それについて、アナは「いまのところはね」と言っていて、実は娘にファッション業界に進んで欲しそうだった。いやー、彼女の娘が「プラダを着た悪魔」の双子のガキみたいに「発売前のハリーポッターを読みたい」とか言うようなワガママなガキじゃなさそうでホッとした。(なんかでも最近では、やっぱり色々とメディアに登場して法曹界はどうしたの?ってな感じになっているようですが)

アナウィンターに関しては多分ワタクシの知らないウワサやら事実やらがいっぱいあって、(毛皮の問題とか、ダイエットの問題とか)彼女に対するイメージは人それぞれ違うと思うんだけど、彼女のことが好き嫌いは別として、この作品は少しでもファッションに興味ある人はとても楽しめるものだと思います。実際、アナウィンターってもう今年で60歳だけど、モデルに負けないくらいで美人で絵になるしなぁ。グレイスもいまはおばさんだけど、モデルしていただけあって若いときの写真はとっても美人でした。

仕事人間ではないワタクシからしたら、あそこまで仕事ばっかするのはイヤだなって思っちゃうけど、仕事が大好きな人からすればバイブル的な作品になるかもしれませんね。

オマケ1「プラダを着た悪魔」は原作の方には悪いけど、めずらしく原作よりも映画のほうが面白い映画でした。

オマケ2このテの「なんとかがなんとかなこと」っていう邦題って「死ぬまでにしたい10のこと」が一番最初かな?もうややこしいから、この辺で打ち止めにして欲しいのことよ。

クヒオ大佐

2009-11-16 | シネマ か行

前売券が当たったので見に行ってきました。前売券が当たらなければ絶対に映画館で見ることはなかった作品でした。だから、特に期待もしていなかったけど、結構面白かったかな。

ジョナサンエリザベスクヒオ大佐堺雅人は、純粋な日本人であるにもかかわらず、その白人的な容姿(?)を利用し、カタコトの日本語で女性に近づき、自分の父はカメハマハ大王の末裔で、母はエリザベス女王の親戚であり、自分はアメリカ空軍のパイロットで、特殊任務についてる。私と結婚すれば、軍から支度金5000万円が支給される。などと言ってだまし、そのわりにいまはお金を持っておらず、車もないがためにデートのときはいつも女性に車を出させ、お金も出させる。この時点でまずおかしいと思わないのが不思議でしょうがないんだけど、何か都合の悪いことが起こると、「特殊任務だから」とかなんとか言ってごまかしてしまう。

映画の中では弁当屋のしのぶ松雪泰子、博物館員の春満島ひかり、銀座のホステス須藤未知子をターゲットにしている。クヒオに献身的に尽くす弁当屋の社長を松雪泰子が演じているのだが、松雪泰子という女優さんは都会的で、現代的でかっこいいイメージがあると思うんだけど、このしがない弁当屋を切り盛りするけなげな女性がよく似合っていた。彼女はクヒオの被害に一番遭っているのだけど、最後までクヒオを信じきっていた。クヒオが詐欺師だということが分かってからでさえ、自らに言い聞かせるようにクヒオを信じる道を選んでいた。これこそが結婚詐欺の怖いところなのかぁ。だまされた本人が良かったんだからいいじゃんみたいになっちゃいかねないところ。

結局、銀座のホステスに渡した名刺に3つもスペルの誤りがあることから素性がバレ逮捕されてしまうのだけど、そのとき以前警察が追っていたときにはクヒオ中佐だったのに、自分で自分を昇進させていたところが笑えた。他にもクヒオの計画があるんだかないんだかよく分からない詐欺の手口には笑ってしまう場面が多かったのだけど、もうちょっと矛盾点を突かれて窮地に陥るクヒオの姿を面白おかしく描いたほうが良かったんじゃないかなと思った。こんなバカバカしい話なのに結構マジに撮ってるのは、被害者のこととかも考えてのことなのかな?湾岸戦争と絡めた話も別にいらなかったような気がするな。

最後の逮捕後のシークエンスはちょっと長すぎたけど、クヒオが描いた自分像そのものが長すぎた夢といった感じにリンクしていたのかもしれない。

結婚詐欺師というと、なんだか最近タイムリーで、あんまり不謹慎なこと言えないなぁって感じになっちゃってて、もしかしたら宣伝のためにテレビとかも取り上げにくかったんじゃないかなぁ?この作品にとってはちょっと公開のタイミングが悪かったかもしれない。ここでもあんまり変なこと書けないかな…?

実際のクヒオ大佐については「アンビリーバボー」とかそういった類のテレビ番組が飛びつきそうな内容なので、そういうので取り上げられたことがあるんじゃないかな~。ワタクシも映画の公開前からなんとなくは知っていたけど、実際のところ7回も逮捕暦がある結婚詐欺師で、被害総額は1億円にのぼるとかなんとか。しかもさらにビックリすることに彼には結婚暦があり、一男をもうけていたらしいが、彼の逮捕後妻は彼が日本人だったことに驚いたという。そこまでいったらもうすごいのひと言だけど、それで英語が喋れるわけじゃないってんだから、たいした度胸だよね。まぁ、70年代後半から80年代前半ってことでいまほど英語を話せる人も多くなかったのかもしれないけど。

こういう何が本当で何が嘘か分からない話をするタイプの人って、ある意味どこか有無を言わせぬ変な魅力があって騙されちゃうのかなぁと思いました。最後にクヒオがしのぶに語ったおいたちだって話と映像とどっちが本当なのか。不幸な映像のほうを見ながら、同情しちゃった観客も多かったと思うけど、実際には映像より話のほうが本当だったのかもしれないもんね。しのぶのように夢を見させてくれたんだからそれでいいのよって思う人がいるのも仕方がないことなのかもしれない。

あ、書き忘れたけど、松雪泰子といえば、「デトロイトメタルシティ」の女社長役がサイコーでした。作品そのものは取り上げるほどじゃなかったので、記事にしなかったけど、この松雪はホントに最高イケてます。


ジェインオースティン~秘められた恋

2009-11-12 | シネマ さ行

ジェインオースティンに最初に触れたのはいつだっただろう。ワタクシが英語で小説を読み始めて初期のころだったと思う。英文学といえば有名な小説家はたくさんいるが、やはりジェインオースティンは外せない。と、偉そうなことを言ってはみたけど、読んだのは6作中、「分別と多感」「プライドと偏見」「エマ」の3作だ。なによりも、つたない英語力の人間が英語で小説を読むという無謀な行為に対して、映像化されている作品がとても多いジェインオースティンの作品は、使われる単語や文法が少し古めのイギリス英語ということを考慮してもとても読みやすい。分からなければ、ドラマや映画を先に見ればいいのだから。

というわけで映像作品にしろ、原作にしろ彼女の作品には触れる機会は多かったが、彼女自身がどんな人だったのかは考えたこともなかったので、今回公開が待ち遠しい作品だった。

ジェインオースティンアンハサウェイは、まさに彼女の小説に登場するようなイギリスの中産階級の生まれで、母親ジュリーウォルターズは父ジェームズクロムウェルとは恋愛結婚で結ばれたが、貧乏で苦労をしているため、娘にはそのような苦労はさせたくないとお金のある男性との結婚を薦めている。しかし、ジェインは兄の友人で財産のない法学生トムルフロイジェームズマカヴォイと恋に落ちる。

結局、トムが大叔父からもらうお金で暮らしているトムの家族の幸せを考えると、駆け落ちして無一文になるわけにはいかないとジェインは身を引く。男性でさえ、後ろ盾がなければ簡単に良い仕事になど就けない時代であったろうし、ましてや女性であるジェインが本を書いて家族を養うなんて現実離れしたお話。

この作品で描かれるジェインとトムの恋がすべて本当の話ではないんだろうけど、この二人が恋をしていたということはどうやら間違いないらしい。ジェインが人生に一度の恋を実らせることができず、その後独身を貫き、自らの小説の登場人物たちを次々に幸せにしていったというところがとても切なかった。ジェインが身を引く決心をするときのアンハサウェイの演技には泣かされたなぁ。ジェインに求婚していたウィスリー氏ローレンスフォックスも結構良い人だったけど、やっぱりジェインにはトムしかいなかったんだね。

うまく現実の話と小説に登場する人物の元ネタの人?みたいなのをうまく絡めて描いているところは「恋におちたシェイクスピア」の手法と似ているかもしれませんね。

ジェインオースティンほどのイギリスを代表する人物をアメリカ人のアンハサウェイが演じるのは相当の勇気がいっただろうと思うのだけど、なぜわざわざアメリカ人だったんだろうねぇ。いや、ワタクシはアンハサウェイがやっても全然いいと思うんだけどね。現代のイギリスを代表するキャラクターであるブリジットジョーンズだってアメリカ人がやっちゃってるしね。(ブリジットジョーンズ自体もかなりジェインオースティンの影響を受けていると言っていい)そういう垣根はなくなりつつあると考えていいのかもしれませんね。当のイギリス人たちはどう思っているのか分からないけど、ワタクシはどっちもすごく良かったと思うし。でも、今回意外だったのはアンハサウェイがそこまで強くイギリスアクセントを気にしてる感じじゃなかったことかなぁ。こちらもアメリカ人であるグウィネスパルトローがイギリス人を演じるときのようなかなり濃厚なイギリスアクセントは感じなかった。わざとなのかどうか分かんないけど。そういえばグウィネスはジェインオースティンの作品である「エマ」で初主演を飾っていますね。このブログでは取り上げてないですが。「エマ」を見るならグウィネスのほうよりもアリシアシルバーストーンが現代版を演じた「クルーレス」を見るほうがずっと面白いです。「いつか晴れた日に」も取り上げてないですが、こちらは「分別と多感」の映画化でまだ初々しいケイトウィンスレットが見られます。

オマケトムルフロイはその後結婚し、長女にジェインという名前をつけたそうですが、これってこの作品を見ている観客にとってはなんだかジーンとくる話ですが、現実にもいますよね、自分の初恋の人の名前を子供につける人、それってパートナーとしては複雑な気持ちですよね~。


ザ・マジックアワー

2009-11-11 | シネマ さ行

「THE 有頂天ホテル」の面白さが1ミリたりとも分からず、「古畑任三郎」も好きになれないワタクシは「三谷幸喜、昔は好きやったけどなぁ」というセリフを近年何回も言っていた。この「ザ・マジックアワー」も公開のときに三谷幸喜と佐藤浩市がこれでもかっ!ってほどに宣伝のためにテレビに出ていてうんざりして、どうせつまらんねんやろう?と思っていたのだけど、テレビで放映されたので見てみた。またもや、テレビ初登場って早すぎるよなー、と思いつつ。

まったく期待せずに見たというのもあったかもしれませんが、今回はかなり面白かったです。

ギャングのボス天塩幸之助西田敏行の女マリ深津絵理に手を出した備後妻夫木聡は伝説の殺し屋「デラ富樫」を探しださなければボスに殺されることになり、仕方なく無名の役者村田佐藤浩市を連れて来て、「デラ富樫」になりすませる。村田には、それが映画の撮影だといつわっているのもだから、なにかと騒動が巻き起こるのだった。

村田が映画撮影だと思い込まされているものだから、色んな場面でおかしなことが起こるんだけど、それでもなんだか変につじつまが合ってしまうところが笑えてとってもうまくできている脚本だった。こういう勘違いとか、それやのになんでぇ?みたいなおもしろさがいかにも三谷幸喜の才能を感じさせるところで、ワタクシが好きだったころの彼に戻ったようですごく嬉しかった。うまい!と思わず膝を打つようなシーンがいっぱいあった。

「THE 有頂天ホテル」のドタバタは許せなかったけど、今回はドタバタしつつもテーマがひとつに絞られていたし、キャラクターがそれぞれ愛すべき存在だったこともこの映画を良くしている原因かなぁとも思う。伊吹五郎戸田恵子綾瀬はるかが演じたカメオじゃない脇役の人たちもちゃんとキャラが確立していてそれぞれがいい味を出していた。

舞台になっている架空の守加護市(ギャングの街シカゴのパロディ?)という、ここだけ時代から取り残されたレトロな街という設定も見ているほうに現実を忘れさせる効果があって良かったのだと思う。

ちょい役の面子が豪華すぎて、気持ちが横へそれてしまうのがこのごろの三谷映画の良くないところかなぁ。まぁ、コメディだから横へそれたって別にいいんだけどね。

三谷映画の特徴でもあるけど、やっぱり本人が相当の映画好きであることから、パロディな部分がちょくちょく見える。これは映画好きにしか分からないお楽しみな部分があってワタクシは好きだ。そして、村田は売れない役者だけど、裏方さんたちに慕われていたっていうところがちゃんと最後に生かされることになっていて、そこにも監督の映画愛を感じたな。

やっぱりコメディなんだからちゃんと笑えないとね。そこんとこ、「THE 有頂天ホテル」とは全然違って良かったです。


迷い婚~すべての迷える女性たちへ

2009-11-09 | シネマ ま行

ケーブルテレビで放映していたのを見ました。

監督がロブライナーですからね、甘いお話を期待して見ました。内容的にはそんなにたいしたことなくてもなんだか心がほんわかなる系だろうなぁと。確かに実際そんな感じでしたけど、これ、映画でおもしろおかしく描かれてるから笑って見れるけど、本当だったらこんなふうに笑ってられないよなぁ。

主人公のサラジェニファーアニストンは、ジェフマークラファロと婚約しながらも、祖母シャーリーマクレーンからサラの母親は結婚式の数日前に失踪して、とある男、ボーバロウズケビンコスナーと数日を過ごし、また舞い戻って父親リチャードジェンキンスと結婚したという話を聞いて、もしかしたらそのボーが自分の本当の父親かもしれないと思い、ボーに会いに行ったが、ボーは無精子症で、自分の父親ではないと分かり、魅力的なボーと一夜を共にしてしまう。

婚約中の身でありながら、母親の恋人だったボーと、しかもそのボーバロウズとは母親と関係を持つ前にその母親、つまりサラの祖母とも関係を持ったことのある男というボーと関係を持ったサラ。しかもしかも、このボーバロウズと祖母と母の話がなんと映画「卒業」の題材になった実際の話だというわけ。あのダスティンホフマンの有名なやつですよ。ボーバロウズは母親を結婚式中にさらいには来なかったから結末は違うけど。まぁ、この「卒業」のくだりは映画好きなロブライナーの遊びの部分で、映画好きな観客にとってはたまらないところなんだけど、現実的に考えると、このボーバロウズ、親子ドンブリならぬ、三代ドンブリしちゃったわけで…(んー、こんなこと書いてもダイジョブかな?)それって、気持ち悪いことこの上ないよねー。ありえねー!!!なんだけど、ケビンコスナーがマークラファロより素敵に見えてしまうから許せてしまうのか?

婚約者裏切ってるし、その上浮気相手がそんな人だし、サラ、とっ散らかり過ぎだねー。でもロブライナーだからハッピーエンドになっちゃうのがまたマジックなところ。「はぁ?」な展開もなんだか許せてしまうのが不思議なところなんですよねー。これを「許せるかっ!」って感じた人にとっては最低の映画だったかも。

キャラとしては、シャーリーマクレーン演じるばあちゃんがサイコー。そもそもボーのことだってかなり強引に誘惑したみたいだし、孫に「おばあちゃん」って呼ばれるのをめちゃ嫌ってて、下品な言葉も平気で言っちゃうキャラが最高。残念ながら字幕にはなおされてなかったんですが、ちょくちょく下品なこと言ってて笑えました。ロブライナーってこういうのがすごくうまいですね。ちょっとしたセリフでくすっとさせたり、ジーンとさせたりするのがすごく上手。

この映画を「はぁ?」と思った人にとっては、ちょっと日本語題のせいもあったかなぁと思います。「迷い婚~すべての迷える女性たちへ」って全然この作品とはかけ離れてるような気がするもんなぁ。確かに主人公は結婚を迷っているけど、すべての迷える女性たちへのメッセージになるようなお話ではないよなぁ。そういうのを期待していた人はがっかりだったかも。原題は「Rumor has it」で「ウワサによると」みたいな感じだと思うんだけど、映画「卒業」の元ネタとなったお話が語られる冒頭から、もうこれは全部が“しゃれ”みたいに受け取れれば楽しめる作品かもしれません。