シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

Glee Season 5 第1話~第3話

2013-11-27 | 海外ドラマ

FOXでシーズン5の第3話まで先行放送があったので曲名を記録用に書いておきます。
ちらっと感想も。

第1話 「Love, Love, Love」



「Yesterday」 by The Beatles

「Drive My Car」 by The Beatles

「Got To Get You Into My Life」 by The Beatles

「You've Got To Hide Your Love Away」 by The Beatles

「Help!」 by The Beatles

ブレインダレンクリスがカートクリスコルファーにプロポーズするためにみんなに文字通り「Help」を頼むために歌う曲。ウォブラーズ、ヴォーカルアドレナリン、デフクアイアまで登場して面白かったですね。

「A Hard Day's Night」 by The Beatles

ウエイトレスが歌って踊るダイナーでバイトしているレイチェルリアミシェルとサンタナナヤリベラが歌います。可愛い~。ダイナーの制服もキュートです。

「I Saw Her Standing There」 by The Beatles

「All You Need Is Love」 by The Beatles

いよいよプロポーズ。あんなにみんなに協力してもらってまさかNoとは言えんわな。ってそれがYesの理由ではないですが。

第2話 「Tina in The Sky with Diamonds」



「Get Back」 by The Beatles

「Something」 by The Beatles

「Here Comes the Sun」 by The Beatles

サンタナの恋人になるダニデミロヴァートとの初デュエット。声の相性がいいですね。素敵です。

「Sgt. Pepper Lonely Hearts Club Band」 by The Beatles

「Hey Jude」 by The Beatles

「Let It Be」 by The Beatles

ニューヨークキャストとニューディレクションズが場所を越えて一緒に歌うパターンって結構好きです。ベタですけど、やっぱり良い曲ですね。

第3話 「The Quarterback」



この回はもうだだ泣きでした。もうフィンコーリーモンティースの死から立ち直ったつもりだったけど全然ダメだった・・・キャストが演技ではなくて本気で泣いているのが分かるから余計に泣けました。

「Seasons of Love」 by The Cast of "Rent"

ハーモニーがすごく美しかったです。

「I'll Stand by You」 by The Pretenders

「Fire and Rain」 by James Taylor

「If I Die Young」 by The Band Perry

「No Surrender」 by Bruce Srpingsteen

「Make You Feel My Love」 by Bob Dylan (Adele's Version)

リアはよくこの撮影頑張りましたね。レコーディングもよくフルコーラス泣かずにできたなぁ。彼女の悲しみは計り知れません。


悪の法則

2013-11-26 | シネマ あ行

ま、当然キャストの豪華さプラスリドリースコット監督ということで見に行きました。

下調べせずに行ったのですが、「ノーカントリー」のコーマックマッカーシーが書いた脚本だったのですね。あー、分からんはずやわ。あれだけ評判の良かった「ノーカントリー」、ワタクシは分かりませんでした。今回もしかり。。。

いや、分かるんですよ、ストーリーは特に難しくないし。でもなんか導入部分が分かりづらいというか説明がないので、なんでこのカウンセラー(弁護士)マイケルファスベンダーがわざわざ悪の世界に入ろうとしたのかが分かんない。婚約者ローラペネロペクルスに贅沢させたかったから?カウンセラーで十分稼いでる気もするけど、そもそもライナーハビエルバルデムみたいな悪い奴とつるんでるくらいだからある程度悪徳弁護士ではあったんですかね。

彼の動機は置いておくとして・・・ズブの素人がメキシコの麻薬取引に手を出して運び屋が殺され失敗しちゃったもんだから、カルテルを相手に逃げ回るハメになる、と。仲介したウェストリーブラッドピットっていう奴も。こいつは長年こういう世界にいていつでも逃げられる準備はしていたけど、それでもダメなほど「悪」って奴は恐ろしいもんだ、と。

そしてその究極の「悪」ってのが誰かっていうと、ライナーの恋人のマルキナキャメロンディアスっていう恐ろしい女で。いやー、カッコ良かったねー、キャメロン。だいたいどっちが悪女顔かって言ったらペネロペのほうやと思うんですけど、今回ペネロペはなんでこの役引き受けたん?旦那と一緒やったから(一緒のシーンはないけど、一緒の映画に出てたらプロモーションとかもずっと一緒にいられるもんね)?って思うほど普通の女性の役。キャメロンのほうはすごいよー。ヒョウ柄のタトゥーが超カッコいいし、ライナーを目の前に「車とファック」しちゃう女。「車とファック」って意味分かんないと思いますけど、このシーンは映画史に残ると言っていいと思います。ライナー完全にトラウマになっちゃってるし(笑)キャメロンってコメディ女優のイメージが強いのでこういう役にビックリする方もいるかもしれませんね。彼女、意外とやりますよ。

ブラッドピットの殺され方も恐らく観客全員が予想していた通りなんですけど、これもまた映像になるとなかなかに衝撃で。スーパースターなのにアンタも好きねぇっていうブラピらしい役のチョイスですね。

ジョージクルーニーをして冗談ながらも「僕の後継者」と言わしめたセックスシンボルのマイケルファスベンダー。今回はバカだなぁ欲かいちゃって、なんだけど、その欲望の世界があまりにワタクシたちが送っている日常とはかけ離れていて、自分たちもともすれば・・・という恐怖心は一切湧いてこないっつーのがこの作品の難点でもある。

日常と言えば、(おそらく)カルテルが仕切っているであろう地域の自動車修理工場がすごかったね。メキシコ人の小さい子供までもが血まみれのトラックを素早く掃除して車をキレイにする。彼らはカルテルに従ってさえいれば食い扶持が稼げるし、安全な日常を送ることができるのだろう。その辺の下層にいる住民の描写が印象的だった。

いちいちセリフの含蓄があるので、一度見ただけではすべての意味を理解できていないかもしれません。(いま読み返したら「ノーカントリー」のほうにも“セリフがいちいち意味深”って書いてました、ワタクシ)「ノーカントリー」がお好きな方にはオススメかも?


アーネスト式プロポーズ

2013-11-20 | シネマ あ行

オスカーワイルドの喜劇「真面目が肝心」(原題:“The Importance of Being Earnest")の映画化。原題は「真面目」を意味するearnestと名前のEarnest(アーネスト)というダジャレが効いているのだけど、これを日本語に訳すのは不可能なので「真面目が肝心」となっている。

と、説明したものの、「真面目が肝心」は題名しか知らなくて内容は全然知らず、この作品がケーブルテレビで放映されて題名が「アーネスト式プロポーズ」だったので、原作がオスカーワイルドの作品だと知らないで見ていました。ところが、見始めるといかにもいかにもオスカーワイルドっぽい。これってオスカーワイルドが原作の話じゃないの?と思って調べたらビンゴだった!オスカーワイルドの作品では前にもこういうことがあったような気がします。

この話ねー、登場人物は少ないんだけど、文章にして説明するとややこしいんだよなぁ。

田舎の紳士ジャックコリンファースはロンドンにアーネストという架空の放蕩な弟の存在をでっちあげ、ロンドンではアーネストを名乗って評判を気にせずに遊んでいた。

ロンドンに住むジャックの親友アルジールパートエヴェレットは田舎に住むバンベリーという病弱な友人の存在をでっちあげ、時々お見舞いという形でロンドン社交界の面倒なことから逃れていた。彼はそうして面倒から逃げる行為を「bunburying(バンベリーする)」と動詞まで作っていたってのがちょっと笑えます。いまも昔も造語というのは面白いものですね。

アルジーのいとこのグウェンドレンフランシスオコナーと恋に落ちたジャックだったが、ロンドンでアーネストを名乗っているときであり、彼女に「アーネストという名前の男性と結婚するのが夢だった」と言われ本当のことを言いだせなくなる。

グウェンドレンの母親ブラックネル夫人ジュディディンチはアーネスト(ジャック)が赤ん坊のときにカバンに入れられて駅で見つかった孤児だと知り、結婚に反対する。

ジャックが田舎で後見人をしているセシリーリースウィザースプーンに興味を持ったアルジーは自分がロンドンにいるジャックの弟アーネストだと嘘をついてセシリーに会いに来て、2人は恋に落ちる。

グウェンドレンに対してアーネストは死んだことにしようと決めたジャックはアーネストがロンドンで死んだと言って田舎に戻ってくるが、そこにはアーネストを名乗るアルジーがいた。

そこにジャックを追いかけてきたグウェンドレン。グウェンドレンを追いかけてきた母親も加わって2人の男が右往左往。

って分かりますかねー。
ジャックとアルジーの両方が同じ人物「アーネスト」を名乗って恋に落ちるもんだから、さぁ大変。グウェンドレンは「アーネスト」という名前にこだわっているし、お母さんには反対されているし、どうしようっていうお話。

軽妙な会話が繰り広げられるところとか、基本的に悪い人は登場しないというところがいかにもオスカーワイルドの喜劇。彼の喜劇は、最後に八方丸く収まって大団円って感じですね。んな、アホなーってくらいうまくいっちゃうんですが、ワタクシは結構好きです。この物語なんて主役も準主役も嘘ついちゃってるんですが、そこに意地の悪さがなくて見ていて応援したくなってしまうんですよね。

映画ファン的にはコリンファースとルパートエヴェレットと言えば当然「アナザーカントリー」を思い出すわけで。この2人が必死で女性を落とそうとしているのを見るのはちょっと奇妙な感じがしたりもしました。あれから何十年も経ち、あのときの役どころとは違って、今回の役のようなルパートエヴェレットの軽薄さとコリンファースのおろおろぶりは2人のそれぞれの真骨頂となりました。

結局最後に赤ん坊のときに鞄に入れられたさらわれたジャックはアルジーの実の弟だってことが分かって、洗礼名がアーネストだってことにもなって、さっき書いたように八方丸く収まって大団円です。それにはジュディディンチが大御所の貫録とチャーミングさが大きく貢献しています。いつまでも活躍してほしいと思うイギリス演劇界の重鎮ですね。

いかにも昔の演劇っぽい喜劇ですので、好き嫌いの別れる作品だと思いますが、有名な作品なので見て損はないと思います。


もうひとりの息子

2013-11-19 | シネマ ま行

題材が「そして父になる」と似ているのですが、こちらはイスラエルとパレスチナの紛争地域の子どものアクシデントによる入れ替わりのお話で、息子同士も18歳とかなり成長しているので、随分趣は違うでしょう。ワタクシは「そして父になる」を見ていないので比べてどうというのはありません。

イスラエル人のヨセフジュールシュトリクは兵役のため血液検査を受ける。その結果父アロンパスカルエルベと母オリットエマニュエルドゥボスの間に生まれるはずのない血液型だった。母オリットの不貞が疑われるが調査の結果、18年前出産した病院で爆撃があり、そのパニックの中で赤ん坊の取り違えが起こったということが判明する。取り違えの相手はパレスチナ人の子ヤシンマハディザハビ。母ライラアリーノマリと父サイードハリファナトゥールに連絡が行き、両親同士が会うことになる。

取り乱し、父親同士は息子に言わないという選択をしようとするが、母親は言うべきだと考えた。まずオリットがヨセフに話し、やがてライラも息子に話すべきだと夫に告げたときにヤシンに聞かれてしまう。ヤシンはそれでも何も変わらないと考えるがヤシンの兄は弟が憎き敵イスラエル人だと知りヤシンを拒絶してしまう。

息子たちがすでに18歳ということで、彼らそれぞれのアイデンティティの崩壊というのが興味深い。特にイスラエル人のヨセフは自分をユダヤ人だと強く意識してそれを誇りに生きていた感があり、ラビにユダヤ人の血が流れていないことで拒絶され一時は自暴自棄になる。パレスチナ人のヤシンはパリに留学していたこともあり、視野が広く特にイスラエル人を強く恨んで生きてきたという感じはなかったが、兄はそうではなかった。

父親同士もやはり男同士ということからか、敵同士という感情を強く持っていたようだ。特にアロンはイスラエルの軍人だし、サイードはイスラエルの占領政策のため思うように仕事ができずにいたパレスチナ人だから憎しみを持っても当然だろう。

しかし、母親同士は初対面のときから手に手を取り合い、この悲劇が降りかかってきた同じ被害者として共感し合っていたし、息子に対する愛情も同じように持っていて育てた息子への感情も初めて会った実の息子への感情もかなり共有していたようだった。母親が実の息子に初めて触れるシーンというのがすごく印象的だったし、育ててきた息子への対応も2人とも素晴らしかった。このあたりはロレーヌレヴィ監督が女性だから、かなり女性の視点が強く描かれていたのかもしれない。

初めは父親同士の言い争いや、ヤシンの兄の抵抗などはあったものの、ヨセフとヤシン自体はまるで兄弟のように自然に仲良くなり、やがてそれが父親同士や兄も懐柔し、敵同士の2つの家族が自然に融合していった。

兄がヨセフに「自分のアイデンティティを取り戻すんだろ」と聞いた時、ヨセフは「アイデンティティは血だけのことじゃないよ」と自然に言ってみせる。ヨセフはユダヤ人であることを否定されヤシンよりも傷ついているように見えたが、それまでの自分の人生に裏打ちされた自信をちゃんと持った子だったんだなぁ。

ヨセフもヤシンも「ハイブリッド」としての自分を受け入れることができたのは、それまできちんと両親に愛されているというバックグラウンドがあったからなんじゃないかなと感じた。

もう少し侵略者と被侵略者の葛藤みたいなものがあるのかなぁと思ったのですが、それよりももっと2つの家族としての物語にスポットが当てられていました。その辺をもっと期待していた分ちょっと物足りなさはありました。パレスチナ人の怒りってそんな甘っちょろいもんじゃないんじゃないの?と感じたけど、人と人って個人対個人になったときには意外に様々な壁をあっさりと乗り越えてしまうものなのかもしれないなとも感じました。そういう描き方をすることで逆にいかに2つの民族がいがみ合うことが愚かなことであるかを表現したかったのかもしれません。


マラヴィータ

2013-11-18 | シネマ ま行

「Glee」のダイアナアグロンロバートデニーロミシェルファイファーと共演。このニュースを聞いたときから楽しみにしていました。「Glee」ファンのワタクシとしてはダイアナアグロンがデニーロやミシェルファイフー相手に演技をしているのを見るだけでも大満足でした。

フレッドブレイク(偽名)(デニーロ)は元マフィアの大物。現在はFBIの証人として保護プログラムに入り、家族と一緒に各地を転々としている。今回はフランス・ノルマンディーの田舎に引っ越してきた。フレッドは家から出てはいけないことになっているので職業を作家を偽り、日がな一日家にいる。証人プログラムに入っても短気な性格は治らず各地でトラブルを起こしては転々とせざるを得ない。

妻のマギー(ファイファー)は近所のスーパーでフランス語が分からないと思った店員たちに散々アメリカ人を馬鹿にされ、帰り際にそのスーパーを軽~く爆破。何食わぬ顔で帰ってくるさすがマフィアの妻といった女。

長女ベル(アグロン)は超美人で引っ越した当日から高校の男子がほっとかないが、下手に手を出そうとしてきた男子のことをテニスのラケットでフルボッコ。翌日筆箱を盗んだ女子のこともパンチでフルボッコという凶暴性を持つ。そんな彼女だが心は純情で数学の講師に恋をする。

弟ウォレンジョンディレオは一見大人しそうで、すぐにいじめっ子のターゲットにされるが、独自のレーダーで学校初日にして人間関係や生徒の弱点などを掌握。いじめっ子にはすぐに復讐。それ以外にも手段を選ばず、校内の裏番長へのし上がる。

とまぁ、元マフィアの父ちゃんだけではなく、家族全員どっかがキレている。そんな家族のお守り役FBI捜査官にトミーリージョーンズという豪華キャスト。デニーロの自分勝手さにトミーリーが渋い顔する、なんて贅沢だよねー。

デニーロが今回歴代自分が演じてきたマフィアたちを総告発するようなセルフパロディ役で、彼が「アルカポネ曰く~」なんて言うと、いやいや貴方自身だよとつい思っちゃうし、「グッドフェローズ」について町の人たちに語るところなんてもうふざけ過ぎで彼のファンとしてはたまらない。

前半はコメディタッチで痛快です。お父さんが短気な自分をなんとか押さえて想像でムカつく相手をぼっこぼこにしているシーンとかも笑えるし、実際に半殺しにしちゃう相手も実際ムカつく奴らだからこっちも爽快な気持ちになる。妻も子供たちもバイオレンスでありながら、そこにはユーモアがある。

でも、マフィアに居場所がバレてからがなぁ。彼らが総出でやってきて町の警察とか消防員とか罪のない人をばかばか簡単に殺しちゃうのがどうもいただけなかった。これがシリアスなマフィアものなら、「そういう世界」と思って見られるけど、それまでコメディタッチで笑えたのにいきなりシリアスになっちゃうのがなぁ。最後まで軽快な感じでまとめて欲しかった。妻マギーもベルもウォレンもあの抗争で泣いちゃったりしてるのがどうもそれまでのキャラと違ってついていけなかった。あんな抗争になってまでも、ウラーーーーーっ!!!!って楽しんじゃうような無茶苦茶さが欲しかったなぁ。そこがリュックベッソンとタランティーノの違いなのか。

一家が飼っている犬が「マラヴィータ」というタイトルロールだったので、何かキーパーソン(キードッグ)になるのかと思いきや、特にそうでもなかったね。

デニーロ演じるお父さんは"Fuck"という言葉で幾通りもの感情を表現できるっていうのが面白かったです。これもいままで彼が演じてきたマフィア役で培われてきたものでしょうか。それなのにリュックはどうして最後のセリフを"Son of a bitch."にしたの???あれはどう考えても"Fuck!"で終わらないといけなかったでしょう。


ブルーゴールド~狙われた水の真実

2013-11-15 | シネマ は行

松嶋×町山シリーズの「フロウ~水が大企業に独占される」とほぼ同時期に製作されているし、内容も登場する活動家もだいたい似ているので、感想も重複しそうです。ならわざわざ取り上げることもないかもしれないんですが、やはりこういうドキュメンタリー作品というのは一部の映画ファンだけが知っていて、一般の人たちにはなかなか知られていないという現状があるので、紹介しておこうと考えました。

多国籍企業が絡む水事業のことに関しては「フロウ」のほうの感想とまったく同じなのですが、こちらの作品では町中への人口の集中の問題と淡水化技術の問題、そして政治家の腐敗の問題が紹介されています。

人は太古の昔から水を運ぶ技術を持っていて、それに伴って町を発展させてきた歴史がある。しかし、現在の社会では町に人口が集中し過ぎて、山間部から運んでくる水の量が限界となっているという話はこれまでワタクシは考えたこともなかったので、ほぉ~なるほどなぁ~という感じでした。カリフォルニア州のひとつの都市では、水の供給をまかなえないため人口を制限した都市があるらしい。これを住宅を建てる企業が訴えたらしいのですが、企業は負けたみたいですね。その都市以外では、大都市はすべての人口の水をまかなえないという状況になりつつあるらしい。

淡水化技術に関しては、ワタクシは単純にこんなに科学技術が発達している21世紀で、こんなに山ほど海水があるんだからどうしてそれを淡水にして使えないの?なんてのんきに思っていたのだけど、現代の技術を使ってもそう簡単にはいかないものなのですね。コストが相当かかるし、単純に塩を抜いて淡水にしても飲料水などに使用できるわけではないんですね。これも全然知らなかったので、ほぉ~と思いました。

政治家の腐敗については多国籍企業の問題と絡んでくるのですが、多国籍企業が水道事業を独占したいがために、その都市の市長などに賄賂を贈り、その政治家が都市の水道事業を企業に売ってしまうというけしからん話でした。水道事業なんて個人が私腹を肥やしたいために売っていいものであるはずがありませんよね。その後捕まった政治家も何人かはいるようです。

あと、この作品で興味深かったのは「水」そのものでなくとも、海外で生産された農作物などを輸入することでその国や地域の水源を奪っているまたはまかなっているという「仮想水」の考え方でした。アフリカで育てられるバラはヨーロッパなどに渡るのですが、そのバラを育てるために地域の水源が利用され、その周辺の住民たちには十分な水がないのに、バラのために水が使われるということでした。その逆で他国から農作物を輸入することで水資源を補っている国もある。バラ1本に何リットル、牛一頭に何リットルという換算がされているのが興味深かったです。

2本の水に関するドキュメンタリーが製作されて約5年が経っています。あれから少しはマシな方向に向かっているといいのだけど・・・個人的にはなるべくペットボトルなどの飲料を購入しないこととか、水を節約して使うとかしかないのかなぁ。


42~世界を変えた男

2013-11-13 | シネマ は行

黒人初のメジャーリーガー、ジャッキーロビンソンチャドウィクボーズマンのお話。日本人メジャーリーガーが増え、テレビでもメジャーリーグのニュースをよく目にするようになり、選手を始め監督や審判が全員背番号「42」をつけてプレイするロビンソンデーのことを知っている人も多いかもしれない。ジャッキーロビンソンがつけていた「42」番は現在ではアメリカの全球団の永久欠番だ。

1945年、ニグロリーグで活躍していたジャッキーロビンソンをドジャース(当時はブルックリンドジャース)のオーナーブランチリッキーハリソンフォードが周囲の反対を押し切り、ドジャース傘下のモントリオールロイヤルズに入団させる。マイナーリーグで活躍したロビンソンは1947年メジャーへと昇格。様々な困難を乗り越えて新人王を獲得。その後も大活躍する選手へと成長する。

ザ・伝記もの、ザ・野球もの、といった雰囲気の作品でまぁほぼ確実に外さないだろうといった感じの教科書通りの映画。ワタクシは野球が好きだから飽きることなく見ることができました。

ただ、ロビンソンへの差別の様子が随分マイルドに描かれているなぁという気がしました。もちろん、町中で脅されたり、何百通もの脅迫の手紙が届いたり、相手チームの監督ベンチャップマンにしこたま野次られたりと、見ていて気分が悪くなるようなシーンもありましたが、当時の人種差別主義者の黒人に対する憎悪というのはあんなもんじゃなかったんじゃないかなぁと思います。おそらくこれは製作者側の意図的なものかなぁと。ロビンソンとブランチリッキーの偉大な功績を素直に称えるというほうに重点を置きたかったのかなと思います。

差別主義者とそうでない人たちの印象的な描写としては、野球場でロビンソンに「ニガー」という罵声を浴びせる父親を見ていた少年が、同じように真似をして「ニガー」と叫ぶシーンがありました。あの子は「ニガー」という言葉の意味を深くは考えず、ただ父親の真似をしただけだったと思うのですが、あんなふうにして差別の気持ちが広がっていくといういい例だと感じました。

差別主義者でない人のシーンで印象的だったのは、ロビンソンが奥さんレイチェルニコールベハーリーと一緒に町を歩いていたときに白人のおじさんがつかつかとやってきて、警戒するロビンソンに「君の活躍を応援している。このあたりの連中はみなそうさ。機会は平等に与えられるべきだ」と言うシーン。人種差別が吹き荒れるアメリカでももちろん良心的な白人だってたくさんいただろう。

南部出身のチームメイト・ピーウィーリースルーカスブラックがロビンソンにブーイングをする観客の前で肩を組んでみせ「家族に僕がどんな人間か見てもらえる。その機会を与えてくれた君に感謝する」と言ったシーンでは涙が出ました。南部で育った彼にとって、それは自分の命を賭けることでもあったと思うのだけど、彼は勇気を持って行動に出ました。ブランカ選手ハミッシュリンクレイターが黒人だからと遠慮するロビンソンにみなと一緒にシャワーを浴びようと誘うシーンも良かったですね。

ピーウィーリースを演じていたのが、あの可愛らしかったルーカスブラックくんだったからビックリしちゃいました。良い役者さんにはなったと思いますが、もうちょっと大きな役をやる人になるかなぁと思っていたんですけどねぇ。

いつも同じ表情、同じ喋り方のハリソンフォードが、珍しくこの作品では特殊メイクをして喋り方も変えてブランチリッキーになり切っています。普通ならアンソニーホプキンスとかトミリージョーンズがやりそうな役なんですけどねぇ。そこまでこの作品に惚れ込んでいたということでしょうね。このブランチリッキーという人は最初は「お金は白でも黒でもない。緑だよ」と言ってロビンソンの入団を黒人客を増やすためとうそぶいていましたが、本当は大学時代に優秀なプレイヤーだった黒人の友人に何もしてやれなかったことをずっと悔いていて、そのつぐないをしたかったんですね。憎いね。


ある愛へと続く旅

2013-11-12 | シネマ あ行

サラエボの紛争を背景にしたペネロペクルスの主演作ということだけで見に行きました。予告編も見たことがなかったし、予備知識ゼロでしたので、この作品がどこへ向かっているのかまったく知らず、壮大な愛の物語を見るとともに、このサスペンスフルな展開も堪能することができました。

登場人物の個人的な物語の背景にある1984年の共産圏初の冬季オリンピックだったサラエボオリンピック~1990年代のユーゴスラビア紛争~そして現在のサラエボというふうに様々な表情のサラエボを見ることができます。

大学時代(1984年)、詩人の研究でサラエボに行ったイタリア人のジェンマ(ペネロペ)はそこでガイドのゴイコアドナンハスコヴィッチを通してアメリカ人カメラマン・ディエゴエミールハーシュと出会う。イタリアに戻り一旦は長年の恋人と結婚したジェンマだったが、うまく行かず離婚。その後ジェンマを追いかけてイタリアに来たディエゴと結婚する。

2人とも子供を望み、ジェンマはすぐに妊娠するが流産してしまう。ジェンマは不妊であることが分かり、里親制度を利用しようとするが、ディエゴの過去の薬物での前科のため承認されない。

そのころ、サラエボでは紛争が始まろうとしていた。いてもたってもいられないディエゴはサラエボへ飛び、ジェンマも後を追う。サラエボで代理母出産を試みようとゴイコにアスカサーデットアクソイという女性を紹介してもらう。紛争が激化し、産婦人科医も逃げてしまうサラエボでは人工授精はできず、不本意ながら“自然な方法”でアスカにディエゴの子を身ごもらせることになる。

物語はその16年後から始まり、イタリアで夫セルジオカステリット(夫役兼監督)と息子ピエトロピエトロカステリットと共に暮らすジェンマのところにゴイコから数十年ぶりに電話がかかる。「サラエボの紛争を写したディエゴの写真展をやるから息子を連れて来ないか」という誘いだった。この時点で観客はジェンマ、現在の夫、ディエゴ、ゴイコの人間関係がまったく分からない。ジェンマとディエゴはどうなったのか?ディエゴはどうして死んだのか?ピエトロは一体誰の子どもなのか?物語が進むにつれ、そういうことが少しずつ明らかになっていくのだが、最後の最後、現在はゴイコと結婚しているアスカが登場するまで、真実は分からない。

アスカは妊娠し、ディエゴはジェンマよりアスカを愛するようになってしまう。紛争の激しいサラエボで少ない物資をアスカに運び、アスカに尽くす夫。妊娠できない妻は夫を罵倒しながらも、子供をくれるアスカにすがるしかない。そして、出産後息子・ピエトロをジェンマに託し、サラエボを脱出させディエゴはサラエボにアスカと残ったが、その後死んでしまう。ディエゴはあんなにジェンマを愛していると言っていたのに、なんなんだよ!と思って見ていたのだけど、アスカ側から衝撃の真実が語られ、観客は言葉を失う。

ユーゴスラビア紛争におけるキーワードとして「民族浄化」という言葉がよく使われる。特定の民族を排除したり、直接的に殺害したりすることとともに、組織的強姦、強制妊娠が挙げられる。アスカはサラエボに住むムスリムだった。そのことは途中のセリフの中で観客に伝わるようになっている。セルビア人たちは民族浄化と称してムスリムの女性をレイプし、妊娠させ出産させていた。アスカもその犠牲者だったのだ。それを目撃したディエゴは自分がアスカを助け出し、赤ちゃんをジェンマに託しサラエボに残った。しかし、恐ろしい現実を目にしてしまったディエゴは、それを背負ったままこの世にとどまることができず自殺してしまう。

ディエゴはおそらくジェンマよりアスカを愛したわけではなかったのだろう。しかし、アスカが目の前で武装した数人の兵士にレイプされるのを出て行けば自分が殺されるという恐怖でそれを放置した責任を取ろうとしたのではなかっただろうか。なんという悲劇だろう。自殺してしまったディエゴの気持ちが痛いほど胸に刺さってきた。あの時一体ディエゴに何ができたというのか。ユーゴスラビア紛争は死者だけではなく、レイプなどのものすごい数の犠牲者を出した紛争として記憶に新しい。この紛争が世界に残した傷は非常に深い。この物語に登場する全員がその影響をことごとく受け、これからも背負っていかなくてはならない。それでも前を向こうとするアスカ、ゴイコ、ジェンマ。そして、ピエトロ。彼はいつか真実を知ることになるだろう。その時、おそらく彼はみなの支えを得て強く生きていくのだろう。それを予感させるラストではあったが、彼らの過酷の運命に打ちのめされるような物語だった。

大学時代から50代までを演じたペネロペクルス。相変わらず美しくラテン系の特徴も加わって、情熱的な女性を演じさせたらこの世代では右に出る者はいないのではないか。ディエゴを演じたエミールハーシュはペネロペより世代が下だけど、違和感なく見ることができた。彼はジャックブラックとレオナルドディカプリオの真ん中というありえないような顔をしているなぁ。これからが楽しみな役者さんだ。


シャーロットグレイ

2013-11-07 | シネマ さ行

第二次世界大戦下のイギリス。フランス語が堪能な看護師のシャーロットグレイケイトブランシェットは、役人にリクルートされスパイになる訓練を受ける。そんな中イギリス空軍のパイロット・ピータールパートペンリージョーンズと恋に落ちるが、彼はフランスの前線で行方が分からなくなってしまう。フランスへ向かう任務を受けたシャーロットは任務の遂行と同時にピーターを探そうと決意しフランスへ向かう。

シャーロットは偽名で身分を隠し、フランスのレジスタンスのリーダー・ジュリアンビリークラダップの実家で偏屈なジュリアンの父親ルベードマイケルガンボンと共に暮らしながらレジスタンス活動を支援するイギリスとレジスタンスの間の連絡役として危険な任務をこなしていた。

シャーロットがフランス語が堪能という役のはずなのに、フランス側のキャストを見ていただくとお分かりの通り、フランスに行ってからも英語圏の役者ばかりで英語を話すので、フランスに着いた直後は、「ん?ここはまだイギリス?」と混乱してしまいました。クリスティンスコットトーマスなどをキャスティングしない限りフランス語と英語の両方で進めるのは難しかったかもしれないし、マーケティングを考えれば英語圏の人は字幕が多い映画を嫌う傾向にあるのでやっぱり全編英語で作りたかったのでしょうけど、ちょっと興ざめだなぁと思いながら前半は見てしまいました。

でも、物語が後半に進むにつれてだんだんそんなことはどうでも良くなってきて、シャーロットの運命がどうなってしまうのかハラハラしながら見ていました。それにしても本当にケイトブランシェットという女優さんは素晴らしい。なんなんだろうなぁ、あの凛としたカッコ良さ、そして強さと弱さが共存する女性の美しさをこれでもかと表現できる。途中、往年のキャサリンヘップバーンを思わせるようだなぁなんてふと思ったのだけど、そう言えば彼女「アビエイター」でキャサリンヘップバーン本人の役を演じ、あの役でアカデミー賞助演女優賞取ってたんだったと思いだしました。

シャーロットとジュリアン、シャーロットとジュリアンの父親とかの関係が深まっていくのもうまく表現されていたと思います。レジスタンスの活動に関してはちょっとまどろっこしい部分もありましたが、それに絡むイギリス側の思惑なんかも、結局最終的には共産主義的なレジスタンスを助けるのはやめていたとか興味深いところがありました。

ジュリアンの父はユダヤ系であることがゲシュタポにバレて連行されてしまうクライマックス。匿っていた近所の男の子たち2人も一緒に。連行される汽車に走って縋り付くシャーロット。彼女はスパイと疑われて逃げなければいけないという場面でも「やり残したことがあるから」と言ってジュリアンだけ先に逃がした。そんな彼女が「やり残したこと」とは、先に両親を強制収容所に連れて行かれた近所の男の子たちに母親からの手紙を渡してやることだった。いまは仕事で会えないけど必ず迎えに行くから良い子にしているのよ、と。おそらくこのまま強制収容所で殺されてしまうであろう子供たちに最後の希望のニセの手紙を書いて渡してやること。自分の命を賭してでも死に行く子供たちに希望を捧げたシャーロットの勇気ある行動に涙が出ました。

戦争は終わり、フランスで行方不明になっていたピーターは無事に戻ってきた。でももうあの頃には戻れない。あの頃の何も知らなかった自分には戻れない。この感覚はなんか分かる気がします。ピーターとは長い間交際していたわけではなかったから余計かもしれませんが。

ジュリアンに会いに行くシャーロット。偽名のドミニクしか知らないジュリアンに"I'm Charlotte Gray."という決めゼリフ。原作にはないそうなんですが、映画製作者としては言わせたくてたまらんかったやろうなぁと思います。