わが生涯は古都とともに

 
 
 ロシアって、金だの銀だの時代が続いたのだから、その間、もっと女性の画家が多くいてもいいように思うのだが、思うほど多くは見当たらない。

 アンナ・オストロウモワ=レベジェワ(Anna Ostroumova-Lebedeva)は、ナターリヤ・ゴンチャロワやジナイーダ・セレブリャコワら同様、ロシア女流画家の最初の一人。サンクトペテルブルクで生まれ、サンクトペテルブルクの風景を描き続けて、サンクトペテルブルク(=レニングラード)で死んだ。

 同地、高級官僚の家庭の生まれ。やっぱりこの時代、ロシアでは、良家の子女しか絵の道に進めなかったみたい。

 アカデミーで本格的な美術教育を受けた、れっきとした技術を持つ画家なのに、その作品が版画と水彩画ばかりなわけは、アレルギー体質の彼女は、油彩の画材(おそらく油)に接すると、命に関わるほどの喘息の発作を起こしたため。
 こういう画家にこれまで出くわさなかったのが不思議だった。私も油絵の油で、息ができなくなる症状が出たことあったんだ。くッ 油め!

 オストロウモワ=レベジェワは、ロシアで最初に日本の浮世絵を学んだ画家なのだという。アカデミーではレーピンに学ぶが、在学中のこの時期、サンクトペテルブルクで開催されたらしい、日本美術の展覧会に、彼女はドカンとショックを受ける。
 リズミカルな線とカラフルな色彩で描かれた簡略な平面に表わされた、神秘的で幻想的な浮世絵の世界。西洋の油彩画とは異なる造形。油を使わなくても、こんなふうに世界を表現できるんだワ!
 浮世絵に魅了された彼女は、そのせいかどうかは分からないが、アカデミーでの勉学半ばにパリへと旅立つ。パリではジャポニズムを愛する、かのホイッスラーに師事、初めて版画を制作した。
 さらにレオン・バクストのもとで水彩画の技法を磨き、芸術世界展に版画を出展。20世紀初頭、「芸術世界」が確かなものにしたジャポニズムの流れに先立った。

 サンクトペテルブルクとその近郊の、古典的な建築群を取り上げた、ほとんどモノクロームの風景。壮麗で崇高で、しっとりとした静寂とノスタルジックな哀愁を伴う、半ば心象の古都の情景。
 西欧各国を頻繁に訪れ、遠い日本の趣向にも惹かれた女流画家は、故郷の街をこんなふうに彫り込んだ。思い切った構図と線描、淡彩のような柔らかな色調が絶妙な、版画でなければ表現できない詩的な絵があるものだが、オストロウモワ=レベジェワの絵もそういう絵。
 ああ、故郷サンクトペテルブルク。お前はこれからどこへ向かうのだろう。

 革命後はいろいろな美術学校で教鞭を取り、人民芸術家の栄誉称号を得ている。
 大戦中は包囲されたサンクトペテルブルク(=レニングラード)に留まり、制作を続けた。

 画像は、オストロウモワ=レベジェワ「春の主題」。
  アンナ・オストロウモワ=レベジェワ
   (Anna Ostroumova-Lebedeva, 1871-1955, Russian)

 他、左から、
  「エカテリーナ運河」
  「雪の海軍省」
  「冬の夏庭園」
  「鎖橋」
  「パリの花火」

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