車椅子の画家

 

 私はアナログ人間のせいか、PC画面で文章を読むのがのろい。しかも、頭に入らない。で、画家のバイオグラフィを読むときには、それをプリントアウトして読む。
 が、うちにはプリンターがない。なので、プリントは相棒にしてもらう。

 今ちょっと、ロシア絵画にハマっているので、何人かのロシア画家のバイオグラフィをプリントするよう、相棒に頼んでおいた。持ってきてくれた数枚の紙をパラパラとめくってみると、頼んでいない画家のがあった。
「誰、これ?」
「それはオマケだよ」
 相棒の買うCDのジャケットには、絵画が載っている。ロシア作曲家のCDには、ロシア画家の絵が載っていたりする。相棒はそれを、いちいち全部憶えている。どうも、ものを憶えるのが好きみたい。 
 
 このオマケの画家というのがクストーディエフだった。クストーディエフという画家は、知らなかったな。

 ボリス・クストーディエフ(Boris Kustodiev)は、帝政ロシア最後期の代表的画家の一人。故郷はアストラハンという、南ロシア、ヴォルガ川がカスピ海へと注ぐところの、島々からなるデルタ都市。
 画家のキャリアにたがわず、アカデミーに学び、ヨーロッパ各国を歴訪、その後、革新的な芸術家グループ「芸術世界(ミール・イスクーストヴァ)」にも参加している。
 が、この頃から難病の最初の兆候が現われ、キャリア半ばで下半身不随、車椅子の生活となる。
 
 アトリエ生活を余儀なくされた彼は、少年・青年時代の記憶や、空想をもとに、絵を描くようになる。クストーディエフの描く絵は、とにかく朗らかで楽しげ。
 
 市場や広場、街景を見晴るかす公園、市街をわたるプロムナード、村の雪野原、などなど、どこでもみな、人々が笑いながら集っている。「十二日節の前夜祭(トゥエルフス・ナイト)」や「パンケーキの火曜日」などのフェスティバル、果てはロシア革命やボリシェヴィキの行進まで、人生の謳歌とばかりに賑わしい。パン屋や給仕、宿屋の主人、風船売りに船乗りに御者、と、庶民たちはみな、陽気と言うか呑気と言うか、とにかく屈託がなく、なんだか、うきうきした気持ちにさせられる。
 北の国ロシアらしい、凍てつく雪原のなか、毛皮のコートを着て橇を走らせるシーンは、本来ならもっと寒々しいはずなのに、そうでないのは、人々の赤い頬っぺたの笑顔のせいなのか、遠くに見える玉葱屋根のせいなのか、それとも雪の降ったあとの晴れ渡った青い空と、きらきら輝く陽光のせいなのか……

 これらの生き生きとした、カラフルな絵は、どこにも画家の病苦を感じさせない。これらのイメージが、クストーディエフの追憶や想像によるものなら、彼はきっと、素朴で心の温かな人だったんだろう。私、この画家、好きだな。
 クストーディエフは、自分の娘と同じ学校に通っていた、のちに作曲家となる少年ショスタコーヴィチとも、心温まる親交を結んでいたという。が、病気が進行したのか、49歳で死んでしまった。

 適温範囲の狭い私は、いずれ、寒いときには南の国へ、暑いときには北国へ、渡り鳥のごとく移動しながら、常に過ごしやすい気候を求めて転々としようと思っていた。が、そんな生活では描くことのできない情景もあるのだと気づいた、今日この頃。

 画像は、クストーディエフ「雪の露店」。
  ボリス・クストーディエフ(Boris Kustodiev, 1878-1927, Russian)
 他、左から、
  「ライラック」
  「お茶を飲む商人の妻」
  「ロシアのヴィーナス」
  「パンケーキの火曜日」
  「夏の休暇」

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