まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

ゆりがおか児童合唱団50周年記念演奏会

2021-09-04 20:39:53 | 音楽








あ、特に拘りませんので。

前日リハ。ひと通り歌い終わり、並びこれでいいですか?と聞いた時。
大ちゃんのえへらえへらは、本当に、いつ見ても脱力する。
いやいや、拘るでしょ。べきでしょ。内心焦った私達は自分らで各自の立ち位置を確認した。下手端の私は、上手端に向かって「山台二番目のビスが爪先でーす」と叫んだ。

大ちゃん、もとい、藤井先生の卒団は私と同じ年だったらしいことを今回の練習で知った。成長速度が早くて、小5の春に変声のため「追い出された」のだという。男の子の卒団は中3という決まりだったので、なかなかに短い命だった。もしかしたら彼の透き通った硬質な輝き溢れるボーイソプラノは、短命なればこその神様からのギフトだったかも知れない。

今回、現役ちゃんたちのステージを見てびっくりしたのは、まぁまぁ大きな男の子、っていうか、野郎たちがゴロゴロしてたこと。聞けば今は中3卒団制度はあるようなないような、残りたかったらどうぞどうぞ、ってことになってるそうだ。

創立者がなくなって11年、藤井先生は指導に徹し、運営はスーパー切れ者の団員保護者様が中心となり、他の保護者様らとのチームで支えてきた。ピアニストの和田先生も、ボイトレの城尾先生も協力を惜しまなかった。和田先生は都内の自宅から、朝6時起きでリハに来てくれてるそうだ。小澤征爾と仕事した方が、である。何が幸せって、和田先生の伴奏で「小鳥の旅」が歌えること。これ以上の素晴らしいことってあるだろうか。藤井先生は出だしの合図はするけど、和田先生の前奏は手を前に組んでちょっと真面目くさった顔をうつむけて聴いている。歌のはじまりでようやく指揮を始める。そしてときどき、えへらえへらする。それはたとえば「楽しく」の「た」の発音のとき。破裂音と吐息の混ざり加減が、山田先生に習った団員独特なんだって。それと、Uが限りなくOに近い音になることも。確かに言われてみればわかる気がする。中学生の時、NHKみんなのうたの収録で、「夏は来ぬ」の出だし「卯の花」のう、が「気に入りませんっ」って金魚鉢の向こうからカンカンになって指導されたことを思い出す。ガラスに仕切られててこんだけ怖いんだからもうどういうことよ、って必死に何度もテイクし直したけど、あれ、スタッフさんや作曲家先生も迷惑しただろうな。

オーディションもない、厳しいルールもない、そんな田舎の児童合唱団が50年も存続し、時にはプロのオペラやバレエに呼ばれ、ヨーロッパ遠征にも出かけた。創立者にカリスマ性と実力があったからであることはもちろんだけど、そこまでのスーパーパワーのある個人ではなく、優秀で善良な「ふつうのひと」が何人も集まって支えた11年のなんと尊いことかと思う。

ましてやこのコロナウイルス騒ぎである。
OG練習が始まって久しぶりに懐かしい幼稚園に辿り着いたとき、まず門の前に待機してくださっていた保護者様に驚いた。門は電子キーで施錠されているので、私達が集まるタイミングで開けてくれるためである。それからひとりひとり検温結果と連絡先をリストに記入する。もちろん消毒液も用意してくれている。こどもたち同志の安全な距離を測るため、長い紐に150センチずつ印をつけたものが自作されてる。こどもたちは、この暑い中ホールで振り付きで歌い踊る間も、ずっと不織布マスクをしている。
今のこの状況の中で演奏会を開催するということは、こういうことなのか、と改めてその厳しさを知る。チケット申込み時は個人情報が必要だし、いつもこどもたちが楽しみにしている花やお菓子などの差し入れも伏してご遠慮申し上げている。終了後はお客さんとロビーではなく建物の外で挨拶するように、との通達まであった。いつもはこどもがぎゅうぎゅうの楽屋はがらーんとしていて、こどもらは大きな会議室にぽつりぽつり離れて自分のスペース分の敷物をしき、上着やかばんや水筒を置いている。制服は家から着てくるし、食事も済ませてくるのだ。

こんなにギチギチに固められた状況ではあるけれど、ひとたびステージに立てば、藤井先生が海のような包容力でこどもらを好きにのびのびと歌わせてくれる。結果、マスクしてるにも関わらず、彼らの歌声はホールいっぱいに響き渡る。楽しげな表情がちゃんと見える。

そんな現役たちの素晴らしいステージの後、休憩はさんでわたしたちの出番。袖で音を立てずに円陣、手を重ねてサイレントな気合。
ソーシャルディスタンスの結果、今までに経験したことがないほど、客席から遠い立ち位置。ホールの一番奥、真ん中、ちょい上に向かって声を放つ。そこに恩師の気配がするから。一区切りごとに、今のは気に入ってくれたかな、とか、あーいまは完全にダメ出しだな、とか思う。でも最後の最後はきっと、藤井先生と和田先生に、ありがとうって言ったとおもう。ほんとに良い歌が歌えた時、胸の前に小さく手を合わせて、口の動きだけで私達にそう言ってくれたように。

聴きに来てくださった、恩師のお嬢さんが、OGのステージは昔のなつかしいゆり児の声でした、とおっしゃった。それを聞いてとても安心した。ひそかに、またいつかお声かけてもらったら歌えるように、錆びないように手を入れていこうと思った。ほんとは乗りたくても乗れなかった仲間がたくさんいるしね。

そして世の中落ち着いたら、なつかしの東山荘合宿してやろうと思ってる。ラジオ体操して朝ごはんたべて練習して、昼ごはんたべて練習して、夜ごはんたべて練習して、お風呂入って夜ふかしして見回りの先輩に怒られるやつ。あと、小さいクラスだけレクリエーションがあったのが羨ましかったからそれもやる。二段ベッドふたつの四人部屋に50過ぎた大人が詰めてたらちょっとおもしろいね。

思い出した時だけ、おいしいとこだけ、ちゃっかり参加する私達を受け止めてくれた先生方、運営保護者様方、現役ちゃんに心からありがとう。こんなに温かい場所を創ってくれた山田先生にも感謝。そして一緒に歌った、歌えなかったすべての仲間に、ありがとうね。