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地獄について この無視された真理   ◆12、聖トマス・アクイナス(1225-1274年)「神学大全」から。

2017-04-23 06:57:34 | 天国・地獄
『地獄について この無視された真理』アロイジオ・デルコル神父、21

◆12、聖トマス・アクイナス(1225-1274年)「神学大全」から。

 トレント公会議のときには、この神学大全は聖書といっしょに祭壇の上におかれていたが、これは当時の教会がどんなにこの神学大全を大事にしていたかを示すものである。最近では、多くの超進歩的な神学者がこの神学大全を無視して、多くの異端説にながれてしまった。しかし、教皇レオ13世、ピオ11世、ピオ12世、ヨハネ・パウロ2世は、聖トマスの思想を大事にしなければならないことを再三忠告されている。

 第2次ヴァティカン公会議は、聖トマスの神学大全とその他の著書を合わせて23回引用し、キリスト教的教育に閲する宣言(10条)の中で、神学の研究において、「特に聖トマス・アクイナスの手本にならう」ことを命じ、司祭の養成に関する教令(16条)の中で、教義神学を教えるにあたって、「聖トマスを師」としなければならないと定めている。

 神学大全の補足巻の中に出る目立った断言は、次の通り。

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 亡びた人々は、決定的自由意志をもっていて、それはかれらにおいていつも悪に向かっている。

 亡びた人々は、悪意にみちた自由意志をもって罪に愛着しているから、ほんとうをいえば罪をくやむことは考えられない。しかし、罪の罰に苦しめられているから、罪をおかしたことで喜ばない。

 存在しないなら、永遠の不幸の生活から解放されることになるから、亡びた人々にとっては、存在しつづけるよりも存在しないほうがましだといえよう。この理由で亡びた人々は、存在しないことを好むだろうが、それは不可能である。

 亡びた人々は、すべての善人が亡びることを望む。

 亡びた人々のうちには、完全な憎みが支配している。

 亡びた人々の天罰においても神のあわれみがあらわれる。それはどういう意味かというと、かれらが本当にうけなければならない天罰よりも、かるい天罰をうけているからである。亡びた人が生存中他人に対して何かあわれみ深いことを示したことがあったら、神はこの行為に対して特別にあわれみを示して、もっとかるい天罰を与えておられる。

 亡びた人の数がふえればふえるほど、亡びた人々の苦しみもふえる。しかし、亡びた人は、自分ひとりで少なく苦しむよりも、たくさんの人というしょに苦しむことを好むほど憎みとねたみにかられている。

 亡びた人々は、神がかれらを罰し、そしてかれらが出来たら悪意によって悪を行おうと望んでいることを禁じておられるから神を憎んでいる。つまり、かれらは、神のことを罰するもの、禁じるものとしてしか考えないのである。かれらは、神の正義の結果、つまり自分たちの天罰によって神を知っているから、自分たちがうけている天罰を憎むと同じように神を憎んでいる。

 亡びた人々は、生きている人を亡びにさそうことができない。それは、悪魔がすることである。

 地獄の火は、そこにおちたものに自由勝手にさせないことをもって、大きな苦しみを与える。このものたちは望むところにも望む方法をもっても自由に行うことができない。

 地獄の罰は永遠につづく。地獄がいつか終わるだろうというオリゲネスの説は、根本的にまちがっている。

聖ジェオルジオ殉教者  St. Georgius Mart.   軍人の守護者

2017-04-23 06:49:08 | 聖人伝
聖ジェオルジオ殉教者  St. Georgius Mart.   軍人の守護者       記念日 4月23日



 聖会の初代にはローマの軍隊中に数多のキリスト信者が出来、殉教した人も少なくなかった。かように軍人が入信し易かったのは恐らく厳しい軍紀に慣れた身には聖教を守ることも難しくなく、またいつ何時祖国の為生命を投げ出さねばならぬか解らぬ身には天国の観念が大いなる慰安となったからであろう。それは兎に角、本日語らんとする聖ジェオルジオもやはりそういうローマ帝国の勇ましい軍人の一人であった。

 彼は昔から公教会の栄えある聖殉教者中に数えられ、ギリシャ正教会に於いてはより以上の尊敬を得て大殉教者とさえ呼ばれている。彼に献げられた聖堂は既に五、六世紀頃から建て始められ、十字軍の時代には英国の獅子王リチャード一世が彼を己が軍隊の守護者と頼んだが、それ以来ジェオルジオは一般軍人の保護の聖人と仰がれるに至った。

伝説によればこの聖人は紀元二百八十年頃小アジアのカッパドキアに生まれ、少年時代軍隊に入りディオクレチアノ皇帝の寵愛を受け将校に抜擢されたが、キリスト教迫害が起こったとき、皇帝の御前に出てはばかる所なく信仰の有り難さを説き、天地万物の創造主なる真の神を認めて己が救霊を計るべき事を勧めた為、その逆鱗触れ、棄教を厳命されても毅然として之を許否した皇帝は武勇勝れたこの好青年将校を惜しんで、いろいろと説得に努めたが、「その儀ばかりは平にご容赦下さいませ」とどうしても棄教をしないので、今は之までと斬首の刑に行うべき旨を命じた。かくてジェオルジオが天晴れ殉教の死を遂げたのは302年の事であった。ローマ殉教録には彼を「殉教者の冠」と賞賛している。。

教訓

 我等公教会信者は堅信の秘跡によって天主の兵士たる資格を得ると言われているが、この資格は超自然的なもので実際霊魂に付与されるのである。ただし天主の兵士とはもちろん喩えに他ならぬ。即ち兵士が君国のために戦う如く、我等も天主の御国の為、悪魔、世間、肉欲等の敵を相手に闘わなければならぬとの意味である。聖パウロは之を諭して「我等の戦うべきは血肉に向かいてには非ず、悪霊に向かいてなり。されば起て汝等、身に正義の鎧を着け、信仰の楯を取り、救霊の兜と神の御言葉の剣を執れ!」(エフェゾ書 6・12-18)と言っている。