親愛なるLazero(ラゼロ)神父様と生徒諸君
生徒諸君は、私の瞳のようなものです。この手紙で君たちに私の気持ちを聞かせたいと思います。
私が皆さんを愛していることについては、ここで言う必要がないでしょう。今まで何回も明白にそれを示したことですから、その上君たちが私を愛してくれていることについても、いつも示してくれているので、言わなくてもわかっています。
さて、この互いの愛は何に基づいているのでしょうか。さいふに基づいているのでしょうか。私のさいふなら、違うと思います。なぜかと言うと君たちのためにいつも空っぽになっているからです。君たちのさいふに基づくわけにもいかないでしょう。なぜかと言うと、失礼ですが、君たちにはさいふがないからです。結局、私が君たちを愛しているのは、キリストの御血によって、あがなわれた君たちの霊魂を救うためです。そして君たちが私を愛しているのは、諸君を永遠の救いの道に導きたいからです。ですから私たちの相互の愛は私たちの霊魂の利益に基づいているわけです。・・・(略)
一八七四年六月二十日 ヨハネ・ボスコ神父(聖ドン・ボスコ)
"Memorie Biografiche 10",p.769
生徒諸君は、私の瞳のようなものです。この手紙で君たちに私の気持ちを聞かせたいと思います。
私が皆さんを愛していることについては、ここで言う必要がないでしょう。今まで何回も明白にそれを示したことですから、その上君たちが私を愛してくれていることについても、いつも示してくれているので、言わなくてもわかっています。
さて、この互いの愛は何に基づいているのでしょうか。さいふに基づいているのでしょうか。私のさいふなら、違うと思います。なぜかと言うと君たちのためにいつも空っぽになっているからです。君たちのさいふに基づくわけにもいかないでしょう。なぜかと言うと、失礼ですが、君たちにはさいふがないからです。結局、私が君たちを愛しているのは、キリストの御血によって、あがなわれた君たちの霊魂を救うためです。そして君たちが私を愛しているのは、諸君を永遠の救いの道に導きたいからです。ですから私たちの相互の愛は私たちの霊魂の利益に基づいているわけです。・・・(略)
一八七四年六月二十日 ヨハネ・ボスコ神父(聖ドン・ボスコ)
"Memorie Biografiche 10",p.769