カトリック情報 Catholics in Japan

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何ゆえに愛するか  聖ヨハネ・ボスコ(ドンボスコ)

2017-04-30 11:58:26 | 格言・みことば
親愛なるLazero(ラゼロ)神父様と生徒諸君

 生徒諸君は、私の瞳のようなものです。この手紙で君たちに私の気持ちを聞かせたいと思います。

 私が皆さんを愛していることについては、ここで言う必要がないでしょう。今まで何回も明白にそれを示したことですから、その上君たちが私を愛してくれていることについても、いつも示してくれているので、言わなくてもわかっています。

 さて、この互いの愛は何に基づいているのでしょうか。さいふに基づいているのでしょうか。私のさいふなら、違うと思います。なぜかと言うと君たちのためにいつも空っぽになっているからです。君たちのさいふに基づくわけにもいかないでしょう。なぜかと言うと、失礼ですが、君たちにはさいふがないからです。結局、私が君たちを愛しているのは、キリストの御血によって、あがなわれた君たちの霊魂を救うためです。そして君たちが私を愛しているのは、諸君を永遠の救いの道に導きたいからです。ですから私たちの相互の愛は私たちの霊魂の利益に基づいているわけです。・・・(略)

一八七四年六月二十日 ヨハネ・ボスコ神父(聖ドン・ボスコ)

"Memorie Biografiche 10",p.769

聖ピオ5世教皇   St. Pius V. P. P.

2017-04-30 11:39:23 | 聖人伝
聖ピオ5世教皇   St. Pius V. P. P.    記念日 4月30日

 1565年にピオ4世教皇が亡くなった時、最適任者としてそのあとを継いで教皇となったのは、アントニオ・ミカエル・ギスリエリで、彼は1556年に司教に任命されるまで、ドミニコ会の学校で哲学と神学を教えていた。

 ピオ5世として教皇の座についた時、教皇登位を祝う代わりに、その費用を全部ローマ市内の貧しい人々や、経営困難の修道院に送った。司教や司祭は信者達から遠く離れて住むべきではないとして、司教区と小教区に住まわせ、ローマ市街における闘牛や動物いじめを禁止し、日曜日を聖日として守るように勧め、月に一度、特別な法廷を開いて、不正に扱われている者を招いて、その言い分を聞くようにした。

 1571年、トルコ軍が東欧のキリスト教国を侵略し、大艦隊を連ねてイタリアへ向かってきた。ピオ5世教皇はヴェネツィアとスペインの君主と協議して連合軍を組織し、敵を迎え撃つことにした。同年10月レパントの戦いでトルコ軍は撃滅された。ピオ5世の教皇としてわずか6年しか在位しなかったが、偉大な業績を残したのであった。