「腰を上げない」って、派生的な意味ではなく、文字通りの意味です、以下。
研究室で座ったままで対応される先生が私は嫌いだ。
以前渡すものがあってある先生の部屋に行ったとき、相手は座ったままで、結果、私は「ここにおいておいたらいいんですかっ」とほとんど喧嘩腰で渡すものをテーブルの上において出た。ゆるせねえ、と思った。
ところが、昨日、同じことを自分がしてしまった。
それは年下だけれどもとても尊敬している先生で、私のスペイン語の師匠で現代ラテンアメリカ文化の師匠なのだが、
お貸ししていたDVDを返しに来てくださったのだが、
ちょうど学生とPCに向かって作業をしていたときで、いかん、たたんと、と思いながら、まったく立ち上がらず、どこにおいてくれともいわず、彼はちょうど前述の私のようにテーブルにものをおいて出て行かれた。。。。
あのですね。
別に失礼をしようと思って立ち上がらなかったのではなくてね。
腰が上がらなかったの。
今その時していた作業から頭が切り替わらず、
先生がいらっしゃったことは認識していながら、
そうだ、立ち上がって受け取らねば、とぼんやりわかっていながら、
ちゃちゃっと指令を作って体にその指令を届けることができなかったのだ。
いかんよこの対応・・・と思っていながら、頭と体に指令が届かないのだー。
おー、これも加齢現象の一つに違いないっ!
あまりにも失礼な自分の対応に、そのあとで廊下で会ったときすかさず呼び止め、
意味も脈絡もなく他のDVDを押し付け、何とか関係を保ったのであった(と思いたい。。。)
お年寄りの態度が時に横暴に思えるのは、実はその人の人格とは関係なく、単に認知的身体的機能の衰えのためだと皆さん、ご理解いただきたいものです。
まことに、自分がその年にならないとわからないことって本当に多い。。。。
こうして大きくなっていくのだ。
その師匠からいただいた、先の記事でご紹介した(って読者はいるのかしらないが)CD, Vincentico の「Los rayos」の中の一曲。
Los caminos de la vida
no son lo que yo pensaba
no son lo que yo creia
no son lo que imaginaba
(いいかげんな訳)
人生の道は考えていたようにはいかない。
思っていたようにはいかない。
想像していたようにはいかない。
そうっすね。
3年後のシニア日系ボランティアを心の支えにする今日この頃。
体力作りをせねばならないのでせめて歩こうと思って歩いて買い物に行ったら、なんと、ただ歩いていただけで転んだ。。。
2回続けて。。。
歌の続きはこう。
Los caminos de la vida
son muy dificil de andarlos
人生の道は歩くのが難しい。
普通の道も難しい。。。