おばば院生,その後

主婦から40代で大学院入学・博士取得。非常勤日本語教師を掛け持ちしてきた凡人母院生。縁あって大学の先生に。

ふしぎなつながり

2010-06-27 02:06:13 | Weblog
友人に声を掛けられて,ある面接に行ってきました。

ふしぎなことに,私の若いころの学部・大学院での専攻とそこでの先生たちとつながりのある先生たちがそろっていらっしゃって,「おやまあ」的な世界でした。

不思議なつながりの世界でした。

人生,こういうこともあるのですね。20年以上もたって,はじめてそのころと現在がつながるってことが。

案外,こうして過去のいろんなことがつながって,また分かれて,をくりかえしながら,人生終わるのかもしれませんね。一人の人生,常に新しいことの積み重ねというのではないのかもしれません。

今回のいわば一瞬の「再会」も,また流れの中で別れていき,そしてまたいつかひとときつながるときもあるでしょう。



久しぶりに家で一日過ごせる休日の今日は,一日中,「満中陰志」のリスト作りと発注,医療保険の相続人請求書類の作成で終わってしまいました。
そのあと,担当のクイズ作り。
サマ―コースのテキスト決めとシラバス作成,テスト出題基準作成,新テキスト作成の担当課作成,の3つがこの週末の課題でまだ残っている。でも早や2時だよ~(汗)

あきらめる

2010-06-10 05:24:44 | Weblog
「これがだめだったら,もう就職活動はしない」

と思っていた応募先にあっさり「応募資格」のチェックの段階でけられてしまいました。

これからの日本語教師,特にこの歳で常勤経験もないのでは,その上英語もできない上にプラス1の語学ができない人では,いくら学位があっても選考にすらいけません。

ここらあたりに住んでいて,日本語教師の非常勤はいつその仕事がなくなるか不安定すぎます。
真剣に他のことを考えなくてはいけません。


ということで,おばさん「院生」の看板は外そうと思います。
過去はきっぱり切って,教育費をかせぐ現実的な手立てを考えます。

ということで。

日々の生活と「研究」

2010-06-04 10:02:33 | Weblog
「研究」とは特別な職業の人用のもののような気がしてなりません。大学の先生とか,院生とか。

そのどちらでもない私は「研究」しても意味があるのでしょうか。


・・・と,やっとそんなことを考えられるくらい時間ができました。
非常勤掛け持ちも,2年目は1年目とは比べ物にならないくらい楽です。零から作るのととりあえずあるものを敲いたり捨てたり工夫するのとでは全く労力も気力も違います。

でも,そうしてルーティン的に日々が過ぎるようになればなるほど,「研究」が“身分違い”?のもののように思えてきました。
しかも,最近の私の授業観は「授業,そして言語学習はその場と人と教材の間で巧みに生み出されていくもの」なので,その場限り,でもあり,「その場」をどうマネージメントするかは「その場」で決めていくこと・決まっていくこと。だから研究しようにもどうも漠然として絞れません。
そして,絞ったところで,「何?」的でもあります。この後,常勤の「先生」になるわけでもなし,このハードな非常勤勤務形態がまさか60まで続けられるわけもなし,さらに非常勤はやめたらそのあとは零です。おこさまがみな大学を卒業するはずの7年後までなんとか教育費を稼ぐべくパートを続けていくだけです。。。

おおー,後ろ向きじゃー。