おばば院生,その後

主婦から40代で大学院入学・博士取得。非常勤日本語教師を掛け持ちしてきた凡人母院生。縁あって大学の先生に。

過保護の母と発信すること

2009-12-27 11:48:57 | Weblog
突然ですが,わたしはかなり過保護の母です。
昨日は「事務が閉まって学割が取れなかったー!」と言う息子その1に「バスで帰れ~!」とメールしながら(新幹線で帰ることになっていた),「どーやって探したらいいかわからんぅ」という返信に,すぐネットでバスを探して予約までしてやる母でございます。彼は,実は,情報系の学科にいるのですのにだ。そんなやつが,なんでバスを探せんはずがありましょうや・・・。

いいんです。体が動いちゃうんですから。

そして今朝は5時50分起きでサッカー遠征に行く息子その2を学校まで送迎。
自転車で行かせろよー,という声が心の中でするのですが。。。

母でございます。
そして急きょ明日の夜行バスで帰ってくることになった息子その1。
父母に話があるそうです。
劇団に入りたいそうなんです。
入会金がいるそうなんです。

東京・私立・理系の三拍子の上に・・・。

でも,なんとかやらせてやりたい,と思うのでございます。

やりたいことがあるって,いいと思うからです。
振り返れば,私も南米に行くときお金を両親に頼みました。そしてそれは,本当に本当に行ってよかった。
それは,「就職に役立った」とか具体的な「○○が身に付いた」というのとは違う,”宝物”みたいなもので,とてもとても大切なもの。


さて,だんなの意見はどうかなぁ。。。
そして,お金,どうやって捻出すべかね。。。。

カモはネギしょってやってくる,というのを,私は結構信じている。

一家の主婦が,これかいな。。。
だからうちは貧乏なんだ。。。。

あれ,タイトルと内容が合わない。いえ。こうして再び発信するようになって・表現するようになって,ちょっと気持ちが前向きになっています。やはり,発信すること・発信するために表現することは,人間にとって見えない効果があると思う。はい。1月からライティング・クラスがはじまります!

いまひとつのもりあがり

2009-12-26 09:23:53 | Weblog
が,私の中に沸いてきません。
論文もどきを書き終えてはや1年。ずっとこの状態が続いているようです。

おしえるほうも,
研究するほうも,
生活するほうも。

なんと言いますか,ふわふわ感がずっと続いたままです。

原因は何か。
「燃え尽き」とも違う気がします。
となれば,更年期,でしょうか。
うーむ。

しかし,ふつう,そんな「盛り上がり」なんかなくても人間日々暮らしていかなくてはいけないわけです。

ほんとうは,山のような添削,6日から始まる授業の準備,12日から開講する授業計画の作成などがあるのですが,そういうのは「休み」である以上,してはいけない気がしているわけです。

「休まなければいけない」という,一種の強迫観念かもしれませんなぁ。。。
それが1年続いている,っていうのも,どうなんでしょう。。。

本当は,「授業研究計画の立案」というのをしよーよーという気持ちがあるのですが,ほら,それを思った・書いただけで頭が自主的にぼやぁっとなるんですよねぇ。。。

40代になって弱い頭に無理させちゃいけんかったんかなぁ,などと思う年の瀬でございました。
いつか,このふわふわをなんとかしたいものなのですが・・・。
あるいは,ふわふわとうまく付き合っていく方法をとるか,ですなぁ。

そんななか,勝手に,冬休みの目標に「坂の上の雲」全巻を読む,というのを立てました。

・・・ほら,やっぱり,「目標」とかつくんないと落ち着かないあたり,困ったもんです。

海の底から浮き上がる

2009-12-22 09:01:33 | Weblog
海の底から意味もなく戻ってまいることにしました。

ぶろぐは「公開を前提とした日記」なわけで,ある意味自己矛盾ですが,やはり発信手段のない市井の民にはいじらしい発信手段なのかもしれません。って,復活早々意味のない文,書いてます。

去年の今頃はーと,元ゼミ友で今同じ非常勤の友人とよく話します。
今の生活とのあまりの隔絶感。
昨日久しぶりに元ゼミの先生からゼミ生MLに「○○さんが研究書を2冊出版しました。みなさんもどんどん科研に応募して報告書や研究書を出していきましょう」とメール。この「みなさん」に私は入っていないんだなぁ。。。ゼミの卒業生はほとんど大学の”先生”になっている。「科研」はそんな先生たちのもの。

いじけた私はひそかにつぶやく。

仕分け人さん。ここ,むだがありますよ。

そんな性格,いえ,生活の中でも,「あ,この先生の講演,絶対行きたい!」と思うものがあって,先週末,とある都会に行ってきました。
うーん。

「教室はひとつの社会」

はい。私もそう思います。

「そこでの言葉が外の社会で通用しようがしまいがいいんです」

はい?
いいんですか?
学習目的ってもんはないんですか?
学習者は教室を生きるために来てるんですか?

社会派・哲学派で知られる講師先生。おそらく,先生自身,発言通りに思っていらっしゃるわけではないと思う。
ではいったい。。。

研究の知見と現場の知見が絡み合う場であるはずの研修会の場。
せっかく設けていただいた場なのに,ちょっと残念。
でも,研究と現場を結ぶ「研究」について「考える」機会ではあったかも。研究者に頼らず教師が自立して実践研究していかにゃならん,と。
うーむ。これが講師先生の狙いだったのだろうかねえ。。。

でも,もう一つの目的である冬休みのお買い物はしっかり楽しんできました。
いやあ,都会はいいねえ