Service learningを知るきっかけになったH. Grabois, "Contribution and language learning: service-learning from a sociocultural perspective", (In J. P. Lantolf & M. E. Poehner, Sociocultural theory and the teaching of second language)を後期のプランニングを前にもう一度読みました。
まとめのところで彼女(彼?)の執筆の本音みたいなもんが書いてありました。
There are language learing environments, however, that provide powerful testament to the fact that learning is indeed taking place, despite not emerging from second language theory. In these cases you can't help knowing it when you see it and service-learning is one such 'it'.
きっと彼女は第二言語教育・学習方法としてのサービスラーニングの理論づけを試みようとして社会文化論との親近性に気づくけれども、どんなに親近性があってもサービスラーニングが社会文化論から導かれた教育方法論ではないのは事実だし、じゃあ、どうすればいいんだーっという葛藤の中で、理論づけという考え自体を捨ててメタファーという方法でサービスラーニングを説明しようと思い付いたんだと思う。
私自身の院での葛藤プロセスと似ていて、さらに私自身の考え方と親近性を持った理論も共通していて、彼女の葛藤を読んで、おそらくこれを書くに至るまでの彼女同様に、私自身がいかに理論というものを実践研究に必要なものであると思っていたかに気付かされた。
I know it when I see it. というのも実践研究にはあっていいのかな。
今夏はじめ、幸運にも同じパネリストとしてお話しさせていただけたK先生が、実践の公開を始めたきっかけとして「こーんなおもしろいことやったから見て見て~!」という気持ちで始めたとおっしゃっていたのがなんだか新鮮なものとして心にぽんっとはいってきたが、私は「今回のこの実践、おもしろかった!」ということがあっても、(理論的)裏付けがないから人に見せられない、という理論的なものへのこだわりがあったのかもしれない。裏付けのないものはだめです、みたいな研究界のルールにからめとられていたかなぁ。。。
自分のこだわりからちょっと解放された気分。
でもって、夏休みのはじめとおわりがなんだかつながった気分。
来週からまた忙しい日々になる。
めざせ、春休み!
・・・
まとめのところで彼女(彼?)の執筆の本音みたいなもんが書いてありました。
There are language learing environments, however, that provide powerful testament to the fact that learning is indeed taking place, despite not emerging from second language theory. In these cases you can't help knowing it when you see it and service-learning is one such 'it'.
きっと彼女は第二言語教育・学習方法としてのサービスラーニングの理論づけを試みようとして社会文化論との親近性に気づくけれども、どんなに親近性があってもサービスラーニングが社会文化論から導かれた教育方法論ではないのは事実だし、じゃあ、どうすればいいんだーっという葛藤の中で、理論づけという考え自体を捨ててメタファーという方法でサービスラーニングを説明しようと思い付いたんだと思う。
私自身の院での葛藤プロセスと似ていて、さらに私自身の考え方と親近性を持った理論も共通していて、彼女の葛藤を読んで、おそらくこれを書くに至るまでの彼女同様に、私自身がいかに理論というものを実践研究に必要なものであると思っていたかに気付かされた。
I know it when I see it. というのも実践研究にはあっていいのかな。
今夏はじめ、幸運にも同じパネリストとしてお話しさせていただけたK先生が、実践の公開を始めたきっかけとして「こーんなおもしろいことやったから見て見て~!」という気持ちで始めたとおっしゃっていたのがなんだか新鮮なものとして心にぽんっとはいってきたが、私は「今回のこの実践、おもしろかった!」ということがあっても、(理論的)裏付けがないから人に見せられない、という理論的なものへのこだわりがあったのかもしれない。裏付けのないものはだめです、みたいな研究界のルールにからめとられていたかなぁ。。。
自分のこだわりからちょっと解放された気分。
でもって、夏休みのはじめとおわりがなんだかつながった気分。
来週からまた忙しい日々になる。
めざせ、春休み!
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