ザボンの香り

喜びや悲しみ、
ささやかな日常の想いを、エッセイで・・・

頑張る前に

2011-03-24 19:59:40 | つぶやき
何不自由ない都会や、温暖な地方に住む人たちと比べて、
東北や北陸や信州の人たちは、
普段から我慢強く、誠実なイメージがある。

きっと厳しい雪や、様々な自然環境と共存するため、
知恵や助け合いが重んじられ、
自分勝手や不誠実が嫌われるのではないか、と思う。

東北の人々の精神を、私は尊敬する。
しかし――

 がんばるのは、がんばれるだけの力と、
 境遇にある人たちに任せればいい。

傷付いた人たちは、がんばる前に、
自分の心に正直に、悲しみも怒りも、
表せる機会に恵まれますように。

その後に、きっと、
心身に、力が満ちあふれますように。
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祈りと覚悟

2011-03-15 14:07:22 | つぶやき
マグニチュード9.0の、激震と大津波に襲われ、言語を絶する被害を受けた、
東日本大震災被災者の皆様、心よりお悼み申し上げます。

天災は、いつ誰の身に降りかかっても不思議ではない。

注意深く何の過失もないのに、落命したり深手を負ったり、
財産も家も故郷も失ったりして、絶望のどん底へ突き落とされる者と、
全く無傷で変わらぬ日常を送れる幸せな者とが、
一瞬にして、容赦なく分けられてしまう理不尽さ。

 私たち西日本在住者も、
 東日本の痛みと絶望の深さを、共有しなければなるまい。

いや、間も無く、嫌でも共有することになるだろう。

昭和20年代戦災復興期のような混乱と苦難、
あるいはもっと別な、新たな辛酸さえも、
今から覚悟した方がいいのかも知れない。

逃げて逃げ切れるものばかりではなく、
きっとその時ようやく、人間らしい真の幸せに気付くのだろう。

今ここに生きていられる感謝を噛み締めながら、
冷静に、身の丈に合った、最善を尽くして、
一日一日を暮らそう。





(3/16追記: 私の拙い書き方では表し切れないものを、
       見事に、書き表わしていらっしゃるブログを発見しました)
 
 『琥珀色の戯言』3/13以降の3日分に、感動。
  3/13 「名もなき人たち」へ
  3/14 「不謹慎」という病
  3/16 アンパンマンは君さ    
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東京大空襲

2011-03-10 11:41:45 | 社会のこと
1945年3月10日深夜0時から2時40分まで、東京下町地区は、
325機ものアメリカ軍B29爆撃機から投下された、
焼夷弾38万発により焼き尽くされ、一夜にして10万人以上の犠牲者を出した。

焼夷弾の恐ろしさは、(コミック『夏のあらし!』に詳しく描かれていた)
―― 酸鼻極まる地獄である。
後世に生きる私たちは、厚く鎮魂の祈りを捧げなければならないと思う。

その遺品を、遺族たちから収集して、
東京都は、都立平和祈念館を建設する予定だったが、凍結しているという。
貴重な遺品が5000点以上、10年も倉庫に眠ったままとは、
なんとも残念なことだ。(今朝のNHK『おはよう日本』より)
ときどき100点ほどが、展示に貸し出される程度では、
大切な形見を提出した遺族の想いは、どうなるのか。



権力者に都合の悪い情報は、いつの世も、国民に伏せられる。
こちら(ニュースワーカー『日米密約と東京大空襲に共通するもの』)にある、
当時の大本営発表は、
「戦果次の如し
 撃墜 十五機 損害を与へたるもの 約五十機」
膨大な人的被害の事実には一切触れず、ただ、
皇居の馬屋が焼けたが朝までに鎮火した、
敵の思惑に負けず、国民の戦意はますます盛んになるであろうと、
一方的な戦意高揚への煽りに終始している。

 統制されたマスメディアと、国家官僚の恐ろしさ。

66年の時を経た私たちは、肝に銘じて、過ちを繰り返すなかれ。
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『涙の理由』 重松清・茂木健一郎

2011-03-03 13:43:50 | 読書関連
私が今、最も信頼し敬愛する人は、
故人では、司馬遼太郎と河合隼雄。
現役活躍中では、茂木健一郎と重松清だ。

茂木と重松は、奇しくも(私より1学年下の)同学年。

この2人の対談集『涙の理由』を、昨夜読み終えた。
2006年5月から2008年3月までの、2年弱、
5回に亘っての、異なるシチュエーションでの対談が収録されているのだが、
こうも毎回内容濃く、深い世界が展開されるとは・・・・瞠目した。

 人は、自分の中に、自分にしかないパズルを持っており、
 最後の1ピースがカチリとはまった瞬間に、
 一生で唯一無二の、最高の涙が流せるのだ。

安易に流す、同情や軽い共感の涙ではなく、
そういう重い、価値高い涙は、確かに在る。
ただ、必ずしも全ての人が、そこに到達できるとは限らない。

そして、涙の強制・共感の無理強いほど、恐ろしいものはないことを、
肝に銘じて忘れるなかれ。


『泣いた赤鬼』は、私も大好きな作品だ。
小学校1年生の時に初めて読み、幼心に、鮮烈な印象を持った。
同情ではない、もっと別な、わけの分からない感動に襲われ、
赤鬼と一緒に、わんわん号泣したのを覚えている。
本を読んで泣いた、最初の経験だった。
(同情して泣いたのは、『マッチ売りの少女』と『フランダースの犬』)




私たちは皆、自分のみに許された涙を、与えられている。
老若男女・貴賎貧富に関わらず。
自分のかけがえのない命を、生きる権利を与えられている。

誰かに、ましてや邪まなる者に、操られることなかれ。
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