水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読 2020年6月分まとめ

2020年06月30日 05時58分14秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆6月3日
新改訳伝道者の書1:15「曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない」。ルカ13:11-13に、18年腰が曲がって全然伸ばせなかった女にイエスが手を置くと腰が伸びたとあるが、これは主だからこそ。私にできるのは主が働かれるよう祈るだけ

◆6月6日
新改訳(第三版)伝道者の書4:1「私は再び、日の下で行われるいっさいのしいたげを見た。見よ、しいたげられている者の涙を。彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない」。兄を虐げた父自身の苦しみは私はよく知らない。しかしその兄から暴力を受けた私は、兄がそうでもしなければ生きてこられなかったのを知っている。勿論、兄の言い草「お前がいるから俺が殴られるんだ!」は到底承服できるものではなかったが。

◆6月7日
新改訳第三版 使徒24:5パウロは「まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている」とユダヤの長老らにより提訴された。この時代の出来事にペストの語を使うのは不適切だが、故に注視。カミュ『ペスト』が売れているが、パウロはコロナのように恐れられてたのか

◆6月7日
コヘレト7:21「人の言うことをいちいち気にするな。そうすれば、僕があなたを呪っても 聞き流していられる。あなた自身も何度となく他人を呪ったことを あなたの心はよく知っているはずだ」。御言葉はやはり聖なる言葉だ。パウロもこういう聖句に支えられてきたのかな……

◆6月18日
雅歌って私には聖書で最も苦手な書。でも愛に埋没してるかの言葉に紛れてこんな一節が。新改訳雅歌8:4「エルサレムの娘たち。私はあなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは」。人に神への愛を強要せぬよう自戒。
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一首鑑賞(75):近江瞬「無差別な支援が植えて枯らした花々」

2020年06月27日 10時24分30秒 | 一首鑑賞
塩害で咲かない土地に無差別な支援が植えて枯らした花々
近江瞬『飛び散れ、水たち』


 近江は宮城県石巻市出身。東日本大震災が起こったのは東京の大学の三年次在籍中だった。就職活動真っ只中だった近江が「帰った方がいいか」と電話で問うと父は「食料が一人分減るだけ」と答えたという。しかし近江は卒業後に就職した会社を2013年夏に辞め、石巻の新聞社に入社した。本歌集の第三部冒頭の掲出歌には、ただ口を噤むほかない。自己本位な支援への手厳しい批判というより事実そのままだというのが正しいだろう。
 大地震当日から10日ほど後、作業所の朝会で私は近々行う予定の誕生会のお弁当代を被災地への募金に回しては、と提案した。すると、妹さんが宮城の大学で学んでいた他のメンバーが、妹からのアイディアの借用だと前置きして、手作りのマスコット等を被災地の保育園などに届けられないだろうかとおずおずと申し出た。結果的には前者は通り、お弁当代に当時の所長が個人的に大幅に上乗せした額を日本精神保健福祉士協会に復興支援募金として献げてくださった。後者に対しても職員は蔑ろにせず、手作り石鹸などを送ることも考えたようだが、届け先や配達方法の確保など難しい点が多く、実現しなかった。私には震災以前からTwitterの相互フォローの方で宮城にお住まいの方がいるが、震災から約一ヶ月後にさらっと「昨夜ようやくお風呂に入れました」とツイートしたことに絶句し、私達の精一杯の善意も自己満足に過ぎないことを悟らされた。

  途切れつつ防潮堤は横たわる現場の作業員は足りない

 掲出歌に続く一首である。身近な話で恐縮だが、震災当時家で燻っていた私の弟は被災地にボランティアへ行き、石巻に寝泊まりして預金が底を突くまで復興支援に働いていた。そして一時は被災地での就職も考えた。石巻での所在が証明されないと面接が受けられないということで、災害ボランティア宿営地の弟宛てに適当なものを見繕って封書を速達郵送したのを覚えている。弟の就職は決まらず結局はこちらに戻ってきたのだが、複雑そうな表情の弟にはあまり色々問いただせず、そのままになっている。

  まとめるのうまいですねと褒められてまとめてしまってごめんと思う

 この歌には、「2年前に結婚をした。妻と出会ったのは、震災ボランティアで石巻を訪れ、その後移住した女性が仮設屋台村の一画に開いたお店だった。そういうことは多くある。もしかしたら僕が今、仲良くしている友人たちは震災なくしては出会えなかった人たちの方が多いかもしれない。」と添え書きがある。
 私の弟と屋台村の店のオーナーの境目が何であったのかは分からない。むしろ、判別の事由を断じようとするのは驕りですらあるかもしれない。
 「まとめるのうまいですね」。被災者の窮状の訴えか、あるいは復興支援に携わる人への取材か、そういったものを近江は筋道立てて記事にし、後日それを褒められたという状況が目に浮かぶ。止め処ない不安や苛立ちを多くの人の目に留まるよう纏めてもらえ、インタヴューされた側は正直有り難かったに違いない。職業柄、混沌とした事象を整理して一定の枠組みをその都度与えていかなければならない立場にあるのだから、そう後ろめたさを感じなくてもいい筈だ。けれど近江は「まとめてしまってごめん」と思う。それゆえにこそ、私は近江の言葉に信頼を置く。お仕着せのようにキリスト教の言葉を充てがうのは少し躊躇われるが、この近江の姿勢は「愛」なのだと私は感じる。どういう愛——?その問いへは次の聖句を以って返答としたい。

ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。 自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。 (コリントの信徒への手紙 一 8章1〜2節)
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ああ、あの曲のタイトル、それか…!

2020年06月18日 02時14分21秒 | 人[その作品]に寄せて
真っ直ぐなツイートに惚れフォローした友に教わる怪獣のバラード
(とど)

2020年6月6日 作歌。
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ルピシア福袋2020夏♬ノンカフェイン・ローカフェイン☆彡

2020年06月17日 13時36分27秒 | 聞茶・聞豆
本日、ルピシアの福袋が届きました〜!半年前には試しに、ノンカフェインのリーフ[梅]とバラエティのティーバッグ[梅]の福袋を購入したんですが、どちらも4月頭くらいには切らしてしまい……、スーパーで安いものを買って何とか凌いでました。やっぱり[竹]の分量の福袋がないと、私には無理っぽいです。

で、今回はノンカフェイン・ローカフェイン(リーフ)の[竹]福袋に戻ってきました。早速ネタバレです。
★オーガニック ルイボス ナチュラル
★ルイボス アールグレイ
★キャラメル&ラム
★ピッコロ
★ジンジャー&レモンマートル
☆ジャルダン・ソバージュ
◎デカフェ・スペシャル
◎デカフェ・サクランボ
◎デカフェ・アップルティー
◎デカフェ・白桃
◎デカフェ・グレープフルーツ
◆エルダーフラワー&カモミール
◆スウィートドリームス!
◇ジュテーム・ピュール
◇ジュテーム・エクラタン

の、15種類でした。★は、ルイボス系のお茶です(☆はグリーンルイボスがベース)。
◇は、フルーツティー٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ 今回初めてのお目見えです。ピュールは、ラフランスとライチの風味、エクラタンは、パッションフルーツとマンゴーの風味だそうです。楽しみだぁ〜〜(=´∀`)人(´∀`=)

(おまけの、人気のお茶ティーバッグセットの写真は省略)
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その後、先生自身がスキルアップしてホッ…(´∀`)

2020年06月07日 07時44分06秒 | 風景にあわせて
オンライン礼拝すればと言う口々 一銭だってもらってないよ
(とど)

2020年4月15日 作歌。
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一首鑑賞(74):茅野眞澄「神はいるかとふいに問いつつ少年が」

2020年06月03日 11時20分19秒 | 一首鑑賞
神はいるかとふいに問いつつ少年が細き指もて地球儀まわす
茅野眞澄『青』


 茅野の歌は説明臭からは遠い。歌集の歌のみ追っていて伝わってくるのは、キリスト教信仰をお持ちだということ、孫がいること、電話相談業務に携わっていることであり、あとは歌を読者の想像に任せる余白を備えている。ご本人のお住まいと同市在住の歌人・三枝浩樹が書いた解説により茅野が「いのちの電話」の相談員を務めていることが分かった。「ビー玉」という一連には次の歌がある。

  ぼそぼそと相談電話の少年はまろびて揺れるビー玉のよう

自身が語り過ぎず聞く側に徹している。それゆえにこそ訥々と語る少年の佇まいが手に取るように茅野の眼前に浮かぶのであろう。
 掲出歌で「神はいるか」と問う「少年」が誰かは明かされていない。地球儀を回す実景に立ち会っていたのなら孫とも思われるが、その歌の一つ前に

  穂多瑠・璃采・こころ・京平・羽流・翔太・夕季・航平…遠い海鳴り

という一首が置かれている。今時の子供の名前であるのは明白で、これまで電話相談を受けてきた誰彼のことを思い起こしつつ、仮名を列挙したのかもしれない。それは掲出歌の少年が限定されないようにという配慮と、神の存在を問う心が決してこの少年一人に留まるものでなく、思春期に誰しもが抱く普遍的な問いであることへの目配りからの表現ではなかろうか。細い指で地球儀を回す少年の脳裏には様々な思いがせめぎ合っていたに違いない。——神は人間を手の中で弄ぶようにしていないか?——今自分のいる所から離れた場所に暮らす貧困に喘ぐ人々を神は見捨てているのか?彼らに自分達は何ができるのか——

  一房の黒きぶどうの沈黙をこうべ垂れつつ諾わんとす

 掲出歌に続く一首である。解説の中で三枝は、〈神の問題は理性や合理性の中において答えの見出せる問題ではないので、直接性のかたちでの返答は断念するほかはないのである。答えがたい重たい問いの前、沈黙の中に二人の時間がながれる。……(中略)……拙速な答えを避けて沈黙をもって答えとするほかない自身を「諾わんとす」という結句で表した歌。これは答えの回避ではなく、おそらく最上の応答の一つなのではあるまいか。文言では答えがたいものには答えない、そういう選択である〉と書いている。歌自体も、さらに三枝による解説も非常に重く、しかしながら内に慰めも含んでいよう。
 私は自分自身のはっきりした物言いによって、時に周囲の人を傷つけ神様から遠ざけてしまっているという自覚がある。自らの悔い改めが必要なのは言うまでもない。だが同時に、人の心を動かし開くのは最終的には神にしかできないという実感もある。出エジプト記において、イスラエルの民をエジプトから去らせるよう働きかけたモーセに対しファラオの心を頑なにしたのは神だったと明記されている。また、使徒言行録16章で、パウロの説教を聞いていたリディアという女性の心を開いたのも神だったと書かれている。私にできるのは、神を知りたいと思いつつ疑念の拭えない人達に、ただ主が働かれるよう祈り続けることだけである。
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