水の門

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書評(3):レベッカ・ソルニット『シンデレラ〜自由をよぶひと』

2022年03月02日 09時41分24秒 | レヴュー(書評)
 私は読書家とは程遠い。小学校2年の時に級友が「皆さん、漫画を読んでください」と言っていたのを(ふーん)と思って、何となく漫画を買ってからハマってしまい、いわゆる活字の本からは遠ざかってしまった。それから、やはり小2の頃に週一回図書室で本を読む時間があったが、私はいつも同じ本を読んでいた。それがグリム童話の『シンデレラ』だった。活字の洪水を目の前にすると恐怖感に襲われるのが習い性になっていたのもあるし、生きているのが毎日辛かった私には継母や姉達から酷い扱いを受けていた主人公が最終的には幸せになるというストーリーしか受け付けられない精神状態だったというのもある。
 不活発な私は、幼い頃から日中も横になっていることが多かった。ベッドに仰向けに寝て、首から下に丁寧にかけた毛布に私はドレスをイメージした。「ブス」とか兄に罵声を浴びせられる日々にあって、私はベッドの上にいてお姫様の気分へと逃避していた。自分にきっと王子さまが現れると信じていたかと言えば、そうでもなかった。男性とベタベタしたいという欲もなかったと思う。ただ、一緒にいてくれる優しいお兄さんを渇望していた。
 レベッカ・ソルニットを知ったのは、Twitterのフォロイーさんが別の著書を紹介されていたことがきっかけである。その本は一旦図書館で借りその後自分でも購入したが、分厚いこともあり途中まで読んで今は中断している。もっと気軽に読み通せるソルニットの本は無いかと思って見つけたのが『シンデレラ〜自由をよぶひと』で、最寄り図書館で借りてきた。そして、涙を流しながら読んだ。
 エッセンスだけ抜き出して書評を書き、ブログの読み手に実際に本を手に取りたいという気持ちを起こさせるという点で、私はいつも失敗しているかもしれない。ソルニットの『シンデレラ』は、改めてページを捲るとどこまでも引用したくなる誘惑に駆られる。それだけディテールが素晴らしいのだが、ここでは思い切って、シンデレラと王子、姉達のことに絞って書く。
 原作のシンデレラでは、午前0時になると魔法が解けてドレスも元のみすぼらしい服に戻ってしまうからシンデレラは舞踏会の場を逃げ出したとあったように記憶しているが、ソルニット版では王子がシンデレラのことを尋ねたから逃げ出した、と脚色されている。

   ……シンデレラは自分のことを話したら、笑われるか、みんなの前で追い出されるんじゃないかとこわくなって、そんなことになる前にかけだしました。(中略)王子さまに、わたしはお城の下にある町の、台所の灰かぶりのシンデレラだと、つげたくなかったのです。(後略)

 後日の章は、王子の気持ちから書き起こされる。

   ネバーマインド王子は礼節をわきまえたひとでしたから、お客さまをこわがらせてしまったこと、さらに、そのひとが靴をなくしたことを、悲しく思いました。舞踏会でもいろんなひとに聞いてまわりましたが、誰もあのひとの名前も、どこに住んでいるかも知りませんでした。そこで王子は次の日に、王子さま用のりっぱな黒い馬に乗って出かけ、いろんな家のとびらをたたいてはあの靴をはいていたひとが住んでいるか、たずねてまわりました。

なかなかシンデレラの家は見当たらなかったが、ようやくシンデレラの家に辿り着き王子は訊く。

   では、あなたが逃げてしまった女の子ですね。でも、なぜ?
   シンデレラは恥ずかしくなりましたが、こう言いました。
   こわかったの。わたしは召使いで、舞踏会に行ってはいけないから。義理のお姉さんふたりみたいに、すてきな服をもらえないから。


すると、王子は思いがけないことを訊く。「あなたの夢は何ですか?」と。

    ケーキ屋さんを開きたい。食べものを作るいろんな農家のひとたちに、自由に会いにいきたい。灰色のぶちつきの馬に乗りたい。それから、すてきな船で港に帰ってくるお母さんに会いたい。
    それは全部、遠いことのように思えました。シンデレラは少し悲しくなって、話題を変え、王子にたずねました。
    あなたの夢は?
    王子は少し考えて、こう答えました。
    ときどき王子じゃなくなりたいって思うんです。みんなにいつもじろじろ見られなくてすむし、他のひとたちが充分に持っていないものをなぜ自分だけたくさん持っているのかふしぎに思うこともなくなるでしょう。農家の男の子が着ているような服を着て遊びたい。サテンのズボンを汚さないようにってガアガア言われなくてすむように。(中略)お城で何もせず座っている代わりに、いろんなものを育ててみたいし、へとへとになるまで働いて夜はぐっすり眠りたい。友だちがほしい。だって、誰も王子と友だちにはなってくれないんだもの。


二人は、どちらからともなくおずおずと切り出し、友だちになる。そして、連れ立ってりんご農園に行き、へとへとになるまで林檎もぎをしたりするうちに、王子は農夫王子になりたいという夢を抱くようになる。シンデレラはシンデレラでケーキ屋を営み、ケーキを買いに来た人々をもてなし、また戦争で逃げてきた子どもたちをお腹いっぱい食べさせ、学校へ行けるようにするまで自分の屋根裏のベッドに泊めてあげる。ソルニットは「シンデレラは魔法つかいの妖精ではありませんが、自由を与えるひとになること、つまり自由になる方法を自分自身で見つけ出すのを助けるのに、魔法は必要ありません」と書き、いずれシンデレラも王子も結婚するだろうけれど、お互いとではない、二人はまだ若いからそのことを心配しなくていいのだと記す。
 舞踏会で自分の髪を高く結い上げていた上の姉は、ヘアサロンを開き、舞踏会前にドレスにリボンを縫い付けるのに懸命だった二番目の姉は、ドレス屋でお針子さんになり、それぞれ人を綺麗にする方にやり甲斐を見出すようになっていったと綴られる。そして、二人の姉とシンデレラは和解する。
    *   *   *
 私は、かつて「待ち」の人生だった。自分を幸せにしてくれる誰かを待っていたのだ。実際その「誰か」はもう現れたのかもしれない(——その名はイエスという)。固着するように『シンデレラ』の世界に逃げ込んでいた自分に、それでも良かったんだよと今は言ってあげたい。女性は男性に幸せにしてもらうしかないのか……とやや投げ槍だった私に、このような『シンデレラ』との出会いを呼び込んでくれたのだから。
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書評(2):北村絢子『こころ 曇りのち青空〜Dr.あやこ 精神科医の処方箋』

2021年07月12日 12時31分23秒 | レヴュー(書評)
 北村先生は、私の通う精神科の医師である。一時期、【アフタークリニック】という会員制のネット心療相談室を主宰されていたこともあり(三年間)、私のことは日常生活・服薬状況・趣味・信仰心など、定期的な精神科通院だけでは知り得ない面までご存知なので、月一の受診の際は打てば響くような対応をしていただけており、こう言っては何だが《共闘関係》のような良い関係を築けている。
 この本は、山梨日日新聞に三年間連載されていた『Dr.あやこ 精神科医のしあわせ論』というコラムを纏めたものである。本が出版された当初、実は私は買わなかった。リアルタイムの連載で読んでいたし、まぁいいよな……と思ったのである。私は昨年秋から冬にかけて精神症状が激昂し、作業所・家・受診の各所において日々バトルが繰り広げられ、不眠・幻聴・睡眠中の静臥不能症・脈拍数の高騰・運転もままならぬ程のふらつき・薬の管理も覚束なくなるほどの前後不覚感などによって文字通りヘロヘロになっていた。そんな昨年末に母が、「北村先生が以前書いていたという〈疲労度の測り方〉の表を作ってみたらどうか」と言ってきた。母は日々テレビに齧り付いていて、ニュースバラエティ等でよく目にしていたコロナウイルスの感染拡大状況のステージの図を参考に、その提案を私に持ちかけたのである。そうか、なるほど……と素直に従い、最寄り図書館でこの本を借りてきて年末年始で読み、作成したのが下の写真の表だ。

 生活力のある方々には色々ツッコミどころ満載の表であろうがそれはまぁ措いておいて、先生のご著書の中でこの表作成の参考にした箇所は26ページからの[「得意が面倒」が過労の兆候]という章である。少し引用・抜粋する。

 さて、一日の暮らしは家事をはじめ、多数の作業の集まりで成り立っている。例えば朝起きてからの身支度に始まり、食事の支度、洗い物、洗濯、掃除、整理、運転、買い物、子どもの世話、世間付き合い、草むしり、花の手入れ、テレビや新聞で情報を得るなどである。
 この中から自分にとって「好きで得意なこと」は何だろうと考えてみてほしい。次に「苦手で不得意なこと」も同様に考えてみよう。つまりはそれらをものさしとして疲労度を測るやり方なのだ。
 この際、「やらねばならない」かどうかは横に置いといて。自分にとって、好きで得意で割合自然にやれてしまうことと、苦手で不得意なので無理してやっている家事や雑用を、自覚的にしっかり分けることだ。その自覚がまず大事である。


 そして先生は、好きなことは少々疲れていてもできる、それが億劫になるのは相当疲れている時なので、無理せず休むことが必要、と説く。私はこの表を作成したことにより自分自身の中で今の疲れ具合を客観的に判断できるようになったし、プリントアウトしたものを病院と作業所に提出したことで、作業所職員に不調による遅刻・欠席などを伝える際、また相談事をする際の話のベースとなってくれていて、大いに役立っている。
 今回この書評を書くに当たってまた本を捲ってみて、もう一点だけ書いておきたいポイントがあったので、その箇所を探すべく隈なく本を行きつ戻りつ三往復くらいしたのだが、そのものズバリの箇所は見当たらなかった。もしかしたらちゃんと書籍中に存在するけれど私がそのピンポイントを発見できていないだけかもしれないが、所々にその要素を含む箇所は見つかったので、それらを総合し私の頭の中に焼き付いていた文言をおおよそ再現してみたい。

 人はみなそれぞれに人生に何らかの課題を持って生まれてくる。私の仕事は、それを代わりに解決することではなく、それに気づかせてあげることではないか。その交通整理をお手伝いすることではないか。もし私自身が患者さんの課題を本人に成り代わって解決する役割を求められるなら、潔く精神科医の現役を降りたいと思います。

 マルコによる福音書10章46節〜52節に、物乞いとして道端に座っていたバルティマイという盲人がイエスに目を癒されるシーンがある。51節に〈イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った〉と書いてある。これを読んで「目が見えるようになりたいに決まってるじゃん!当たり前のこと訊くなっつーの!!」と内心お怒りになる方も多くいることだろう。でも、物乞いだったバルティマイはもしかしたら「金持ちになって、物乞いしなくて済むようになりたいです」と答えても良かったのかもしれない(イエスがそれを叶えてくださったかは別だが)。
 私は精神科を受診している方の話を聞いていて時々(自分の生きる意味がどこにあるか、先生に見定めてほしいと思ってるのかなぁ……)と感じてしまうことがある。精神科医は精神の病気の症状を和らげるのに手を貸してくださる、そのために必要な処方をしてくださる方である。未分化な問題を聞いてもらって、交通整理していただくのが必要な時もあろう。でもそれ以上の方ではないのである。イエス様でさえ、「何をしてほしいのか」とお聞きになるのである。人間である医師なら尚更のことである。 
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書評(1):石田由香理・西村幹子『〈できること〉の見つけ方〜全盲女子大生が手に入れた大切なもの』

2021年01月02日 15時20分54秒 | レヴュー(書評)
 この稿に取り掛かる前、ふと「すぐれた書物はひらかれている」という一文が浮かんだ。ググってみたが、同じ文例は見当たらなかった。石田由香理・西村幹子 著『〈できること〉の見つけ方〜全盲女子大生が手に入れた大切なもの』(岩波ジュニア新書)はおそらくそれほど知られていないのだろうが、この一文を冠するに相応しい。
 この本を知ったのは、以前私が行なっていた代読ボランティアのサービス利用者さんからの情報メールであったか、それとも大学の同窓会報だったか、もう忘れてしまった。私の住まいの隣の市の図書館に所蔵していることが分かったので、iPhoneのリマインダーの「借りる本リスト」に登録しておき、2019年秋に借りた。1歳3ヶ月で網膜芽細胞腫により両眼を全摘したという石田さんの生い立ちから始まって、「お前が思っている以上に障害者って邪魔なんや」と親に言われた生活環境を経て、大学時に参加したフィリピンへのスタディツアーがきっかけで、自らの内なる壁を取りのけて、互いの〈できること〉を見つけ合い、尊重し合う生き方へ変えられていった様がつぶさに語られており、夢中になってページを捲ったことが甦ってくる。また今借り直して読んでみても、新鮮な驚きと感動を覚える。こう上っ面だけ書いて、単なるサクセスストーリーかと思われるのも嫌なので、一人の登場人物に絞って、ここでは書いてみたい。
 本書の4章に横森美奈子というファッションデザイナーが出てくる。私の中での横森美奈子氏はMEN'S BIGI のイメージが強かったが、MELROSE、HALFMOON、BARBICHEのデザイナーを歴任し、後年になって、介護ユニフォームの企画デザインや、リユースきものを中心としたコーディネート提案なども行なっているようだ。書店に並んでいる雑誌をチェックできない石田さんは、ネットやファッションデザイナーが執筆した本をファッションに関する情報源としていて、その中に横森美奈子氏の書籍があったそうだ。服選び・コーディネートのコツが文章だけでも分かりやすく書かれてあり、本の最後に記されていたメールアドレスに石田さんはダメ元で、「自分に本当に合う服や色、髪型や靴などを、ストレートに教えていただきたい」と請い、直接会えなくてもいいと書き添えたと言う。目の不自由な友人のいる横森氏は、視覚障害者のグループのためにファッションセミナーを開いたことがあり、色は皮膚感覚でも認識できる、サイズやフィット感は手で触って確かめるなどの助言をして大変喜ばれたことを明かし、「私も忙しくしていますが、時間を作れると思いますのでお会いできるといいですね」と返信くださり、2013年夏に石田さんと横森美奈子さんは対面が叶ったことが、本書に綴られている。
 本編にまつわることはこのくらいにして、大学での石田の恩師・西村幹子による「おわりに」に引いてある聖句に少し触れたい。西村氏は石田さんを見て、「なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(コリントの信徒への手紙 二 12章10節)を思い出し、「人間は自分の弱さを自覚するときにこそ神の恵みと力に支えられていることを実感でき、強くされる」と述べ、「強がらずに自分のあるがままを受け入れ、他者に支えられることに感謝できたからこそ、それを力に変えて他者のために何かをしたい、と思えるようになった」と結んでいる。
 私は先に、単なるサクセスストーリーではないとお断りした。実際本書のあちこちから伝わってくるのは、頑張っている〈我〉ではなく、何気ないひと言や機転で石田さんを勇気づけ、また陰日向になって支えてくれた方々への溢れんばかりの感謝なのだ。そして、横森美奈子氏の著書や、5章にある「ケイパビリティ」(選択肢を拡大する力。直訳すると「能力」「才能」「素質」「手腕」)へと私達の視野を広げてくれる、そのような「ひらかれた」書物なのである。あーー、最寄り図書館で、この「ケイパビリティ」に関する本も、私を待っているよ!!
 ……とまぁ、書評第一回はこんなところで。
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