水の門

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聖書黙想 2024年3月28日

2024年03月28日 16時15分55秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
私は普通の会話も、頭で考えないと喋れないほうである。そうして人よりもワンテンポ以上遅れて反応するため、小さい頃などは「もうその話題終わったし」と文句を言われることが多かった。
そんな私だから、祈るのも、内容を前もって考えておくか、考え考えモゴモゴと立ち止まりつつ言葉を選ぶか、でないと祈れない。その点、所属教会の現任の牧師先生は淀みなく祈れる方で、いつも(凄いな。。)と私なんかは見ていた。でも、先生はお父様が牧師先生でお母様もクリスチャンで、という家庭環境でお育ちになり、祈りを幼い頃から目の当たりにされてきたから、あのようにスラスラと祈れるんだろうなぁ、とは思う。
<マタイによる福音書6章6節>で、「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(新共同訳)とイエス様は仰っている。“見せびらかし”の祈りでなく本心を祈りなさい、ということなんだろう。けれど、そういう風に〈密室の祈り〉ができるようになるまでにも、なかなか大変よね、と思う。
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<新共同訳 ルカによる福音書9章18節>
イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 
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<新共同訳 ルカによる福音書11章1節>
イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
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イエス様はよく祈っておいでだが、弟子達が傍にいてただその様子を見守っているということもかなりあったようだ。ルカによる福音書11章では、イエス様と神様の近しさを感じた弟子の一人が、イエス様に祈りを教えてください、と請う。
私には、他の人の祈りを生で聞く機会が沢山必要だったし、また聖書からも、イエス様の祈り、詩編の祈り、預言者の祈り、弟子達の祈りを、沢山浴びることが必要だった。そして今もイエス様に(どう祈ったらいいか分からないよ……!)と訴えていいんだな、と御言葉を読んでるとわかる。

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