水の門

背景をながれるもの。ことば。音楽。スピリット。

朦朧としながら。

2017-03-28 17:05:10 | 持病に寄せて
幻聴の顕ちては消える速さもて検索かける午睡のiPhone
(とど)

2015年6月30日 作歌。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

一首鑑賞(42):松村由利子「もはや発芽させることなき硬き土」

2017-03-26 16:29:38 | 一首鑑賞
もはや発芽させることなき硬き土おやすみおやすみ私のからだ
松村由利子『耳ふたひら』


 「卵」や「種子」が歌集を通じて散見されるモチーフである。ある時は、東京から移り住んだ石垣島の豊かな自然に向ける眼差しによって、またある時は、歳と共に生命を宿すことから遠ざかっていく自らの身体に対する感傷をもって、それは様々な角度から描かれる。詠み口より、自身の身体の変調の具体的描出が思慮深く避けられていることが見て取れるので、ここでも究明に奔走するのは控えたい。ただ「エストロゲン」の語(卵胞ホルモン)が現れる歌にドキリとし、女性特有の病が匂わされていることを感じ取ったのを記すだけに留めておく。
 私が乳がんの告知をされたのは2011年12月で、年が明ければ40歳という人生の折り返し点だった。一週間前の検査の結果を聞きに行った病院の待合で、予定時間よりかなり待たされた。診察室に入ると、癌を告げる前だったか後だったか記憶が定かではないが、医師は私に結婚しているかどうか、子供がいるかどうか訊いたように思う。検査結果についてはやはりショックではあったが、何とか平静を保とうと努めた。受診後に会計を待っていたところ、その医師が暗い面持ちで通りかかった。私は会釈したが、医師には見えていなかったか素通りだった。手術は1月末に行われ、さらに詳しい病理検査の結果、抗癌剤と放射線治療と5年のホルモン療法と、その後の治療計画が組まれた。
 先頃、術後五年目の検査を無事パスし、晴れて「放免」となるのかと思いきや、抗ホルモン剤だけあと5年は飲みましょう、三ヶ月に一回受診して下さい、と言われた時、私はがっくりと膝の力が抜けるのを感じた。お腹への注射と薬でストップさせていた生理を、抗エストロゲン剤で閉じ込めたまま閉経へと持っていく算段なのだと、言われずとも理解できた。

  重い蓋がふっと外れることがある三つくらいの子ども見るとき
  もっともっと産みたかったよ一年中花咲く島をずんずん歩く


 松村はある本のあとがきで「短歌をつくりはじめたきっかけは、息子の誕生だった。日に日に変わってゆく赤ん坊の姿をとどめておきたくて、スナップ写真を撮るように歌にした」と述べている。そのような松村にしてみれば、ある時点で子どもを産む希望を絶たれたことは身を切られるような痛みを伴うものだったのかもしれない。それでも気持ちに折り合いをつけ、穏やかに暮れていこうとする心を波立たせる人の存在に遣る瀬ない思いを抱く。
 マタイによる福音書19章12節に「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」というイエスの御言葉がある。子どもを授かることに頓着せずのうのうと独身生活を送ってきた私には、乳がん罹患は耐えられないほどの災厄とは言えない。こうしてわりと大らかに受け止めているのも、傍から見るとある種の強さを感じさせずにはいられないようだ。そこから主を証しできるのであれば、これもまた「天の配剤」と私は思う。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

富士山が好きな友達へ。

2017-03-25 17:11:33 | 季節にあわせて
富士を背に桃咲き盛る絵はがきを容体きづかう朋へと送る
(とど)

2012年4月17日 作歌。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『旅人の木』より

2017-03-18 15:42:03 | 本に寄せて
雨宮雅子の歌集『旅人の木』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・病みびとに諭(をし)へられたり顔施(がんぜ)とふことば後背のごとくうるはし
・瞑想は夜にきたりて先人の代々のひたひの翳ふかめしや
・また神にいちにんの死者委ぬると白き花々運ばれて来(き)ぬ
・地にひくきあけぼのすみれに屈みたり虔(つつし)むことのなほわれにあり
・錫色の空より洩るるひかりありかの聖顔を拭ひし手あり

・靄だてる聖霊降臨節(ペンテコステ)の水無月や素肌をつつむ白きブラウス
・たましひといふおぼろなるもの包み雨季のブラウス透けやすきかな
・うすずみの風流れをり白昼に髪染めゐるはゼフィールならむ
・梅雨の雲またたれこめて胸元の銀のくさりをそそのかしをり
・生き方といふは死に方へ傾くや頭上夕映の雲のばらいろ

・月光に泰山木は花かかげ悲傷(ピエタ)の掌より水こぼれたり
・意志が遺志となりゆくまでをさざなみの時間流れて鷺白く立つ
・目覚めとはよみがへること朝鳥のこゑにまぶたを明るませゐて
・台風の近づくけはひ無花果は重たき熱の実となれるらし
・波の上を〈人〉歩みたる遠き世に水は歓喜を知りたるならむ

・浴身の胸に創痍の旧りたるはこころならざる身体のこと
・祝祭の絆すくなくなりにしを亡き父の庭には山茶花明るし
・おんがくのやみたるのちを満ちきたる闇の底ひに悲苦のかがやく
・復活を約されし人か木を伐りて木を負ひて画面のなかにふりむく
・ひかりより出でてひかりへ還れよと飛翔の一羽こゑなく喩(をし)ふ

・朝は聖なる時間空間オフィスの硝子へだててまた無人なり
・みづからを尋ねあぐねて近づけり「夜の終り」へテレーズ・デスケルーへ
・朴の花匂ふ水辺も去年となり聖なることば読まずありにき
・ときに太鼓の音のみひびき雨の日の聾学校は謐(しづ)かなりけり
・しづかなる聾学校の登校日髪ひからせてくるは神の子

・かたつむり雨後のひかりに歩み出で安息日の木草うるほふ
・喪服にて往き来の日なか貫きて首夏身のうちのあをき小流れ
・立葵顕はるるごと原爆の日の影として咲きあがりたり
・ひとすぢの百日紅の道称(たた)ふここを過ぎにし永き〈時〉あり
・深夏の闇まとひ来てうす光る聖盤の水に近づかむとす

・ひしひしとレモンを搾り係累のおもひの外のごとき時間よ
・わが額のカインのしるしむらさきの痣を濃くして杜鵑草(ほととぎす)咲く
・怒ることまれまれとなり滾つ湯に捏ねたるものを迸(ほとばし)らせつ
・けふひと日よきもののみを見むとして光の雫めぐすりを差す
・坂の上に教会ありし幼年の風景すでに版画のごとし

・遠ざかりまた近づける声ありて降誕祭(ノエル)ゆふべの坂のぼりゆく
・山越えてきしを至福とおもひつつ口腹の欲離(か)れゆくごとし
・こゑ枯れて冬をこもるに企つることあるらむといふ手紙くる
・選択はよきとわろきの二つなればよきを思へと言ひたるはよし
・太初(はじめ)に言(ことば)ありていのちの宿りしを 剃刀に水打たせてをりつ

・はぐれゆくわれにてもよし九階の朝のひかりにパンを裂きをり
・赤ワインくだりしのみどしづまりて花ひらくやうに夜が来てゐる
・世の苦楽識(し)りにしよはひ河骨(かうほね)の黄なる水照りに囲まれてゐつ
・心身のはげしき飢餓に屹立しアテネ文庫の青春ありき
・未来見ゆるやうにて見えぬこと恃みまなさき塞ぎ百合活け終へぬ

・晴天をつらぬく鵙のこゑ高し告知といふはかかる明るさ
・しろがねの霊的空間 しろがねに揺るる芒穂わけて人来ぬ
・忘れては生くる厚顔朝ごとに卵二つを割りて落しつ
・翼とは嘉きものならむ精神をはばたくやうに思ふ日あれば
・夕茜冷えゆくころにわれは見ぬルオー描ける「深き淵より」

・人の世の出口いづこと見わたせば終夜青き灯をともす非常口
・百合の蕊切りて呵責もあらざりし昼寝の胸に指を憩はす
・「荒野に呼(よば)はる者の声」なく朝のきて冷たき牛乳(ちち)のグラスを置けり
・戴冠の合歓のうすべに仰ぐときわが守護天使ふとしもはばたく
・世のために来たまひし神を世は識(し)らず青銅いろとなれる冬菊

・哭(な)くちからいまだあるゆゑ哭かざらむカミツレの茶の香り立たせて
・受難節淡く曇れり温室の「旅人の木」のかたはらに来つ
・衰へて匂ひ濃くなる花を捨つおのれうとめるごときおこなひ
・あかねさすさねさしさがみ山百合の賑はしく咲くひとなだりあり
・つまさきより下ろさず平らに歩を運ぶ歩行瞑想といふがありけり

・はろばろと続ききし世よ無花果の繁みにうすく陽の流れをり
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

#inutanka(じわじわ追加中)

2017-03-13 13:30:20 | 言葉に寄せて
来年の年賀状作りの参考にするためにTwitterにメモしている「犬」にまつわる短歌が既にかなり溜まってきたため、気が早いようですがここら辺で #inutanka としてとりあえず公開します。また折々に追加もしていきます。


しろじろと毛深き犬が十字路を這うまたの世の日暮れのごとく/大森静佳
わが犬のドヂな次郎が溝に落ちわれはころびて下駄を落せり/河野裕子
豆腐屋の前の溝から吹いている湯気の匂いを犬もかいでる/竹内亮
自動車の鍵はかけない壱岐という島の空港犬が見送る/竹内亮
店先の自転車のそば飼い主を待つ灰色の犬の落ち着き/竹内亮
夏休みの最初の朝に眠ってる犬を起こして霧を吸い込む/竹内亮
眠る犬のしづかな夢を横切りて世界を覆ふ翼の話/石川美南
二十代遠のくことを対岸の犬の散歩のごとくかなしむ/永田紅
耳垂れし犬ゆっくりと石段を上まで嗅ぎて道にもどりつ/永田紅
色うすき柴犬あわく過ぎゆくをパンのようだと言えば頷く/永田紅
春だねと言えば名前を呼ばれたと思った犬が近寄ってくる/服部真里子
大きな犬のやうに眠つてゐるだらう月に真白く耀(て)りつつ家は/澤村斉美
犬は地に鼻さしよせて歩めりき光り天よりひたさしにけり/尾山篤二郎
銃の音木魂はしばし谷伝ふあとにうつろにさびし犬の鳴きて/土屋文明
いつも君は犬に好かれき見知らざる犬さへ千切れんばかり尾振りき/尾崎左永子
冬山の遠き木靈にのどそらせ臟腑枯らして吠ゆる犬あり/多田智滿子
雪解けを待ちつつブラシかけやれば盲導犬の背に春陽あり/吉村保
喫茶店の床にごろりと寝転んだ犬のかたちに呼吸(いき)はふくらむ/飯田彩乃
右肩上がりの雲の段々あれはギザの夢を見ている狛犬のせい/井辻朱美
人界に親しみたれば飼犬は素裸なるを恥ぢ入りて吠ゆ/斎藤寛
飼主と飼犬なれど指揮命令系統ぐじやぐじやしてゐる愉快/斎藤寛
人のをらぬ住戸と住戸の壁へだてべうべうと呼びかはす犬たち/真中朋久
黒い犬を見た記憶あらず低きより幼児を見上げてゐたのは かすか/真中朋久
くさむらに鼻さし入れてゐる犬を思へばただにものぐるほしき/真中朋久
砂粒がわずかに混じるハンバーガーくわえて犬は微笑みかえす/佐藤りえ
少年と大きな犬がわあわあとわれを追い抜き波蹴りあげる/佐藤りえ
雨上り 回転木馬 昇る月 黒い風船 つながれた犬/筒井富栄
凍死した犬のかたわら降誕祭 真紅のイエスの空にむいた瞳/筒井富栄
保護色をもつ者だけが住む街に今朝猟犬は放たれてゆく/筒井富栄
まひる 泣き出す前の沈黙の領域をよぎる黄金(きん)の山犬(ジャツカル)/筒井富栄
ムチならし犬連れた人がゆきすぎるその背の高さほどの日没/筒井富栄
野犬狩りの夢のつづきは野の彼方月光の中を影がとびかう/筒井富栄
犬はチエホフのきれぎれの鎖ひきずって春のはじめを遠のくばかり/筒井富栄
遠吠えの犬に凍った赤い月ダイスあそびに落ちてきた恋/筒井富栄
わが泣くを少女等(をとめら)きかば/病犬(やまいぬ)の/月に吠ゆるに似たりといふらむ〔石川啄木〕
愛犬の耳斬りてみむ/あはれこれも/物に倦みたる心にかあらむ〔石川啄木〕
路傍(みちばた)に犬ながながと呿呻(あくび)しぬ/われも真似しぬ/うらやましさに〔石川啄木〕
真剣になりて竹もて犬を撃つ/小児の顔を/よしと思へり〔石川啄木〕
われ饑(う)ゑてある日に/細き尾を掉(ふ)りて/饑ゑて我を見る犬の面(つら)よし〔石川啄木〕
庭のそとを白き犬ゆけり。/ ふりむきて、/ 犬を飼はむと妻にはかれる。〔石川啄木〕
従きて来し犬は日本の犬なればひそと車座の傍らに座す/稲葉京子
犬は花を見ずとも花を見し人の心の機微を味はひてゐむ/稲葉京子
あのやうな人になりたかつた私を人間になりたかつた犬が見てをり/稲葉京子
信号に吾は停まれども余念なき老犬が来て渡りはじめき/三枝昂之
ならぬことはならぬものです霜月の犬しやんとして死んでゐたるよ/吉田隼人
激震に飛び出して来し人の抱く小犬の瞳濡れてふるへる/山口明子
父が逝きし日のゆふぐれの屋上に黒き犬ゐて吾を見おろす/松平修文
十年を人の目となり働きて老いたる犬は我が家に遊ぶ/野田孝夫
麻薬犬災害救助犬警察犬帰りに一杯やることもなし/香川ヒサ
死の自由われにもありて翳のごと初夏(はつなつ)の町ゆく犬殺し/塚本邦雄
心きほふ日は犬鋸(のこ)の目を立てて吸はるるごとく山蔭に入る/葛原妙子
犬を呼ぶ男(を)の子の低音(バス)のこもりつつ雨あがる庭にこもれる溫氣(うんき)/葛原妙子
人の耳にきこえざる音聽きてゐる犬を繫げる鎖地に曳く/葛原妙子
坂の町犬を曳きゆく一人(いちにん)とあゆめる犬の間の默契/葛原妙子
骨折せし犬がギプスを嵌めてゐる後脚を上げてあゆめり/葛原妙子
薄やみに犬繫がれてゐる夕べ猫はほしいままに食卓に飛ぶ/葛原妙子
甕作る古代の筵に耳立ちし大いなる犬うづくまりゐざりしや/葛原妙子
頭蓋低く差しのべたる野の犬は人間の手に愛撫されけむ/葛原妙子
通行のあらざる夜明石道に犬出でて遊ぶ一尾二尾ならず/葛原妙子
犬の尾の渦巻きしあり垂れしあり巴となりて朝辻にゐる/葛原妙子
遠く立ちてわれを眺むる犬をりきあさあけの犬人を襲はず/葛原妙子
あけがたの路面濡れつつさわさわと浮浪の犬はわれにしたがふ/葛原妙子
曉星(あけぼし)はふたたびいづることなきや犬ゆく石の朝街暗む/葛原妙子
 (アルブレヒト・デューラーに)
放心の天使をりつつ足元に犬うづくまる「メランコリア」/葛原妙子
膝の上にあごを乘せくるわが犬をしづかにはらひわれは立ちたり/葛原妙子
犬猫の目あまたひそむ路地をゆくべつちんの足袋あたたかからむ/葛原妙子
ここあいろの乳房を垂れし犬步み既知にいそげるもののごとしも/葛原妙子
夜のあけぬをちかたにして犬吠ゆるそこのみ寒き空氣搖れゐき/葛原妙子
赤き犬群れゐる部落過ぎにしがわがめぐりなる雪の圓周/葛原妙子
雪踏みて耳ほてりゐる束の間のわが聲透る犬を呼びつつ/葛原妙子
蛾のごとくもの憂き斑(はん)犬セッター種立ちあがるとき薄陽差したり/葛原妙子
犬吠ゆる闇の近きに洋菓子のごとき聖壇ともりてゐたり/葛原妙子
犬の毛皮つけたる農夫ありありと夜の教會の椅子にねむりぬ/葛原妙子
散らばりしぎんなんを見し かちかちとわれは犬歯の鳴るをしづめし/葛原妙子
月の夜は球となりつつ犬の尾のゆたかなる總(ふさ)過ぎむとすなり/葛原妙子
炎天に砂あれば砂によこたはる黑犬は漆黑乳房もろとも/葛原妙子
さわさわと野犬の遊步つらなりあかつきに石の街角はありし/葛原妙子
高層に人のめさめのたゆたへるときあらはるる野の犬の群/葛原妙子
犬の耳雫垂りつつゆききせりさびしくもあるかしづく垂るること/葛原妙子
くひちがひて嚙みし犬齒をおそれたりわが飼猫を埋めむとして/葛原妙子
雪の道のへ消毒藥の匂ひして犬屋の白き犬は放たる/葛原妙子
われをよぎる豫感のしづか猛犬を飼ひて山家に老ゆる日あらん/葛原妙子
病む少女臥床(ふしど)にふかく目醒めつつあまたの犬の怒れる時間/葛原妙子
霧はひくく道を這ひをり黑き犬步める短き足ともろとも/葛原妙子
草の上にゆるやかに犬を引き廻し與へむとする堅きビスケット/葛原妙子
ゆるき坂そこにありつつめぐすりを差してもらひし仔犬を連れゆく/葛原妙子
白き靄充つる街ゆきわが連れし犬も鎖もふとうしなはる/葛原妙子
草枯れの見知らぬとほき町のはづれわがうしなひし犬が走るなり/葛原妙子
わが手より葡萄を食へる犬をりてガラスの扉とほく透きとほる/葛原妙子
マルタ島原産の犬が葡萄を啖(く)ふ灰色の毛を深く垂れながら/葛原妙子
光源の眞下に毛長き犬あそぶときふと犬のうしなはれたり/葛原妙子
走りても走りても汗の出づるなき犬をかなしみ暑(しよ)をかなしめり/葛原妙子
ひかりなき家竝の彼方たまたま犬はひとりに步道をわたる/葛原妙子
山上の耳にしきこゆわが家の暗きに小さき犬は吠えむか/葛原妙子
ゆくりなく振り向きしときわがみたり飼犬が階段をのぼりつつあるを/葛原妙子
犬などがことことと階段をのぼりゆくひたすらなるにわれは微笑す/葛原妙子
長き毛を垂りて敷物の上を步く飼犬は室内を薄明となす/葛原妙子
降雪のやみたる雪原をかへりくる犬の腹毛の暗きゆふぐれ/葛原妙子
ワイパーの拭へる雨の小微明よぎりし黑き犬の尾みえず/葛原妙子
山屋(さんをく)の土間によこたはりゐる犬はをりをりにして端坐をせり/葛原妙子
おろかなる犬といへどもわが投げし青草を咥へ走ることあり/葛原妙子
下半身影なる犬よ窓の邊にひとみを張りてしばしゐる犬/葛原妙子
水番の飼へる一尾の銀ぎつね犬よりもやや嗄れて鳴く/葛原妙子
ひとりゐるわが良夜(あたらよ)飼猫はすでに死にたれ犬失踪す/葛原妙子
まさめにしつぶさにみれば犬の目の奥をしみれば鈍き知惠の火/葛原妙子
坂下に暗い夕燒の立つ時間繫ぎし犬を先立ててゆく/葛原妙子
天空より暗き地上をまさぐるに白き塊なんぢは犬/葛原妙子
薄ら陽の差しそめにける雪の上犬先づ走り人次に走る/葛原妙子
もらひたる仔犬育ちてけふみるに馬のやうなる顏となりゆく/葛原妙子
赤き林に赤き木ありてさむき朝嬉しき犬は走りゆきたり/葛原妙子
幻のおほ犬なればグレート・デーン影なる一家婦を衞りゐき/葛原妙子
犬店に大犬をりき 懶(ものう)げに坐りゐしセント・バーナード犬/葛原妙子
憂犬眺むるものにさはなれや舗道(いしみち)をゆく人の半身/葛原妙子
犬憂へ曳かれたりけりアルプスの斑おほいぬ市街を曳かる/葛原妙子
犬の足渡る二、三步雪積める橋はみじかきときに悲しも/葛原妙子
すわりゐる老犬をりきしろ睫毛白犬なれば瞬かんとす/葛原妙子
犬ちひさくちひさくなりゆき おもむろに犬の原型失せにき/葛原妙子
石疊たひらなりせば思ひいで小さき犬の遊ぶことある/葛原妙子
わがみたる風景にしてうらかなし極月の空白犬に晴る/葛原妙子
漆黑のくちびるをもつ幼獸西藏犬に椀より食はす/葛原妙子
十二時半遠耳に啼く犬をりてガラス室のまだら木の影/葛原妙子
猫と犬ちひさき池のほとりにて出あへる星の夜をあやしまず/葛原妙子
腹熱き仔犬を抱きし少年はまどろむわれを迂回しゆくも/葛原妙子
愛なんて、と言いかけてごわごわの服を着ている犬と目があう/虫武一俊
ただ独り留守居してあればさ庭ゆくまぐれ犬さえなつかしきかな/武田寅雄
つれづれのかかる寂しさ冬日(ふゆひ)さす道のとほくに犬がねて居る/佐藤佐太郎
血に染(そ)みて伏しゐし犬がまだ生きて水すする音暫(しばし)ののちに/宮柊二
夜に呼べば懈(たゆ)げに立ちて寄りて來(き)ぬ人の愛撫に狎れざる犬か/宮柊二
梅雨の夜の居間の片隅ねそべれる犬は起たずて目を上ぐるのみ/宮柊二
われに來よと言ふにやあらん吠えやまぬ犬を撫づべくペン置きて立つ/宮柊二
ポンペイの廃墟の昼を寝そべりて吠ゆることなき犬ら病みおり/小川玲
花びらの転がってゆく朝の道犬との距離を保つ正しく/吉野裕之
悲しげな声で鳴いてる犬がいた塀の向こうの昨日の夜に/工藤吉生
透明に一瞬見える紐なので一瞬自由な犬の散歩だ/工藤吉生
鳴き声が省略形のこの犬を ゥ ゥ 真似したくなる ゥ ゥ/工藤吉生
犬吠える・自動車がくる・自動車はそのまま走り去る・犬吠える/工藤吉生
こそこそと家を回って人の目と犬を怖がる初ポスティング/工藤吉生
写メでしか見てないけれどきみの犬はきみを残して死なないでほしい /岡野大嗣
飼い犬にパン齧らせる夕方のこれ以上ないなめらかなこころ /岡野大嗣
巨(おほ)いなる白毛の犬 顎の下に幼児は神のごとくに笑ふ/山本かね子
ピアノ消え明るき部屋のティータイム隣りの犬の遠吠え聞こゆ/徳高博子
悲しみて二月の海に來て見れば浪うち際を犬の歩ける/萩原朔太郎
座りいる大型犬の美しき骨格透けるような六月/小島なお
フーセー犬ヤング犬ミンコウスキー犬みな実験糖尿病に寄与せりき/上田三四二
犬の目に涙のごときひかるもの低丘のうへに来しときみたり/上田三四二
病舎裏の原に赤土の堆積あり実験済みし犬を葬る/上田三四二
雨まじり吹雪となりてあす屠る実験犬は濡れつつありや/上田三四二
梅雨のあめこめたる闇に犬の仔がくぐもり啼けり倦みて淋しき/上田三四二
コメント
この記事をはてなブックマークに追加