ベーコンが大好きな私は、日本では一般的な薄切りのベーコンではなく、
かたまりの、すなわちブロックのベーコンにこだわる。
TVの料理番組の先生たちも、
「ブロックのベーコンを使うと味が一段と良くなる」と言う。
欧米の消費者は日本のスーパーで売っている向こうが透けて見えるほど薄い豚肉を見て、
なんとも不思議な食材を見たと感じるようだ。
ベーコンでも豚肉でも、欧米ではかたまりで売っていると聞いた。
きょうの料理は、ブロックのベーコンをジャガイモと一緒にカレー粉で炒め、
上にとろけるチーズを乗せてオーブントースターで焼いた。
インドネシアやタイのことわざに、「里芋の葉の露」というのがある。
その意は、里芋の葉に置いた露はころころ転がることから、
意見や心がころころ変わることのたとえだそうだ。
日本の「女心と秋の空」と同じか。
(この項、西谷裕子編、「世界たべものことわざ辞典」より)
そういえば、ヴェルディの歌劇「リゴレット」のカンツォーネに
「風の中の羽根のように・・・」というくだりがある。
インドネシアやタイは「里芋の葉の露」、
日本は「秋の空」、
イタリアは「風の中の羽」。
さまざまにたとえられる女心であるが、さて、貴男は女心を何にたとえますか?
写真は里芋と蒟蒻の煮物。
亡くなった母の部屋の片づけに奮闘している。
ご多分に漏れず、部屋はごみ屋敷寸前の様相だが、
よく聞く話のとおり、本の間からお札が出てきたり、
あちらこちらの財布の中から小銭が出てきたりする。
友人・知人・親戚から届いた手紙やはがきは、
一旦処分してしまうと二度と復元できないので、
とりあえずほとんどすべての手紙類は捨てず、
また、写真も捨てないでとっておいた。
処分するのが一番簡単だったのは衣類と観光
パンフレットである。
女性はおびただしい数のアクセサリーを所有するので、
中には価値があるものもあるかもしれないと思い、
とりあえずは捨てずにとっておいた。
出てきた日記を読むと、こんなことを思いながら
私たちとで暮らしていたのかと思うと涙が出る。
テレビの食べ歩き番組でしばしば取り上げられるデパ地下のお惣菜売場。
いかにも美味しそうにタレントが食べて見せるので、
テレビのディスプレイのこちら側の我々も、
一度は食べてみたいと思うのだ。
きょう買ってきたのは横浜駅前の老舗百貨店の地下食品売り場の、
ホタテとエビとジャガイモとパプリカとブロッコリーのガーリック風味のオリーブ炒め。
これを買ってきた我が家の主婦・シェフが言うには「高かった!」。
高いだけあって、ガーリックのほかに様々な香辛料を使っていると想像できる複雑な味だった。
もう随分前のことだが、知人から色彩豊かなミニトマトをお歳暮でいただいた。
その時はミニトマトにこんなに様々な色のミニトマトがあることに驚いたものだが、
最近は普通のスーパーの棚でも華やかな色をしたミニトマトを売っている。
きょうは赤と黄のミニトマトをモヤシにあわせ、
若布も加えてレタスを敷き、フレンチドレッシングで調味したサラダである。
中華料理では5つの色の食材を使うと立派な料理になると教えられるが、
このサラダは、赤、黄のミニトマトとモヤシの白と若布の黒とレタスの緑が入って丁度5色。
ついでに、このレタスの商品名は“ブーケレタス”と表示してあった。
ブーケレタスは非結球レタスの一種で、
花嫁が手に持つブーケのような形をしているので“ブーケレタス”と名付けたそうだ。
ブーケレタスとは、よくぞ女性にとって魅力的な名前を付けたものだ感心した私である。
タマネギと煙と女には泣かされる。
男にとって厄介なのは女だということ。
(この項、西谷裕子編、「世界たべものことわざ辞典」より)
このデンマークのことわざには解説の必要がない!
タマネギが入ってないトマトスープほど味気ないものはない。
(これは私が新たに作ったことわざ)
スープは熱いうちに、悪口雑言は冷ましてから。
スープは熱いうちに食べるのが良いが、悪口は言う前にぐっとこらえ、
冷静になることが大切である、という意味のスペインのことわざ。
(この項、西谷裕子編、「世界たべものことわざ辞典」より)
なるほど、なるほど、そのとおり!
歳をとると怒りっぽくなるという。
スーパーのレジで怒りまくっている男性の高齢者がいる。
その点、女性は男性のような怒り方はしない。
なぜだろう?
きょう、自分の順番が来るまで1時間余り、区役所の窓口で待っていた。
やっと番号札の数字が出て窓口に行くと、「ここは担当ではない。隣の窓口だ」と言う。
頭にきたという表現がぴったりの状況だったけれど、
怒りをぐっとこらえて「あした改めて来る」と言って区役所を後にした。
豆腐とキュウリとベーコンとミニトマトと赤唐辛子とレタスのサラダ。
いうなれば洋風の冷奴というところだろう。
酒の肴に良し、白いご飯のおかずに良し、栄養たっぷりの一品である。
種を取り除いて鋏で輪切りにした赤唐辛子が効いてエスニックな香りもする。
日本の豆腐は落語に出てくる台詞、「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」という如く、
軟らかいものの代名詞だが、中国の豆腐は硬いそうだ。
軟らかい豆腐と硬い豆腐とどちらが正統派なのだろう。
「口から出たことば、手から落ちた卵」
手から落ちた卵が潰れてもう元に戻らないように、
いったん口にしたことばは取り消すことができない。
ものを言うときには気をつけよということ。
なるほど、なるほど、そんなものか!
(この項、西谷裕子編、「世界たべものことわざ辞典」より)。
このエチオピアのことわざを国会議員諸氏、
とりわけ麻生太郎氏に聞かせたい。
以下は“失言大魔王”の異名を誇る麻生氏の失言。
「ナチス政権の手口に学んだらどうか」
「子供を産まないのが問題だ」
今夜の主菜は私の大好物、芙蓉蟹。
中華鍋を熱し、溶き卵を入れたときに“ジャッ”という音をさせて
強火でさっと仕上げた。
近頃のことだからアジといってもいろいろあり、
遠く外国の海からやってきたアジもあれば、日本の近海で獲れたアジもある。
男性料理の会でお目にかかったアジは、
こらがアジか?と思うほどビッグサイズのアジで、大味で美味しくなかった。
写真のアジは相模湾で獲れたアジを開き干しにしたもので、
これこそ“アジの味”と感激するほど美味しかった。
昔、旅行で泊まった熱海の宿の朝食で食べたアジの開き干しは、
飛び切り美味しくて、ご飯をおかわりしたものだ。
友人からお歳暮として蜂蜜が贈られてきた。
蜂蜜のブランドは“ラベイユ”。
“ラベイユ”とは、フランス語で蜂蜜という意味だそうだ。
上の写真は“ラベイユ”の店舗の写真で、
このような立派で洒落た店構えなので、贈られた蜂蜜は高級で高価格なのだろう。
ところで、セルビアのことわざに、
「愛は蜜と苦味に満ちている」とうのがあることを知った。
愛するが故に憎み、愛するが故に嫉妬する。
愛には甘美な喜びがある反面、苦しみも伴うものであるということ。
(この項、西谷裕子編、「世界たべものことわざ辞典」より)
なるほど、なるほど、そんなものか!
我が妻には、「蜂蜜は認知症予防に効く」から、毎日少しでいいから食べろと言った。
家庭料理の王様、肉じゃがをカレー風味に仕立て、茹で玉子を飾った。
肉じゃがのバリエーションは、
肉は、値段が高い順に、牛肉、豚肉、ひき肉。
ジャガイモは、男爵、メークイン、キタアカリ。
ジャガイモの調理方法は、ジャガイモの形を残すゴロゴロタイプと
ジャガイモの形が残らないくらいにしっかり煮込んでしまうタイプなどがある。
カレー風味肉じゃがは正統派の肉じゃが愛好家からひんしゅくを買いそうだけれど、
ちょっと変わった肉じゃがを食べたいという人にはお勧めだ。
孫が通う幼稚園のお遊戯会を見に行った。
年少組の子どもたちを見たあとに年中組の子どもたちを見ると
たった1年の違いで年中組の子どもたちが立派に見え、大人びて見える。
それにしても、幼稚園の先生たちの働きぶりには感嘆すると同時に、
出演した子どもたちの立派な演技に感動した。
スーパーの店頭からバターが消えて久しい。
パンにつけるにはバターが無くてもマーガリンでも間に合うが、
料理する場合はバターが無いと困る場合がある。
困る場合の代表は、グラタン、ホワイトソースなどである。
我が家では比較的しばしば、グラタンやクリームシチューを作るので、
これ以上バターの品不足が続くと困る。
今夜は貴重なバターを使ってナスのミートソースグラタンを作った。
ニンジンに限らず、野菜の味がそれぞれ違うのは、
その野菜を作った農家の技術の巧拙のほか、土地そのものの違いがあるのかもしれない。
もちろん、新鮮さも大切で、したがって、農協の直売所で買うことが多い。
しかし、物流が発達した今の時代は、
スーパーの店頭に並んでいる野菜でも、収穫してからそれほど時間がたってないと思われる。
きょうのニンジンのサラダは、色が濃く、味も濃厚で、
いかにも栄養たっぷりのようにに感じた。