私事であるが、来月は私の誕生月である。11月が近づくにつれ、私の中で徐々に現実化してきた問題がある。
それは『自分へのバースデープレゼント』である。私は誕生日が来ると、「この1年間、大過なく無事に過ごせのだなぁ」と少し感傷的になり、何かに感謝したくなったりするのだが、それを祝ってのこともあり、日ごろつましく生活している私が、自分へバースデープレゼントを送るのである。
今までの自分へのプレゼントを並べると、英会話、スポーツジム、マッサージチェアなどなど。一見ばらばらなのだが、これらは「激務で忙殺されている自分を、どこかで解放しないとおかしくなる」という心の叫びが見え隠れする品々だ。
今年はというと、欲しいもので真っ先に浮かぶのは『机』である。今の机でも十分仕事はできるので、サイドテーブルでも良いのだが、自分の仕事環境をより充実させるものが純粋に欲しい。サラリーウーマンだった頃には考えられない品物だ。
プレゼントのあれこれなど、何とも幸せな悩みなのだが、「自分にひとつ、何かを与えるとして、何を望むか?」それで今の自分の視点がどこを向いているのかがわかるように思え、少し心理学者もどきの気分になった。その素人学者が私に下した所見は「心身充実、引き続き前進」である。来年も同じ判定をだせるよう、邁進していきたいものである。
それは『自分へのバースデープレゼント』である。私は誕生日が来ると、「この1年間、大過なく無事に過ごせのだなぁ」と少し感傷的になり、何かに感謝したくなったりするのだが、それを祝ってのこともあり、日ごろつましく生活している私が、自分へバースデープレゼントを送るのである。
今までの自分へのプレゼントを並べると、英会話、スポーツジム、マッサージチェアなどなど。一見ばらばらなのだが、これらは「激務で忙殺されている自分を、どこかで解放しないとおかしくなる」という心の叫びが見え隠れする品々だ。
今年はというと、欲しいもので真っ先に浮かぶのは『机』である。今の机でも十分仕事はできるので、サイドテーブルでも良いのだが、自分の仕事環境をより充実させるものが純粋に欲しい。サラリーウーマンだった頃には考えられない品物だ。
プレゼントのあれこれなど、何とも幸せな悩みなのだが、「自分にひとつ、何かを与えるとして、何を望むか?」それで今の自分の視点がどこを向いているのかがわかるように思え、少し心理学者もどきの気分になった。その素人学者が私に下した所見は「心身充実、引き続き前進」である。来年も同じ判定をだせるよう、邁進していきたいものである。