今回は、三宅坂、鍋割坂、梨の木坂、富士見坂などを巡ったが、途中、あちこちに寄り道をした。
出口3から出ると、左の写真のように眼の前が桜田門で、左側にある堀が桜田壕である。反転して堀を右に見て、左に内堀通りを見ながら歩きはじめる。このあたりが、三宅坂の坂下のようであるが、まだほとんど平坦である。ここから坂上の半蔵門を目指す。三枚目の写真のように、堀の向こうを見ると、堤の上に沿ってこれから歩く上り坂のコースが続いていることがわかる。ちょっと歩くと、右の写真のように、左正面に国会議事堂が見えてくる。この国会前の信号のところをすぎたあたりから徐々に勾配がついてくるが、かなり緩やかである。
20年ほど前、この近くに勤務していたころ、運動不足解消のためと称して昼休みに、このあたりをよく歩いたことがある。桜田門を通り抜け、桜田壕に沿って今回と同じ方向へ歩き、そのまま竹橋方面へと歩き、皇居の回りを一周した。季節は、今回のような暑いときではなく、日差しが心地よいころであったから秋から初冬のころであったと思う(暑いときは、地下街を歩きまわっていた)。そのころからジョギングをする人もいたが、歩いている人もいて、中にはかなり健脚と思える老人もいて、付いていこうとしても離された。当時、坂などに関心はなかったが、それでも、今回、久しぶりにこの坂に来て懐かしい感じがした。私的にはそういう気分になる珍しい坂である。
今回、ジョギングをする人はたくさんいたが、それに比べて、休日のせいなのであろうか、散歩ふうの人は少ない。ほとんどの人が半蔵門から桜田壕(三宅坂)の歩道をかけ下ってくるが、なにか理由があるのだろうか。この方が壕を眺めながら坂を下ることができるので気分がよいのかもしれない。
国会前の交差点をすぎたあたりから道路の反対側を見ると、左の写真のように、こんもりと樹木が茂っているが、ここの歩道わきに、井伊掃部頭邸跡の標柱が立っており、そのわきに桜の井跡が残っていいる。ちょうど、首都高速環状線のトンネルの出入口で、騒がしいところである。(ここは、後で行く。)
尾張屋板江戸切絵図(麹町永田町外桜田絵図)を見ると、桜田門の前から堀に沿って半蔵門方面へと続く道がある。堀の側から西北方向に広がって井伊掃部頭の上屋敷があるが、上記の標柱の立っているあたりが表門のようである。井伊邸の前のあたりの道に、サイカチ河岸、とある。井伊家の北となりに三宅備前守の上屋敷があるが、坂名も坂マークもない。近江屋板では、三宅土佐守となっており、その前の道に、坂名はないが、坂マーク△がある。坂名は、この三宅邸の側にあった坂であることに由来する。
標柱などは立っていないが、千代田区のホームページに次のような説明がある。
「15.三宅坂(みやけざか)・皀莢坂(さいかちざか) ・橿木坂(かしのきざか )
半蔵門外から、国立劇場前を桜田堀に沿って警視庁わき辺りまで下る坂です。東京でも代表的な坂の一つで、景勝の地として知られています。国立劇場のある辺りに三宅備前守の上屋敷があったことから三宅坂と呼ばれました。また、昔は堀端に皀莢の木や橿の木が多く茂っていたので皀莢坂とか橿木坂と呼ばれたこともあるようです。字は異なりますが、「さいかちざか」は「41.」にもあります。」
緩やかな上り坂を歩いていくと、緩やかなカーブを曲がりながら車が下ってくる。このあたりに、左の写真のように、柳の井戸の標識が立っており、次の説明がある。「この堤の下に柳の井戸があります。近くの、もと井伊候藩邸表門前にあたる所にある桜の井戸とともに、江戸時代から名水として知られ、当時の通行人に喜ばれていました。」
土手の下に柳の木が見えるが、そのあたりにあるのだろうか。歩道からはわからなかった。桜の井戸の跡は、上記のようにいまも残っている。
『御府内備考』に、桜の井戸は紹介されているが、ここの井戸はのっていない。紹介されている「柳井」は清水谷にある井戸である。また、戦前の昭和地図、昭和31年の23区地図にはこの柳の井戸がのっている。
やがて、1~3枚目の写真のように、西へと延びる青山通り(国道246号線)の起点となっているT字路に至る。この青山通りのわきに社会文化会館があるが、このあたりまで井伊邸の敷地で、その北側に上記の三宅土佐守邸があった。1,2枚目の写真のように、現在、最高裁判所がある付近である。そのさらに、北側に国立劇場があるが、この北側に鍋割坂がある。
三宅土佐守邸のあったT字路の上下付近がこの坂でもっとも勾配があり、江戸時代にもそうだったとすると、この坂を三宅坂と呼んだのがうなずける。ここを上って国立劇場の前あたりになると、かなり緩やかとなる。
内堀通りは、この坂付近で横断歩道がきわめて少なく、国会前交差点の信号の次は、青山通りの起点までなく、その次は、坂上の半蔵門までなく、しかも道幅が広い。このため、後で行く国立劇場、最高裁判所のある反対(西)側の歩道はまったく別のところのような感じとなってしまう。
この坂は、全体として勾配はさほどないが、国会前の交差点のあたりからでも坂上までかなりの距離があるので、坂上ではかなりの標高になる。
坂上の半蔵門前から坂下の方(南側)を見ると、桜田壕が中心になってその周りの皇居の森や歩道の街路樹や堤の法面の緑がよく映えてよい景色となっている。右の写真のように、東京にしては珍しく眺望のよいところである。
(続く)
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大日本地誌大系御府内備考 第一巻」(雄山閣)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)