東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

伝通院~大黒天~無名坂

2011年03月21日 | 坂道

伝通院 伝通院 善光寺坂を上り直進すると、右手が伝通院である。中に入るが、工事中でちょっと荒れた雰囲気である。

伝通院は、慶長14年(1609)に創建され、徳川家康の生母於大の方の墓所で、二代将軍秀忠の娘千姫などの墓もあるとのこと。

尾張屋板江戸切絵図(東都小石川絵図)を見ると、伝通院はひときわ大きく描かれており、表門は、現在の安藤坂上と春日通りとの伝通院前交差点のあたりにあり、現在の門は中門であった。

永井荷風は、随筆「伝通院」で次のように回想している。

「寺院と称する大きな美術の製作は偉大な力を以てその所在の土地に動しがたい或る特色を生ぜしめる。巴里(パリ)にノオトル・ダアムがある。浅草に観音堂がある。それと同じように、私の生れた小石川をば(少くとも私の心だけには)あくまで小石川らしく思わせ、他の町からこの一区域を差別させるものはあの伝通院である。滅びた江戸時代には芝の増上寺、上野の寛永寺と相対して大江戸の三霊山と仰がれたあの伝通院である。
 伝通院の古刹は地勢から見ても小石川という高台の絶頂でありまた中心点であろう。小石川の高台はその源を関口の滝に発する江戸川に南側の麓を洗わせ、水道端から登る幾筋の急な坂によって次第次第に伝通院の方へと高くなっている。東の方は本郷と相対して富坂をひかえ、北は氷川の森を望んで極楽水へと下って行き、西は丘陵の延長が鐘の音で名高い目白台から、『忠臣蔵』で知らぬものはない高田の馬場へと続いている。
 この地勢と同じように、私の幼い時の幸福なる記憶もこの伝通院の古刹を中心として、常にその周囲を離れぬのである。
 諸君は私が伝通院の焼失を聞いていかなる絶望に沈められたかを想像せらるるであろう。外国から帰って来てまだ間もない頃の事確か十一月の曇った寒い日であった。ふと小石川の事を思出して、午後(ひるすぎ)に一人幾年間見なかった伝通院を尋(たずね)た事があった。近所の町は見違えるほど変っていたが古寺の境内ばかりは昔のままに残されていた。私は所定めず切貼した本堂の古障子が欄干の腐った廊下に添うて、凡そ幾十枚と知れず淋しげに立連った有様を今もってありありと眼に浮べる。何という不思議な縁であろう、本堂はその日の夜、私が追憶の散歩から帰ってつかれて眼った夢の中に、すっかり灰になってしまったのだ。」

荷風は、自分の生れた小石川を他の地域から異ならせるのは滅びた江戸時代から続く伝通院の存在であるとし、幼い頃の幸せな記憶はここが中心となっている程である。帰国して間もない頃、久しぶりに訪ねたその夜に灰燼に帰したことを驚きをもって記している。

伝通院前 大黒天 大黒天 大黒天座像説明板 伝通院を背にして右側の歩道を歩くと、すぐに大黒天の門前である。門前の説明板によると、大黒天信仰は8世紀に我が国に伝わり、以来、大国主命伝説と習合して寺院の食堂(じきどう)に祀ると繁栄を招くといわれ、江戸時代になって民間信仰となって広まり農神として祀られ、七福神の一つとのこと。

江戸切絵図には、現在と同じ場所に、三国傳来大黒天、とあり、伝通院内にあった。

ここは、ときどき、荷風の「断腸亭日乗」にでてくる。 昭和8年(1933)「正月元日。晴れて暖なり。午後雑司谷墓地に徃き先考の墓を掃ふ。墓前の蠟梅馥郁たり。先考の墓と相対する処に巌瀬鷗所の墓あればこれにも香華を手向け、又柳北先生の墓をも拝して、来路を歩み、護国寺門前より電車に乗り、伝通院に至り、大黒天に賽す。堂の屋根破損甚し。境内の御手洗及び聖天の小祠も半朽腐し丸太にて支えたり。瓦は尽く落ちトタン板にて処ゝ修繕をなしたるまゝなり。・・・」  

無名坂法蔵院前 無名坂真珠院前 真珠院説明板 無名坂下 伝通院前から荷風生家跡や今井坂(新坂)へ前回に続いてもう一度行き、そこからもどり、三百坂に行こうとしたが、道を間違え、一本東側の道に入ってしまった。しかし、ここに少しうねりながら下る無名の坂があった。坂の左(西)に法蔵院、真珠院がある。

江戸切絵図に、位置が異なるが宝蔵院というのがあり、これがそうなのであろうか。真珠院はいまと同じ位置にある。門前の説明板によれば、於大の方の生家である水野家の墓所があるという。

坂を下る途中で、道を間違ったことに気がついたが、坂下から坂上を見たら、未来社という聞いたことのある出版社の看板が眼に入った。
(続く)

参考文献
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
「荷風随筆集(上)」(岩波文庫)
永井荷風「新版断腸亭日乗」(岩波書店)

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