手打ち蕎麦屋から見る世の中 

おいしいコーヒーと玄米チャーハンがある店 日々の雑記

タイ・サイターン通信

2011-12-30 12:41:34 | あるがまま舎のイベント

今年の11月、お店の休業日、福岡に戻る日に日程が合う講演があったので、途中下車して参加した。そのことを書きたいと思いつつ、日記には書いたがこれにも書いて知らせたいと思っていたのだ。

一つはアフリカのガーナのカカオ生産現場の子供のお話、もう一つはタイのHIV/AIDSの患者さんの支援のお話。

先日NGO福岡ネットワークの機関紙(会員になって定期購読している)が送られた来た、その中にその記事が載っていて、分かりやすいのでコピーしてこれに転載することにした。今回はタイのお話を。Hiv

お話をしてくれた早川さんと終わったあと話が出来、よしタイに行ったら早川さんの所に行くぞと思った。遊びに行くというよりそこに行って雑用(?)を手伝いながら、ちょっぴりの支援で、ちょっぴり関係が出来るということか。まあ、行って見なければ何事もわからない、行ける所が出来てうれしいのだ。


世界記憶遺産 山本作兵衛さん

2011-12-26 15:28:08 | インポート

ユネスコが始めた世界記憶遺産に山本作兵衛さんの炭鉱を描いた絵が選ばれた。日本政府も藤原道長の自筆の日記「御堂関白記」」など国宝2軒を推薦する予定だったらしいけど田川市は一足早く申し込んでいたという。

俺が田川市の木工の職業訓練校に通っていた頃、山本作兵衛さんの絵を石炭・歴史博物館でしっかり堪能したのだ。そういうこともあって、うれしい心地になった。

藤原道長もいいけど、炭鉱労働者、その同じ目線で描いた山本作兵衛さんの絵はいい、絵を見ながら歴史はこういう人々が支え、作ってきたとつくづく思った、という訳で2重にうれしい。

山本さんのこと

筑豊各地で働きながら、日記や手帳に炭鉱の記録を残した。福岡県田川市にある炭鉱事務所の宿直警備員として働き始めた60代半ばに、「子や孫にヤマ(炭鉱)の生活や人情を残したい」と絵筆を取るようになり、自らの経験や伝聞を基に、明治末期から戦後にいたる炭鉱の様子を墨や水彩で描いた。(ウィキペディアより)

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今年初めて、本格的な雪 「蠅の帝国」

2011-12-25 13:25:17 | インポート

本格的といっても、ほんの数センチ、積もる地域に比べれば微々たるものだ。又、俺が此処に来た頃の12年前に比べれば雪の積もる量もずいぶんと減った。このところ12月に入って訪れるお客さんの数もずいぶん減り、今日は日曜日というのにお客さんは来ない。薪ストーブにあたりながら本を読んでいる。ここちいい気分だけど貧乏性のせいか、売り上げと生活費の心配をしながら今ひとつ落ち着かない気分もある。

今「蠅の帝国」を読んでいる。太平洋戦争の知られざる一面を描いている。たくさんの資料を読み込み、何人かの軍医の戦争時の生活を描いている。個々の軍医になりきって声高でなく、平行な目線で淡々と。戦争のありえて欲しくない日常が伝わってくる。

これを読んでいて、若い連中はどう感じるか、又、手にとってたくさんの若者が読むだろうかと思ったけど、あまり期待は出来ないように感じた。若者にとっては江戸時代、明治時代と同じ遠い過去の出来事となるのではと思う、ちょっと諦観的になるけど。

今を体験、享受する若者にとって、IT事情についていけないおじさん達の今を見ていれば邪魔になってもうらやむことはないし、そんなおじさんたちの過去やそれに伴う感傷(本に対して俺がそう思っているわけではない)Dsc00520 などうらやむことはない。ちょっと前のように先人が培った知識や智恵が尊ばれる時代ではない。昔の話をしても貧乏や社畜のどこが幸せなのだと疑い、携帯電話もインターネットのない時代なんて想像できないようだ。

今若者にとって、問題なのはお金を抱え込んだり、いろんな利権や既得権を抱え込んでいるおじさんたちがそれらを手放なさないことで、しかしもう数十年も待てば悲惨なおじさん達(その時はおじいさん)、そのおじさん達を横目で見ながら電脳社会を謳歌している若者(その時はおじさん)が垣間見える、、、と過去を感傷、未来を感傷的に思う俺がいる、雪景色を見ながら少々落ちてしまっのか。しかし景色で心地よくなった分、又もう少し生きてみたいとぐっぐっと力も入る。


今年初?の雪

2011-12-18 16:34:44 | インポート

Dsc00488_7 初?と書いたのは前日だったかほんのちょっと、やはり粉雪が少し降ったのだ、そして16日、それよりもう少し降ったのだ。去年に比べると今年は暖かく干し柿もうまくできないと言う人もいる。しかし今度は本格的な冬の始まりのようだ。


日田には映画館リベルテ

2011-12-12 20:11:26 | インポート

此処人口1万人の九重町、その山の上の飯田高原、かってはそこにも映画館があった。キャベツの産地だったり、硫黄の産地だったり、温泉に来る人も絶えず、あの川端康成らの有名人も数多く訪れた頃の飯田、その頃飯田にも映画館があった。今映画館もなくなり、 メイン通りは人通りも少なく、吊橋や登山道や蓼原湿原に続く通りには車が行き交う。

日田には一時映画館がなくなった時期もあったが、今映画の面白さと多々ある文化とのコラボレーションで今日田には「リベルテ」という映画館がある。

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