ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

篝火の、篝

2023-02-18 13:55:52 | 日々の暮らし・思い出

本の中に 篝火 という文字があった。

篝火 で思い出す。

産まれた私の名前にこの篝火の篝という名前にしようかという話があったそう。

突拍子も無い名前だと反対されて今の

ナンタラ子にしたそう。

ナンタラのの意味もいいとは思うけど。

篝 という名前を付けたかったのは父だったか、母だったか、

忘れてしまったが、母ではないような気がする。

母 という人がどんな人だったのか、私から観えた母は

あまり決めつけのない人ではあった。

相手がどうだろうと、合点が行かないことがあると、

ストレートにその相手に

容赦なく抗議、反論する面もあった。

そんな母のエピソード・・・

自宅の隣が近くのパチンコ屋さんの駐車場で、

そこに暴走族みたいな若者がエンジンを吹かして

大きな音を立てていた時、それを聞いた母は飛んで行き、

その音に負けずと大きな声で、それをするなら自分家の前でやれ‼️

というようなことを叫んでいた。

彼らは出て行った。

もう一つよく覚えているのは、

我が家は大きな通りから少し入った所にあって、

その大通りからの入り口に車を止められたことがあり、

我が家からその大通りに出られないことがあった。

それがわかった母はその車の主に出られないじゃないかと

腹立ちを込めて言ったからだと思うが、

乗っていた若い二人連れは怒り、この糞婆!と叫んだのだ。

それに対し母は一段と怒り、

あんたらも年をとれば糞婆や糞ジジイになるんだ!

そう言ったのだ。

その2件目撃した。

私は母が逆恨みされるのではないかと心配して、

追いかけて行ってそれを見たのだ。

そういうエピソードを持つ母が

「篝」などという言葉を思うわけがないと思う私だ。

でも母は読書好きという一面もあった。

父はわけのわからない元非行少年の大酒飲みの飲んだくれ、だった。

気が弱いのか、善悪に関心がないのか・・・・

常識に囚われない面もあった

私がまだ小さな頃、新聞沙汰にもなったことがある位だ。

そのくせプライドも高くて、

よくわからない人だった。

そのどちらとも篝などという名前を思いつく感じがしない。

もし私が戸籍上、篝 と名づけられたとしたら、

どんな人生になったのだろうと夢想する。

篝火 とは輝り という意味があるそうだ。

どんな名前だろうとそんなことは人生と関係ない、、、

と言う人も多いとは思うけれども、

そうとも思えない私だ。

人生の始まりより終わりの方にずっと近いこんな時に

こんなことを考えるなんてアホらしいとも思うけれど、

夢想するのも面白い。

篝 

かがりさん、なんて呼ばれたら

きっと、かなり、多分、幾らかは、、、

全く違う人生になってた、、、

なわけないか、やっぱり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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