ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

何故こうなのか

2021-08-09 12:34:06 | ひとの幸福

久しぶりだ。

書こう書こうと思っているのにパソコンの調子が悪くて

面倒に思ってしまってる。

で、これはスマホから。

何故私はこうなのか・・・

最近そんなことを思う。

何故こうでしかないのか・・・

能天気というが当たっている気もする。

のうてんきと打ったらこの字が出た。

娘と話しているとき、よく彼女は「悔しい」という言葉を発する。

それを聞いて、私は悔しいと思ったことがあまりないなぁと思った。

けれど、自分がしていないことをしたと言われ、

非難された事なんかでは

悔しいという気持ちになった事はある。

けど、自分の持っている能力以上のことについては直ぐに諦めてしまう傾向は大有りだと思う。

出来ないことを出来ないままにしていることに抵抗がない。

小学生の時から・・・

鉄棒で逆上がりが出来なかった。

縄跳びの二重跳びなんてとても出来なかった。

走ることは出来たけど、かなりタイムは悪かった。

運動会で最後尾を一人走っていて誰も周りにいないのに一人で転んだ。

跳び箱は跳べなかった。

音楽の♪を見てもまるきり音を想像出来なかった。

・・・こういった出来ない事について悩んだ事がなかった。

私は出来ないんだ。

それだけだった。

向上心がない。

そういうことなんだろうと思う。

向上心が強くて、それが叶わないと悔しいのかと思う。

向上心もあって、トライして、出来ないとわかっても、

悔しいと思わない人っているのだろうか・・・

・・・わからない。

唯一できないことをやってみようと思ったのは

ピアノを弾くことだった。

53才頃、いきなりピアノを弾きたい!と思いつき、

電子ピアノまで買って一年レッスンに通った。

向上心はあった。

思うように指が動かず、やだー!!と思ったことがあり、

あぁ、こういう気持ちの経験をスポーツをする人はしてるんだ!と思った。

一応バイエルは終えた。

今はかなり練習しないと50番位も弾けないと思うけど。

他の上に書いた出来なかった事については向上心などまるきりなかったのだ。

出来るようになりたい、という強い思いがピアノのレッスンを後押しした。

思うように指が動かないということに、

あ〰️😞‼️‼️‼️もうやだぁ‼️と嘆き、

でも、次のレッスンの日までは習得しなくちゃ!で、

頑張ってやった。

やりたくなくても、それをしないと、

その曲を弾けるようになれないことはわかっていた。

こういう経験はピアノを前にしたことだけだ、私の人生で。

 

私は跳び箱も縄跳びも逆上がりも出来るようになりたいと思わなかったのだ。

ただそれだけのことだ。

・・・こうしたい!こうなりたい!という欲望がなければ、

悔しいと思う気持ちもない。

かといって、自分は欲望がないわけじゃない、と思う。

欲望大有りだ。けど、

鉄棒も跳び箱も出来なくていい、というのが無意識にあったんだろうな。

出来ない私にとってはどうでもいいことだったんだろう。

自分がやりたいと思うことについては熱心だった、熱心だ、と思う。

やりたいと思うことはやって来た、と思う。

この人生やりたいと思うことしかやって来てないかもしれない。

そんなこと聞くと、えぇー!!かもしれないけど、

悔しいという気持ちも味わわずにいたということは

そういうことなのかもしれない・・・

なんて思うのだ。

やりたいことの中身は小さなことだ。

大それたことなんかない。

自分の身に合ってたことなんだろうと思う。

ちっとも立派なことじゃない事柄ばかりだと思う。

食事の支度なんかしたくない!

と思ったことはあるけど、

わりと直ぐに、やるか!になる。

本当に本当に本当にやりたくないことをやったことは

40年近く前の事だけど凄くよく覚えている。

凄く凄く苦痛だった。

嫌々ながらやることの多大な嫌な嫌な気持ちは忘れることは出来ない。

 

悔しいという気持ちもそれほど経験せずに、

蛙の面にしょんべん、で生きて来たんだろう。

悔しさも歯がゆい思いもせずに蛙の面でこの人生を生きて来た。

そういうことなのかもしれない。

幸福だったか?と聞かれてもそれはよくわからないけど、

自分を好きで居られる時間が多いなら

幸福だと言えるんじゃないかと思う。

自分の人生は自分しかわからないもの。

自分を好き、という目安も人それぞれだろうけど、

私はそのハードルが低いのかもしれないな。

まだもう少しこの人生もあるだろう・・・

・・ないかもしれないけど・・・

明日死ななければこの人生は明日も続いて行くだろう。

生きている間、自分を好きで居られる日が多いといいなと思う。