ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「元気をもらう」という言葉

2019-01-27 16:48:48 | 日々の暮らし・思い出

「元気をもらった」とかいう言葉に抵抗があった。

あれ、前に書いたかな・・・

元気は「貰う」ものではなく、「なる」ものだ、みたいなのが強くて。

けれど、昨日だか一昨日、

石垣に居る娘や孫たちの元気で可愛い様子をスマホのフェイスタイムで、

見たり聞いたりした、その時、

「元気をもらった」という言葉が予期せずやってきた。

おっ!!と思った。

孫らの凄いエネルギーを感じた、という感じだった。

元気で屈託なくていいなぁという感動もあった。

「元気になる」と「元気をもらった」というのの、

私にとっての違いがわかった気がした。

元気をもらう、というのはその時気分が上がったという感じだけど、

元気になる、というのは

元気でなかった状態から元気になったという状態に変わることで、

それは気分だけのことじゃない、感じ。

まぁ、これは私の感覚に過ぎないんだけど。

元気をもらった、と感じることがある人の中でも、

それがどういうものなのかは一人一人違って当たり前のことだろうし。

 

 


COPD・・一年経って・・・2

2019-01-27 16:12:51 | 日々の暮らし・思い出

前回書いた心電図検査のこと、二日間というのは私の勘違いでした。

その器具?を24時間付けるらしい。

どんなふうに悪いのか、いいのかが興味津々だ。

けどまぁ、左側の胸に違和感が時々あるのは間違いない。

昨日は割と一日中違和感があったけど、今日はない。

なので、検査をするその一日がどういう感じなのかはその日任せでわからないなぁ・・・

まぁ、その日にそういうことをドクターに伝えよう。

COPDと診断された一年前、しょうがないなとすぐ観念したけど、

COPDではないとわかってやっぱりほっとしている。

インフルエンザに罹ったら増悪(ぞうあく)といって、

それ以前より悪化することが多くて、

インフルエンザ罹患前の状態に戻ることはないとか、

肺炎になっても悪化するとか、ネットにあったし。

これで安心してインフルエンザにかかれる。

なりたくない、という気持ちを持つのは、

なりたい、という気持ちを持つよりしんどいものだと実感した。

 

 

 


COPD・・一年経って・・・

2019-01-25 19:22:18 | 日々の暮らし・思い出

今日は一年前から診てもらっている医院ではなく、

呼吸器科がある医院に行って来た。

一年前、医者に診てもらい、COPDと診断され、

薬を処方されてから、その時感じてた息苦しさがなくなったので、

そういう病気なんだと思った。

(これについては、今日のドクターは息苦しさがなくなった原因は

その薬を飲んだからというわけではないかもしれない・・と言った)

そうは考えなかった私は診てくれたドクターが

そうと診断したのだから、そうなんだろう・・・

としか思わなかった。

やっぱり薬は凄い、と思っていた。

この思い込みこそ凄いね・・・

今日はCOPDのスパイロ検査をしてもらいに行ったのだ。

COPDとわかるのはその検査をすることだとネットで見たことはあるのだけれど、

薬も効いているようだし、特に困ったこともないし、

COPDなんだろうと思って、

その検査はせずに一年間ステロイドの吸入薬を朝晩吸っていた。

でもやっぱり、その検査をしてみようと二週間ほど前に予約して

呼吸器科のある医院に行って来たわけだ。

その結果は肺をレントゲン撮影しても異常なしで、

スパイロメーターによる呼吸検査も正常でありました。

それは自分の年齢より12歳も若い57歳レベルだと。

ドクターも、まぁこの年齢はふにゃふにゃ・・・なんですがね・・

とは言ってたけど。

とにかく私の肺は元気だったのです。

けれど、心電図の検査に引っかかり、

今度二日続けて一日中心電図の機械を胸に張り付けておく検査をすることに。

秋の特定検診での心電図は正常だったなぁ・・

けれど、胸のあたりの違和感はちょうど一年前くらいからあって、

それはCOPDの症状かなと勝手に思っていた私だ。

私をCOPDだと診断したドクターも藪医者だけど、

私もかなり思い込みが強い。

今日の呼吸器科のドクターは私を診て、

COPDと診断したドクターを

結構強くインチキ医者と言っていた。

前のドクターの言動に、あれ?と思うことが何度かあったし、

もうそこに行くことはやめる。

ドクターも人間だから間違うこともある。

けれど、ネットを見れば診断方法もわかる病気に・・・・

やはり疑問は残る。

これはそのドクターに会って間違いでしたよと伝えるべきなんだろうか・・・

こんな鵜呑みにするような人もいるので、

今後気を付けて下さいねって。

今度二日間べたで心電図をとって異常が見つかって、

これは一年前にナントカすれば治ったものを

もう手遅れです・・なんてことになるやもしれぬ・・・

 

 

 

 


在ることとそれに執着することと

2019-01-12 15:07:16 | ひとの幸福

書いてよかった。

学園の出来事と当時の私の意識の在りようとは無関係ではない。

世界の出来事が私と無関係ではない、というのと同じように。

そけれど、学園は世界よりずっと小さな身近な世界だった。

自分の意識の未熟さがよくわかるこの過去の出来事を、

無いものには出来ない。

在っていい。在って当然だ。在るんだから。

けれどそれに執着するのは人生によくない。

正しさと、それを持つこととは別というのと同じだ。

執着が人生を暗くする。

執着が世界をダメにする。

 

 


子どもの学園

2019-01-12 14:56:08 | ひとの幸福

いつかは書ける時が来る・・・

自分の心の奥にあるものをちゃんと観ず、

うやむやにしたままで終わらせるのは・・・

やりたいことじゃない。 

それは子供の事じゃなくて自分の事なんだから。

さて、こうして書き始めたはいいが・・・

夏川りみのCDを聴きながら、今、

今度生まれる12人目の孫用にベビードレスを裁って、

縫う処に印のようにアイロンをかけていたところだったのだ。

それを終えて、さぁ、縫おうとしたときに、

どうしてこういうことを書き出したんだろう、私は。

普段こういうことがいつも頭にあって、くよくよしたり、

鬱っぽくなったりとか、そんなわけじゃないんだよ。

そのことで起こる表立った障害に悩まされているわけでもない。

けれど、私の心の奥で消えることのない、

排泄しきれていない便みたいなもの。それ。

排泄しきれていない便って、

出したくても出て来られなかったもの。

 

それがこの前のブログと関連して、

出て来れなかった便が日のもとに出てきてくれた、そんな感じがする。

そうだ、それを書こう、となったのだ。きっと。

娘が育った学園では子供にとって辛いことがたくさんあった。

前回書いた出来事の後で、

娘がその学園についての非難の言葉を発したときに、

それがすっと耳に入った。

「ひどいね!」この言葉が何の屈託もなく、

するっと自分の口から出た。

世界で起こる悲惨な出来事を新聞で読んだ時の感想のように。

便秘が続いたあとの排便みたいに。

これはどういうことなんだろう。

自分がその学園に行くことを娘に勧めた・・・

なので、娘たちが学園での出来事を話しているのを聞く時、

自分が責められている、というとげを自分が自分に刺していたのだ。

それがなくなったのでなければ、すっと軽く聞けたわけがない。

確かに娘たちは私を責めるためにそれを言っていたのではないと思う。

私は紐付きで聞いていた。それはわかる。

どんな紐だったのか・・・

学園での出来事と当時の私の意識の在りようを結ぶ紐だと思う。

そしてそれはどうしても無関係とはいえないものだと思っている。

当時そこに居た人たちの見えない意識のうちにそれは成り立っていたものだと思うから。

けれど、すっと聞けたこと、それは本当になんだったのか・・・

そのことは今の私にとって、軽くなった、よかった、

それだけでいいのか・・・

娘たちは、そういう出来事があった、と言った。

私はそういう出来事があったんだ、と聞いた。

そして、ひどいね、と私は言った。

それだけ。それだけでいいのか。

あ、そうか。

無関係ではない、という私の思いはそのまま在っていいんだ。

そういう私の思いが在る、ということと、

彼女らが言った言葉をあぁ、そうかと聴くことは矛盾しないんだ。

そうだ、そうだよ。聴く時は聴くだけだ。

こちらの都合はこちらの都合。それを

聴く時に持ちだしたらいけない。

そうだ、前回のと同じだ。

私のそういう思いは在っていい。だって在るのだから。

あぁ、書いてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


正しさ と 正しさを持つことと・・・

2019-01-09 17:56:50 | ひとの幸福

あの日からもうじき三カ月が経つ。

いやぁ、このページに来たのも四カ月も前のことだ。

あの日から書こう書こうと思ってたんだけど、

ついついその時その時のやりたいことに気が行って、こんなに月日が経ったよ。

パソコンに触れるのも久し振り。

 

娘が保育園時代のことをずっと寂しかった、と私に何度も言ったことがある。

私は専業主婦ではなく、子どもを育てて居た頃、ずうっと働いていた。

勿論、仕事を続けたいというのもあったし、

生き物は群れの中で育つのが当たり前と思って、

家で一人で育てる、なんて考えたこともなく、

そんなこと能力的にとても出来ないとも思っていた。

娘は産休明けから小学校に入るまでずっと保育園で育った。

なんせ物心もつかぬ生後八週間からの毎日が保育園と我が家。

保育園行くの嫌だとか一度も言ったことがなかったと記憶してる。

友達いっぱいいて楽しく過ごしているんだなぁ、そう思い込んでいた私だった。

その娘が大人になってから、保育園の時、寂しかった、と言ったのだ。

勿論、保育園時代に寂しい思いを経験したことがある、ということで、

のべつ幕無しで寂しかったということじゃないとは思う。

それを聞いた時、最初は本当にびっくりした。

そんなふうに思ったことがあるなんて露ほどにも思っていなかったから。

40年くらいの間に何度かそれを言われた。

そう、言われた、と受け取った私だった。

聞いた、のではなくて。

娘が責めて言っているように私はとらえたのだろう、それに反発した。

当時、保育園に行きたくないなんて一回も聞いたことがないのに・・・

いやいや行っていたと感じたことも一度もないのに・・・

無理に行かせたことなんか一度もないのに・・・

何十年もたってるのにまだそんなこと言ってるなんて・・・

そんな思いしか出て来なかった私だった。

 

友人にそんな話をしていた時、彼女が言ったのだった・・・

「・・ちゃんが、保育園の時寂しかったと言った、その時に、

寂しかったことに気づいてあげられなくてごめんね、と言ったの?」

と言ったのだ。

え????????!!!

・・・そんなこと一度も思ったことがなかった・・・・・

そんな思いは微塵も出て来たことはなかった・・・・

相手に心があることなんてこれっぽちも知らなかったようなもんだ。

ひどい・・そんな自分だったんだ。

自分は間違ってない、それしかなかった、自分だったんだと思う。

なんて傲慢なんだろう。

娘はただ、寂しかったと言った・・・

たった、それだけのことを聴く耳がなかった・・・

料理を出して、美味しくなかった、と言われて、

そんなはずはない、と怒るのと同じだ。

そんなはずはないと思おうと思わなかろうと関係なく、

美味しくないと思うことはあるくらいのこと私も知っている・・はず・・

 

彼女がそう言ってくれた、翌日だったか翌々日だったか、

娘に会ったとき、今までの自分と違う聞き方が出来たのだ。

自分でも驚いた。

その娘は私にとってこの世で一番引っかかる人だったのだ。

一番愛しいのに一番ひっかかる人。

その〝引っかかり”が消えた。

子供を保育園に預けながら働くという選択肢を選んだことに後悔はないけれども、

その考えを持って、

それに固執していた自分だったのだ。

なんと40年もの長い間それに固執していたのだ。

そういう〝意識のからくり”で、

娘の、寂しかった、という気持ちをあぁ、そうかと聴けなかったのだ。

本当にひどいもんだ。

でも嬉しい。それがわかって。

わかったことが嬉しいんじゃなくて、

娘に対しての自分がすっきりしたことが嬉しい。

心が軽くなったことが嬉しい。

心が穏やかになったことが嬉しい。

重い荷物を下ろしたみたい。

二人の間の空気が変わった。