古の記憶に
「世界中が君の敵になっても、僕は君を愛する」
といったニュアンスの歌詞があったように思う。
このことに関して考え込んでしまう。
世界中が敵になる状況ということは
フェミニスト過激派であり差別主義者で、
醜く冷酷で残忍な殺人鬼で、
寿司ペロしつつ全く反省しない「君」であっても
その「君」を「僕」だけが愛するという事
それはもう「僕」にはキツめの特殊性性癖があるっていうことでいいよね?
そんな風に解釈する自分は、歪んでいると思ってたけれど
年を重ねて最近、逆に純粋なんじゃないかと思ってきた
「世界中が敵」になる条件を愛する「君」に押し付けるのは、心が汚いと思います
下校前のホームルームの気持ちで そう思う
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