最近仏教の本を読みました。
そこに書かれていた内容で
「2本目の矢に囚われない」という内容がありました。
一本目の矢とは嫌なこと失敗などのメガティブな出来事、そこで起こる感情。
二本目の矢とはそれにいつまでも囚われてクヨクヨする事。
大切なことは二本目の矢にいつまでも囚われてはいけない、という、そんな内容。
この話を読んでいて凄い違和感があった。
2本目の矢に囚われてないのに、この辺ですごいストレスがある。
ん・・・あれ?
そうか。
一本目の矢にガッツリ当たっていいんだ、っていうこと。
そんな気付き。
解説文を読んで解釈した限り、嫌なことがあって、落ち込んだり怒ったりしていいらしい。
いつまでも引きずることは駄目なこと、そう書かれていたと思う。
抜けてた部分があった。
一本目の矢が刺さった瞬間に全力で抜いてた。
その矢をドブに投げ捨てて事無きを得た、気になってた。
一本目の矢は受け入れていい。
相手に対して自分に対して、怒ったり哀れんだり、悲しんだりしていいんだってこと。
「理想の自分は思ってはいけない」
そうやって湧き上がる醜い感情を否定するから、
破綻してストレス溜まんじゃね?
1本目の矢がどれだけ醜い自分であっても、
他人にしてあげる優しさのような振る舞いで自分を受け入れてあげればいい。
たまにフラッシュバックのように湧き上がる不快感もきっとその辺からきてる。
醜い感情を優しい気持ちで受け入れていけばその不快感もなくなるような
そんな気がする。