駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

両替町一丁目(りょうがえちょう いっちょうめ)

2008年07月23日 06時00分00秒 | 駿府96か町のいま

▽伝、十返舎一九の生誕地




旧【両替町一丁目(りょうがえちょう いっちょうめ)】は、両替町通りの西端、本通りと上石町通りの間の東西一丁の町でした。
(現在の「両替町一丁目」は、おおむね旧両替町一丁目、二丁目、三丁目を合わせたもの)

ここには、静岡大火(1940.1.15)、静岡大空襲(1945.6.20未明)からも奇跡的に難を逃れた
“伊伝”の渡辺家の持仏堂「不去来庵」があります。

また、駿府の町奉行の同心の子である十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の生誕の地であると
言われています。

なお、両替町の名は旧二丁目に銀座が置かれ、金や銀の両替商が軒を並べていたことに由来します。

この旧一丁目の北側ブロックは、近年再開発計画が持ち上がっています。
近い将来大きく変貌してしまうかもしれません。

余談ながら、地元では「りょうがエちょう」の「エ」は、「イ」に近い「エ」で発音されることが多いようです。


▽伊伝さんの持仏堂




旧「両替町一丁目」は、おおむね、現「両替町一丁目」のうち1番地・2番地
(町名変更は1945年)



アクセント
両替町のアクセントは、「低高高低低低」です。
最近は地元TV局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
「低高高高高高」というアクセントで読まれることが多く、
伝統的地名アクセントの破壊を助長しているようです。

方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 駿府は96カ町(プロローグ) | トップ | 両替町二丁目(りょうがえち... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。