▽伝、十返舎一九の生誕地
◆旧【両替町一丁目(りょうがえちょう いっちょうめ)】は、両替町通りの西端、本通りと上石町通りの間の東西一丁の町でした。
(現在の「両替町一丁目」は、おおむね旧両替町一丁目、二丁目、三丁目を合わせたもの)
ここには、静岡大火(1940.1.15)、静岡大空襲(1945.6.20未明)からも奇跡的に難を逃れた
“伊伝”の渡辺家の持仏堂「不去来庵」があります。
また、駿府の町奉行の同心の子である十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の生誕の地であると
言われています。
なお、両替町の名は旧二丁目に銀座が置かれ、金や銀の両替商が軒を並べていたことに由来します。
この旧一丁目の北側ブロックは、近年再開発計画が持ち上がっています。
近い将来大きく変貌してしまうかもしれません。
余談ながら、地元では「りょうがエちょう」の「エ」は、「イ」に近い「エ」で発音されることが多いようです。
▽伊伝さんの持仏堂
◆旧「両替町一丁目」は、おおむね、現「両替町一丁目」のうち1番地・2番地
(町名変更は1945年)
◆アクセント
両替町のアクセントは、「低高高低低低」です。
最近は地元TV局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
「低高高高高高」というアクセントで読まれることが多く、
伝統的地名アクセントの破壊を助長しているようです。
◆方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。
◆その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。