ハワイの思い出

マウイ、ワイレアでゴルフ三昧

2007秋 ゴルフコンペ

2007-10-12 12:12:00 | Weblog

10月5日(金) 武蔵会コンペ

武蔵富士カントリークラブはアップダウン少なく高級志向の快適なコースなのだが、スコアより、コースの佇まいが素晴らしく、仲間達と楽しくプレイ出来たから良しとしましょう。

10月11日(木) 東京厚生年金スポーツセンター、ゴルフ同好会コンペ

毎月第2木曜日に開催される15組60人の大きなコンペである。今月は静岡の愛鷹カントリークラブだった。このコンペで使うのは15,6年以上振りだ。以前、若かったし熱中していたのでよく練習もし、砲台グリーンに載せるアプローチが上手くいくので大好きだった。良いスコアーが出て優勝したこともある。前年には主人が優勝していたので二人のよい話題のタネだった。今でも優勝杯が二つ仲良く並べて置いてある。懐かしい事である。この日はOB、池ぼちゃ、ダフリ、

トップ、チョロ と見る影もないプレイで参加賞のみいただいて  である。
30年以上続いているコンペ、私は当初からの最も古いメンバーの一人なのでもう少し頑張らなければねぇー。来年は以前のようにゴルフに真正面に向かってアンティエイジングを地で行きましょうと抱負をあらためて持つのだった。出来るかしら

 

 


多忙の九月

2007-10-01 13:17:57 | Weblog

まだまだ暑い日が続く。

十日から衣の会上級Ⅱがスタートした。この日は顔合わせで着付けのレッスンはなかった。尤も、上級になると、留袖の着付けとか人に結ぶ多種の変り帯の授業が多いので私には余り縁が無い。北村先生のお講義が主たる目的になるのだ。この日のタイトルは「ヒロインのきもの」で高橋治さんの「風の盆恋歌」を細かく解説して下さり、牛首紬の由来もわかり、その他着物にまつわるお話がとても興味深かった。是非この本を読みたい、そして来年の九月には越中八尾(富山県)へ風の盆を見物に行きたいと思った。

17日は敬老の日:長男一家が自宅に招んでくれて上等なネタの手巻き寿司で私の長寿を祝ってくれた。夫より4年近くも長く生きているのだから長寿といえるのでしょう!
20日は彼岸の入りで午前中お墓参り。綺麗なお花を飾って、ご挨拶とか近況報告、愚痴?などを並べたてて来た。

午後は病院で右肩のMRIを撮ってもらった。いつまでも五十肩が治らないので念のため精密検査だ。かなり高価なのでびっくり! 

翌日の診察で断裂はなくこのまま今のリハビリを続けていて良いというお話だった。21日診察が終わって帰宅してすぐ「ひかり」で京都へ向った。
22日(土)は二人の孫の元町小学校の運動会、真夏のように暑い日だった。

人数が少ない学校なのでどちらかの孫が出ていることが多く、集団生活に立派に溶け込んでいる可愛い孫たちの姿に感動し、敬老席から目を細めて誇らしげに見物した。よく育っているので嬉しかった。 学校側は暑さにとても気をつかって下さって何回か生徒たちを校内に入れ、水分をとらせていた。運動会が成功裡に終わり、帰宅してから孫と三人で近くのスーパー・ビブレへ出かけて頑張ったご褒美に本とお菓子を買ってあげた。


翌23日は男の孫リョッケ(諒介)の旭野球クラブの練習を見に行った。パパがコーチの一人になっていて総監督のもと、丁寧に教えていた。リョッケは二年生なのに投球も捕球も上手いものだった。良く鍛えられていた。それにしても連日、

炎天下のアウトドアの活躍は凄い!! 元気ですねェーッ!! 練習終了後に父母から差し入れのアイスが配られた。親子共になごやかなグループの活動に感謝だった。

午後は一人で東本願寺へお彼岸のお参りにいった。私の父母と兄の分骨が納められている。お彼岸のお中日でお経があがり心をこめて合掌した。
24日にひかりで帰京した。京都駅で求めた近江牛弁当がおいしかった。


26日には毎年恒例の蓼科に出かけた。27日に龍神亭でチェックアウトした直後の朝7時に京都の次男から携帯に電話が入り、ママ(嫁)のお母様が早朝三時に亡くなったので急遽上京するという事だった。三井の森蓼科C.C.でプレイして夕方六時に帰京したのだがこの10日間外出で散らかしっぱなしだったので、整理、掃除に慌てた。大変だった。嫁は実家に泊まり三人が我が家に泊まった。3日前に別れたばかりだったが又会えたのは不遜ながら嬉しい事だった。それにしても三人とも "良く食べ、良く飲む"のには驚いてしまう。用意し甲斐があるというものだ。料理するのも張りがある。

お通夜とお葬式では心からご冥福を祈った。リョッケが「おばあちゃん燃やされちゃうの?!」と、痛ましい顔をしていた。

お引き合わせであちらのご親戚の方々と親しくお話出来た。


次男一家は翌日から会社、学校があるのでお葬式当日の30日(日)夜に私を此処へ送った後其のまま京都へ帰って行った。全く目まぐるしい10日間だった。月曜日は片付ける事も出来ず、どこへも外出もせず一人で一日ぼーっとしていた。


九月はこんな風に終わった。