ハワイの思い出

マウイ、ワイレアでゴルフ三昧

Good-bye 2006!

2006-12-31 23:55:15 | Weblog

年末は整理、お掃除、お料理と何かと気忙しいものだが今年は気合が入らなくてグズグズしている間に諦めざるを得なくなる家事が沢山出来てしまった。年末年始のあわただしさは好きだったのだが、今年はどういう訳かヤル気がわかないであきらめと妥協の連続である。

24日長男の家のクリスマス会へ招かれた。他のお客様も一緒で孫のこずえがお友達とロングドレスを着て歌ったりお遊戯をして賑やかだった。ピアノはこずえが「子犬のワルツ」や「ソナチネ」を目まぐるしく指を動かして見事に弾いてくれた。9才の指は柔らかく上達が早いですねぇー!楽しみである。 孫の友の父上が某大学のアメリカ文学の教授で、私は女子大の英米文学科だったのでお話がはずんで学生時代学んだ数々が甦ってきた。私の恩師の事などよくご存知で嬉しかった。
形良く飾られたクリスマスツリーやお手製の生(ナマ)のリースが綺麗だったしツリーの下には
プレゼント が一杯置かれていた。こずえちゃんの嬉しい日だ。 マミのお手製の見事なお料理やケーキがとても美味しかったし、窓外は夜景が美しく、良いクリスマスイヴだった。

又その前22日には昨年と同様友人とお隣の関東中央病院のクリスマスコンサートにも行って、コーラスやフルート、ヴァイオリンに聞きほれた。沢山のキャロルを共に歌ってクリスマスの気分を味わう事が出来た。

有馬記念競馬で”ディープインパクト”が持ち前の素晴らしい走りを見せて楽勝したがフランス
凱旋門競馬以来鬱々としていたものが一気に晴れて胸がスーッとした。この有馬記念競馬も年末の風物詩の一つで楽しみである。懸命に走る馬の姿は躍動感あって大好きである。

28日に突然電子レンジがこわれたのでみてもらったが1983年のもので基盤がこわれたという事で非常に残念ながら買い換えた。当時20万円した高級品だったが23年間故障もなくよく働いてくれたものだ。マニュアルを片手に便利で複雑な新しい電子レンジと格闘中だ。1000ワットの設定のままだったのであたためようとしたご飯がカチカチになってしまった。ご飯が捨てられないジェネレイションなのでオジヤにと煮てみたが徒労だった。  (^^ゞ

29日に、
娘時代着ていたきものと羽織の仕立て直しが出来てきた。洗い張りできれいになっていて嬉しかった。二枚を一晩ハンガーにかけて眺めていた。今は亡き実家の母や姉達、銀座でのデイトで着物姿を褒めてくれた夫のことを想い涙腺がゆるんでしまった。
 
 来年9日の新年会に着ていこうかしら??? 


30日にお墓に行き新年を綺麗に迎えられるように落ち葉掃きをして対のお花を飾って、お線香をあげ 「ヨイオトシヲオムカエクダサイマセ」 とご先祖様、主人にごあいさつのお参りをして来た。家ではドアにはしめかざり、室内には二箇所に鏡餅を供えた。仏壇も金の袱紗をかけたりおりんの台も立派なものに取り替えた。

31日にはお雑煮のお出しを作り、その二番だしでお煮しめを今年も沢山作った。子供たちが大好きなのだ。蓮根がパリパリと美味しく出来上がった。れんこんだけは蓋をしないで別に煮てみたからでしょうか?おだしのきいた美味しいお煮しめが出来てよかったぁー!
重箱やお雑煮用のお椀、特別の正月食器などを出して用意したがこれも年末ならではの
風物詩の一つと言えるでしょう。

例年大晦日は我が家で家族九人揃って私の用意した飛び切り上等な(?)ネタの

手巻き寿司の団欒食事をして、除夜の鐘を聞いて乾杯し揃って越年していたが、今年は次男たちが京都で除夜の鐘を聞き元旦は上賀茂神社へ初詣でしてから

上京するというのでこの度は私が長男の所で年越しソバを食べて越年する事

になった。

紅白歌合戦はあまり興味なくなったがこれも大晦日の恒例の番組で習慣上見ざるを得ないのだ。でも息子が違うチャンネルの格闘技にしょっちゅうスイッチするので落ち着かなかった。そのうち居眠りしてしまったら
「お母様の大好きな歌だよ」と起こされた。

テノール歌手の秋川雅史氏が千の風になってを歌ってくれたのでびっくり! すっかり感激した。素晴らしい歌唱力 

     息子たちも全員  シンミリとして・・・     

生とテレビ両方の 除夜の鐘を聞き新年の挨拶して息子に送られて帰宅。

やはり仏壇のある我が家で実質的な年越しをしたかったので明朝早く初詣でに

一緒に行くのにも拘らず泊まらないで帰って来たのでした。

 明日は 2007年 ですね   

 

 


2006年12月ゴルフ

2006-12-27 19:35:49 | Weblog

14日は第二木曜日で今年最後の月例コンペだった。 富士御殿場コースで、お天気がよく雪をかぶった富士山がきれいだった。グリーンがその富士からの目がきつく難しかった。

もう71才ともなると飛距離は著しく落ちてくるし、眼が悪くなるせいかグリーンでもなかなかいいパッティングが出来なくなる。上達は望めないし、現状維持が難しくなって来ている。(泣き) 「人様に迷惑をかけないで自分が楽しめればいいヮ」と思うようになったらもう上手にはなれない。ライバルがいて負けん気をおこさねば駄目のようだ。     

60人がホールアウト後、バスで世田谷のスポーツセンターにもどり、盛大な忘年パーティだった。フルコースの洋食に和食も入りおいしかった。私は飛び賞にも入らず手を叩く一方だったが最後にこの一年間の12回のコンペの皆勤賞をもらえた。来年もこれだけは貰える様に頑張りたい。ビンゴでは、私は目的の美味しい漬物セットをゲットした。キムチ、大根のかくてき、らっきょうのキムチ、千枚漬け、沢庵、野沢菜が沢山入っていて息子の家やご近所にお配りできた。おいしいので大好評である。

そして21日は中学の同級生の十日会の忘年コンペだった。桜ヶ丘カントリークラブで、近いので私一人で運転して行ったが少し渋滞しても40分で行けた。アップダウンが多くてむつかしく距離も長い。でも150ヤードのショートホールでスプーンで1メートル余りにワンオンしてバーディがとれたのは久し振りでとても嬉しかった!!  プレー後はゆっくりと賑やかな楽しい忘年会で中学時代の思い出が快く甦ってくるのだった。大勢のよき友に恵まれている幸せを思った。

27日は三島スプリングスC.Cで父親からのメンバー相続のため長男の面接があった。急だったので二人だけ、キャディーさん無しのラウンドだった。亡夫と毎週一回はプレイしていたコースだけに平静でいられるかどうか不安だったので三年以上敬遠、ご無沙汰していた。私を見ると古いキャディーさん達が飛んできて、手を握って泣いてくれた。夫は彼女たちを大事にして人気者だったからでしょう。
5年ぶりでゴルフをする長男が、当たれば吃驚するほど飛ぶのだけど球筋が高くてキャディーさんなしではボールの行方を見失ってしまう。そんな事もあろうかと、予備に沢山持って行った古いボールをことごとく失くしてくれた。 

久し振りの我がコースは長く裾をひいた大きな全景の富士山や南はきらきら光る美しい駿河湾の景観に囲まれて、胸がキューっとなるような思い出が沢山詰まっている。我々夫婦の大好きな最愛のゴルフコースとつくづく再認識するのだった。
今年は三島で長男と、昨年夏は箱根湖畔で次男と、二人だけでラウンド出来て私は幸せなのでしょう。
タノシカッタァ~! 老体に鞭打ってまた来年も細く長く続けていきましょうと抱負を持つ。

                              


2006年 師走

2006-12-08 22:39:22 | Weblog

12月に入ったら急に寒くなった。私の右肩や腰にはとても堪(コタ)える。

4日夕、暖かくして銀座へ行った。シャネルやみきもとのクリスマスツリーが見たかったし、昔の二人の銀ブラを想った。

         

久しぶりの銀座は懐かしいお店の代わりにエルメス、シャネル、グッチ、ヴィトン・・・などブランド店が登場してロンドン、パリ、ホノルルを歩いているようだった。でも銀座は銀座~楽しんだ45年余り前と雰囲気は変わらない。一人の銀ブラは気侭で随分長い時間あちこち歩いた。エトロのバッグが気に入って、夫の用意してくれてあった「バースデイプレゼント用」のお金がまだ残っていたので思い切って衝動買いしてしまった。来年2月の72才のお誕生日の贈り物として頂いた。 封筒のお金を大事にして毎年何か買ってもらうことにしたのでそのおもてに「ありがとう!」と書いてバッグと共に仏前に供えた。3年目で残り少なくなって来たけど亡夫の優しい気持ちが伝わるので尚一層感謝である。何かお返しをと思っていたら鳩居堂の目の前だったので2階に上がって素敵な香りのお線香を奮発した。毎年二人でクリスマスカードや年賀用のハガキを選んだことを思い複雑な心境だったが、こんな事も受け入れなければならないのですよね。天国までこの素敵な香り届く事でしょう。

5日は池袋の芸術劇場大ホールへ「モスクワ・アカデミー合唱団」の『郷愁のロシア民謡』を大学の友人と二人で聴きに行った。ともしび・トロイカ・赤いサラファン などおなじみの曲や日本語の歌も歌ってくれた。ハーモニーは勿論、何人かのソロのなかでもソプラノの最高音のG音まで出すテクニックが素晴らしかった。

そして8日は世田谷美術館へ「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」を一人でブラーッと観に行った。アンリ・ルソーの絵はちょっと変わっていて鑑賞眼のない私には初めは良く分からなかったが、彼の生きざまや人となりを知り、作品を観てまわっているうちにその良さが判ってきた。いいなーと嬉しくなった。生前は

稚拙という事でまわりの嘲笑さえ受けることが多かったそうだ。最初、日本の

大正時代の絵みたいと思っていたのだが、ルソーに魅せられ、影響を受けた画家が日本にもとても多いのだナと気がついた。影響された彼等の沢山の絵や写真更に漫画までも分かり易く展示されていて、なかなか良い美術展と満足した。

売店でルソーの絵の描かれたクリアファイル(チケットホルダ-)を記念に買った。往きは家の前から東急コーチで、帰路は黄色い落ち葉の絨毯を踏みながら歩いて帰ってきた。片道25分である。ずっと座らなかったのでとても疲れた。でも充足感のある一日だった。

冷蔵庫の中の余りものの昼食が空腹に心地よく美味しかった!
今週は芸術週でしたね?! 幸せでした。