ハワイの思い出

マウイ、ワイレアでゴルフ三昧

衣の会特訓

2008-03-31 22:19:23 | Weblog

今日は衣の会で留袖  ~私は江戸褄と呼ぶ方が好き~ を人に着付けるテストがあった。先週のお稽古で人様に礼服を着付けるなど私には無縁と他人ごとのようにぼーっとしていたのだが、今日は先生方の前でスタッフのアドヴァイスは全くなしで実技をしなければならず、恥をかきたくないと最近になく一生懸命だった。二人組で着付師になったり、モデルになったりで汗をかきかきそれぞれ35分ぐらいで着せ付けられた。

普段のお稽古でチャランポランなのにきれいに着せられたので、北村先生が講評で「○○さんの着付けがとても綺麗です。特に襟が上手に合わせられている。いざとなるとこういう集中力が出せるのです。」と皆の前で褒めて下さった。
裾合わせ、襟合わせ、おはしょりの始末、帯の柄あわせなどポイントをしっかりおさえなければならない。褒め言葉を頂いたのはとても嬉しい事で、胸がふくらんだ。

仲間五人で遅い昼食をして帰宅したら、雨中の上に留袖一式の重い荷物のせいもあってどーっと疲れが出た。着物や小物の始末もせずに、コーヒーを飲みながら一時間ぐらい食卓で居眠りしてしまった。寒かったーァ!


今日は夫の月命日だったけど、「お稽古があってお墓へ行けませんでした。お彼岸に行ったばかりなので今日は失礼します」と仏壇にお線香をあげお経の一節を唱えた。

 ベランダで、羽田から飛び立った飛行機の極小さい灯りが西に向かって点滅して去って行くのに思わず手を振ってしまう。まるで夫が合図してくれているように思えるのだ。  


明日から四月、たくさんのスケジュールが入っている。

 


2008年弥生も終わり

2008-03-29 23:52:45 | Weblog

桜の蕾がふくらんできたナと思ったら26日位から咲き始め早くも28日にはほぼ満開になった。我がマンションの前の西用賀通りの桜のトンネルが素晴らしい!今年はカメラを持った人々の姿を多く見かける。例年よりももっと美しく感じる。

私の食卓からでもちょうど目線で並木が見える。桜を愛でながらお食事出来るなんて素敵ですよね!共感を語り合える人がいると、もっといいのだけどねぇー  (^。^)y-.。o○

 

28日はリハビリの医院からの帰りそのままバスで用賀の美容院に足をのばし、ヘアーカットしてもらう。そこで偶然親しい友人に出会い、昼食をした後、二人でその桜のトンネルをくぐって

30分間おしゃべりしながら歩いて帰って来た。道すがら、鳥についばまれて、花びらではなく

お花ごと落ちている桜の花の綺麗そうなのを集めて持ち帰り仏壇に供えた。

一花一花もとっても綺麗でしょう? ・・・ っと。

世田谷区はあちこち桜が美しい!徐行しながら見物する車が多い。

 

                                                         満開まであと一歩! 桜並木が真っ直ぐに1.5キロ続いている。

  

                     我がマンションの裏口。私の部屋が少し見える。

                       写真よりもっともっと沢山咲いている!


29日午後長男夫婦が来て、揃って義兄の家へ行き、昔の話を聞く。我が家の諸事の参考にしたい。


   夜8時24分着の「のぞみ」で次男一家が新横浜へ到着。夜だけど一人でお迎えに行く。  「新横浜への転任おめでとう!」 と・・・

二人の孫は一番線のプラットフォームで私の胸に飛び込んで来た。(イツマデコンナコトヲシテクレルデショウネェ?) 皆元気で嬉しそうだ。でもママはとても疲れてるように見えた。

今夜と明晩はホテルに泊まり、二日間でお引越しの荷受け、開梱など忙しい事である。


今日は次男の38回目の誕生日である。 ”Congratulatins!” 

 

 


転勤

2008-03-26 20:16:00 | Weblog

Bravo ! 4月から次男が新横浜支社に転勤になった。

2000年12月の高知から2005年の京都と8年間、首都圏から遠ざかっていた。


今月初め長男から次男へ打ったメールが参考のためと私に転送されて来た。

「~~殿 久々の関東復帰決定、おめでとう。お母様と娘が大変喜んでいます。できたら、家族全員で戻ってきて下さい。・・・(中略)・・・社宅の場所はどこ?・・・関東復帰歓迎会は、落ち着いた頃に、あいたいの叙々苑でやろうかな!・・・」

孫娘が今度6年生で転校が可哀想なので一年間単身赴任という事も考えたらしいが、大好きなパパと離れて暮らすのがもっと厭で、29日に皆で東横線の沿線の社宅に転居することになった。此処から45分位で行けるようだ。これから可愛い孫たちとちょくちょく会えることになり心が弾む! 

 


鎌倉

2008-03-25 21:57:48 | Weblog

記事が前後するが、3月14日から2泊で鎌倉へ行った。長谷寺の慈愛に充ち溢れた大きな観音様のお顔を拝し、美しい庭や展望台から由比ヶ浜や材木座、逗子の海を眺めるとスーッとストレスが消え、安堵感が得られる。

15日は土曜日で鎌倉駅から小町通りがとても賑わっていた。北鎌倉の去来庵へ行きたかったのだがタクシーがない、面白いから人力車に乗ってみようかしらと角に立っていた威勢のいいお兄さんに聞いたら吃驚する位高価で断念せざるを得なかった。

鶴岡八幡宮や建長寺を右に見ての上り坂を40分かけて歩いた。何べん来ても鎌倉にはどうしてこう惹き付けられるのだろうか?

道端の家が神経を使って美しいお花を咲かせている。住む方の人となりが伝わる。

やっと辿り着いた「去来庵」は思ったとおり風情のある素敵なお料理屋さんだが、さして高級でなく庶民的で気に入った。大層混雑していた。ビーフシチューが名物である。おいしかった!
帰路はホテルまでバスを乗り継いで楽に帰る事が出来た!

ゆっくり大きなお風呂に入り、歩いた疲れをすっかりとり、軽く夕寝をして、シェフ心づくしの新鮮な魚の夕食にビール、ワインでご機嫌~一人ぼっちで淋しいけどねぇー~持ってきた書類の整理を効率よくやり遂げてぐっすりと長時間眠ることが出来た。


鎌倉は今の私にとってかけがえのない癒しの場である。

 

 


テレビ

2008-03-19 23:17:34 | Weblog

三月という事でテレビでは63年前の3月10日の東京大空襲を何回か取り上げていた。もう戦争中の体験を実感で語れる人は70才以上になってしまっている。段々風化して行ってしまうからこのような記録は残してほしい。言問橋の悲劇など胸に迫るものがあり二度とこんな事があってはならないと、長時間にも拘らず三夜釘付けになってしまった。
私は昭和19年四年生で栃木県へ集団疎開して20年の三月になる前に東京の家族と共に

滋賀県へ縁故疎開したので直接空襲は知らない。でも警戒警報や空襲警報の音は耳に残っている。灯火管制で吊り下がった電灯に風呂敷を巻いたものだった。飯田橋の我家は4月13日に戦災に遭った。田舎にいたある日、遠くから汚れた国民服を着た父と義兄が家にズンズンと近付いて来た時の印象が強く残っている。。すっかり憔悴していた。東海道線の切符は父が

特別に手に入れたもので、やっと乗る事が出来たそうだ。二人から東京の惨状 ~愛する我が家も焼けてしまった~ を聞かされた。でも家を守って奮闘してくれた二人が無事で何よりと思うより他なかった。
終戦の玉音放送があったのはジリジリと暑い日で、蝉のミーンミーンが余計それを助長していた。 神風が吹いて日本は絶対に負けないと国民学校生の私達は信じていたので皆衝撃は大きかった。

材木、釘を手にいれるのが大変だったそうだが焼け跡をいち早く片付けて冬には何とか皆が住めるような大きなバラックが建ったので、早い内に揃って上京し、六年生からは補欠募集した国立の小学校へ編入出来た。次の年はそのまま新しく設けられた新制中学へ、三年間上級生の居ないのびのびと楽しい学校生活だった。今でも十日会という形で親密で非常によくまとまった友人関係が続いている。


 先日、テレビで「ビルマの竪琴」が放映された。

竹山道雄さんの小説をかってなんべんも読み主人公の筋の通った人間性、潔癖さに感動し、その度に涙したものだ。60年振りぐらいだがテレビでもやはり泣いてしまった。

テレビは音楽はもとより、「知るを楽しむ」、迷宮美術館、世界遺産、仏像の大写し、劇場中継などなど、日常見ている番組の他にも、とても良い番組をやってくれて楽しめる。感謝している。 


お雛様

2008-03-03 08:00:00 | Weblog

二日の日曜日長男宅でお雛祭り。七段飾りに美しく並べられていた。

桃の花と菜の花、傍らに市松人形。美しい! 日本の良き風習。幼い頃の郷愁がよぎる。

五目寿司など多種の手作りの御馳走をお腹一杯頂いた。 美味!  


昼間はびわ湖毎日マラソンを テレビ観戦した。日本人選手は大崎悟史君が日本人トップの3位に入り、タイムがよいので五輪代表の座を確実にした。  

琵琶湖畔の美しい景色が懐かしかった。