ハワイの思い出

マウイ、ワイレアでゴルフ三昧

写真展「昭和の肖像」

2006-11-26 22:50:00 | Weblog

《24日》  品川のキャノンギャラリーで開催されている齋藤康一写真展に行った。齋藤氏は私の

中学、高校の同級生だ。少なからぬご縁で、ゴルフ、旅行などずっとお付き合いして来ている。「昭和の肖像」~人物交差点~のタイトルの通り、政治家、学者、芸能人、スポーツ選手など

各界の有名人の見慣れた顔が飛びこんで来た。日大芸術学部在学中から秋山庄太郎氏と

林忠彦氏の助手を務め、才能を認められ活動してきた。雑誌の取材で50年間撮り続けた中でその人物の個性が確かな視線で最も良く活写されている代表作を一堂に集めたものだ。見事な表情をとらえている。素晴らしかった!大ファンだった初代水谷八重子や越路吹雪のリアルな顔には胸がドキドキ高鳴った。36才の長島選手のきものでくつろぐ姿、王選手の巨人軍入団当時、わざわざ銀座のみゆき通りへ行き背広姿を撮ったいきさつなどを話してくれた。大写しの学者や作家~特に三島由紀夫の表情が実に良く特徴をとらえていた。かって3000人以上の人物写真及びルポルタージュを週刊誌や月刊誌に掲載されたのだが、他にライフワークとして中国のルポルタージュを撮り続けて来た。その写真集を頂いた事がある。中国の写真でも人物写真でも下調べをしっかりやっている。被写体に対して暖かで穏かな視線でとらえていて彼の優しい性格が伝わって来る。幼馴染みながらその感性の鋭さに感心した。

何回かお正月に我が家族全員ででスタジオに行って、集合写真や一人一人のポートレイトを撮ってもらった。良い記念になっていて、主人のものは壁にかけてある。髪の毛一本一本実に美しくリアルである。どうしてこうも上手く撮れるのであろうか 

キャノンギャラリーに向かう品川駅前の各方面放射状に作られたスカイウェイにはびっくりした。全く隔世の感がある! ビルの3階に当たる高さの歩道は車にも雨にも邪魔されず快適そのものだ。人間の力ってすごいなーっと感歎の声をあげたい。

帰路、一週間早いけど来週は忙しいので月忌のお墓参りをして来た。秋の寂しげな墓地に供えた対のお花がひときわ美しく映えた。お経の一節をあげ、独り言で今月の報告をしてきた。

今夜は満天の星でキラキラ☆彡よくまたたいている。明日はよいお天気でしょう!


《25日》予想通り気持ちの良いお日和で桜並木の紅葉が風情たっぷりで美しい。
夜、孫が来たので二人でイタリアンの夕食をした。彼女は土曜日午前中はお勉強の塾、午後はスイミングの練習で、あいだには自宅で1時間ピアノの練習や宿題をこなさなければならない。タイヘンデスネェー?!

《26日》孫娘は早起きだ。泊まった時はいつも私が起こされる。特に今日はクリスマスプレゼントを選ぶので、朝食を終えたらすぐに宿題のお勉強、朗読を済ませて高島屋へ~~~無かったので溝口の丸井へ行き、目的のスポーツウエアその他を買ってあげた。男の子のような格好が今年のお好みのようである。二人で楽しいクリスマスランチを頂いた。おいしかった!

すごい行列でもタマゴッチのゲームを1回だけする事が出来てよかった。帰宅してからマミのお迎えが来るまでパソコンゲームに熱中していた。


 

 


秋~霜月

2006-11-20 20:47:30 | Weblog

11月も半ば過ぎると急に寒くなる。昨年、一昨年は気が付かなかったが、窓から見える数十本の大木が梢から赤くきれいに色付いて来たので吃驚した。常緑樹かと思っていた。今年は綺麗な紅葉の当たり年なのだろうか?食卓から美しく眺められるので豊かな食事タイム、より一層美味しく頂ける。 

           

区から健康診断票とインフルエンザ予防接種票が送られてきたので細かい

メディカルチェックを受けて、予防注射を打って頂いた。そのあと数日非常に体調が悪くなり、注射して頂いた左腕は腫れあがってしまった。お蔭で先週はボーッとして何も手に付かなかった。次年度からは受ける気が無くなった。

何かのついでに具合が悪いと京都の次男にメールで付け加えたら世田谷の長男の嫁がシクラメンの鉢と沢山の食料を持って飛んできてくれた。おどろいた!

亡き夫の好んだdelicatessen のデミグラスソースかけのハンバーグは久し振りに美味しかった。   食後お礼のメールに懐かしかった旨を書くと「私も

お父様を思い出しながら求めました」とあった。彼の好きだったパンも良く覚えていてくれた。身体の調子が悪かったり嫌な事があると、すっかり落ち込んで

とかく投げやりな気持ちになってしまうが、私は家族皆に守られている、一人の体ではないのだと実感、深く反省するのでした。


週末に私の父の13回忌の法要があり、大好きな親族と会えて、百歳まで生きて

くれた優しかった父を一緒に偲びながら楽しい"family gathering" だった。
心が満たされ、体調も良くなった 


富士山

2006-11-13 10:00:34 | Weblog

東厚スの11月のコンペは裾野カントリークラブで開催された。秋晴れで真近に大きく聳える富士山に向かってショットするという絶好のコンディションなのだが、チャンピオンコースだけに難しかった。とりわけ距離が長く、池がむつかしく配置されていて、ついボチャボチャと池ボチャしてしまうし、グリーンの

アンジュレーションがひどく、パットが入らないと元の所へ戻ってきてしまう。皆、5パット続出で、私も20年ぶり位の大叩きだった。皆悪いスコアーにかなりショックを受けたが、帰路養鶏場に立ち寄り全員に「産みたてのサクラ玉子是非生(ナマ)で召し上がって…」という新鮮なものを20個づつ参加賞として配って貰ったので一同ご機嫌になった。玉子かけご飯にするとコテーッとして最高だ。
長男一家が大好きなので、翌日半分取りに来てもらった。 

往路、東名高速道で御殿場から裾野まで右手に見える富士山の何にも邪魔されない全姿にバスの一同感歎の声を挙げた。数日前の初雪で丁度良い具合に白く

お化粧して、裾をなが~く引いて思わず息を飲み込んでしまうような美しさだ。感動した。私たち夫婦共揃って三島スプリングスと富士平原のメンバーで、夫の生前は富士を見ながらしょっちゅうプレイしていた。特に三島は毎月数回行くという二人の愛するコースだったので、亡くなってから私は一度も行ってない。

各ホール想いがいっぱいで平静にゴルフ出来るかどうか自信がない。
彼の晩年4年余り港北ニュータウンの城山(ジョウヤマ)の丘に二人で住んだが、丘の上の4階の部屋からの眺望は秀逸だった。東南にベイブリッジやみなと未来の建物、西には丹沢、富士山が美しく眺められた。特に冬の夕方の空が素晴らしい。真っ赤な太陽が一日の仕事を終えて静かにそして駆け足するように富士山の背後に沈んで行く。天気のよい日は毎日4時過ぎると二人でベランダに出て、

自然の美しい営みを拝見していたものだ。茜色の空と雲の競演と共にすぐ影絵の世界になる。真っ白い姿を見せていた富士山が真っ黒になる。誰か影絵を描く

画家の絵を思い出す。大自然の毎日の儀式だわと感動する。 
数十分の二人の共感をenjoyした至福の時間だったナーとしんみり思い出す。
富士山は私に色々な想いをプレゼントしてくれる大切な大好きな山だ。 
"霊 峰 富 士" にカンパーイ  


東京農大収穫祭'06

2006-11-12 21:25:02 | Weblog

11月5日に「ご近所博覧会」として特別参加で3年生の孫娘が農大のステージで阿波踊りに出場する事になった。収穫祭は体育祭も入れて2日から6日までだ。
是非良いお席で見たいので3日の御昼ごろステージの下見に行った。例年通り実にすごい人出だった。決められた時間に野菜の無料配布をするのだが長蛇の列が出来ている。並ぶのは敬遠して、有料で茨城産のずんぐりした太い大根(200円)と白菜(100円)を買った。この大根は煮るとすごく美味しいのだ。150円のカリフラワーがあまりにもきれいで、立派だったのでつい買ってしまった。お蔭で4日は野菜を煮たり茹でたりで忙殺された。大根はお米を入れて下ゆでして保存する。その晩の夕食はそのまま田楽味噌をつけて頂いた。この大根は東京では買えない。物凄く美味しかった!カリフラワーは白く茹でてピリッとした甘酢につけたが大きな株だったのに二日間で平らげてしまった。白菜はお鍋にスープに蒸し物にと大いに活躍してくれてる。
4日は農大がマッサージの医院の帰り道なので立ち寄って学生のつくお餅と豚汁の昼食をした。朝から豚チャンが炭火でグルグルと丸焼きにされている。5,6時間後焼きあがる頃はこれまた長い行列が出来る。目をつぶって手を合わせてしまう。“南無阿弥陀仏”(クリカエシ)・・・ 何故か特に可愛い顔に見える。可哀想でとても口には出来ない、食べられなーい!

当の5日は大学の友人と朝8時から並んでミツバチ研究会のハチミツを求めた。ここのハチミツは舌の上にのせると、トロリととろけるようだ。売り出しの9時まで並んでいると周りの方々ともお話しするようになり毎年3日間必ずいらっしゃるグループの方にいろんな情報を貰った。勧められた品物はベーコン、ジャム、カルピスetc.で並んで買ってみた。重い荷物になり、近いといえども肩が痛くなった。  

一人住まいなのにこんなに買ってバカーッと苦笑してしまうのでした。 (^^ゞ

一旦帰宅して、疲れて昼寝して、元気になり、又午後1時半に野外ステージに向かう。超満員にも拘らず一番前の中央の良いお席がとれたので孫のこずえが踊るのが良く見られた。近くなので写真も良く撮れてexcellent だった。こずえは腰がよく入っていて独特の手の所作も秀逸だった。明るいステージで楽しめた。随分体力の要る踊りだナと思った。息子夫婦とも会えた。

         


ブログ

2006-11-11 23:53:39 | Weblog

「私のこのブログはナーニ?」と時々反省する事がある。68歳にして未亡人になった女の日常の愚痴とかメソメソした思い出ばかり書いている。公開の場なので人様に迷惑のかかるような事は書けないし、自分の事にも制限がある。・・・では意味が無いじゃないの!? ひそかに

"自分史"とか日記として残せばいい事だ。でも不思議にこのブログを書いていると落ち着くし《乗りかかった船》という感じだ。思いつくままに過去現在の自分の姿を文字にして行く・・・ それに時々rururuさんがコメントして下さるので恥ずかしい様な嬉しい様な、やはりどなたかが読んでくださっていると言う事は意味深く、励みにもなり、幸せな事と思えるのだけど・・・? 

                                                                                                  
亡夫を想う気持ちが底に流れている。夫は夢の中でも余り出て来てくれない。多分、もう僕から離れて前を向いて君自身の人生を全とうしなさい  と言う事なのでしょう。「忘却とは忘れ去る事なり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という切ないフレーズがいつも頭に浮かんでくる。

今、息子達とゆっくり話す機会がない。このパスワードは教えてないので読めない。いつの日か

このブログを読んで私達のことをもっとわかって貰えたらと思っている。
私のパソコンのスクリーンセイバーは"my pictures"に設定してあるのでいつも主人を含む

私の家族の写真が流れている。楽しかった瞬間、瞬間が甦る。パソコンのお蔭であり、

感謝している。恵まれたことである。
これからも差し障りの無い事で、思いつくままにこのブログを書いて行こう。
或る未亡人のpathosと、立ち直って行こうという有りようが書き綴れたらと思う。