ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

おやじブログ10周年

2015-07-12 18:35:47 | その他の雑記

2005(平成17)年のきょう、7月12日に初回記事を投稿してから10年が過ぎた。といっても、ここ数年は開店休業状態が続いており、ナサケナイ有様であるが……。

ブログといえば、ある小説の中にこんなくだりがある。

『「毎日、ブログを更新するような人間は、表現したい、訴えたい、自分を理解してほしい、という強烈な欲望の持ち主だ。こういう奴は最高のカモになる(中略) うちが狙うのは、大手が見向きもしないようなブログだ。アクセス数は関係ない。大事なのは更新数だ。誰も見ていないブログをせっせと更新するような奴は必ず食いついてくる」

「本を書くモチベーションとブログを書くモチベーションは同じでしょうか」

「同じだ。共通しているのは強烈な自己顕示欲だ。根底にあるのは、自分という存在を知ってもらいたい! という抑えがたい欲望だ」』

 

自費出版ビジネスを舞台にした実録風小説『夢を売る男』(百田尚樹作/幻冬舎文庫)の一節、顧客拡大のため大手出版社が目をつけないような無名ブロガーをターゲットにしようと目論む企画会議の場面である。うーむ、一理ある。二理もある(笑)。百田氏といえば名作『永遠の0(ゼロ)』の作者であり、、近頃は沖縄に対する問題発言で渦中の人物でもあるが、この作中で、作者本人自身もネタにしているのが笑える。

年老いた作家がなぜ売れなくなるか、について主役格の編集部長が若い部下と語る場面。

「才能が枯渇したからですか?」「もちろんそれもあるが、一番の大きな理由は読者が死んでいなくなるからだ。人間は歳を取ると、だんだん本を読まなくなる。あるいは若い時とは読む本の好みが変わっていく。本当に死んでいく読者もいる。だから、作家は歳を取ると、次第に読者が減っていき、本が売れなくなる」「読者が死んでいくのは止めようがないですね」「そうとは限らない。常に新しい読者を開拓すればいいんだ。若い世代の読者の心を摑む作品を出し続けていれば、読者が死に絶えることはない。固定客だけを相手にして、同じメニューばかり出している店が、やがてじり貧になって閉店してしまうのと同じだ」「でも、新しいメニューに挑戦して失敗したら、元も子もないですよ」「それはそうだ。だからたいていの作家は、自分の得意料理だけを後生大事に作り続ける」』

と、作家論を語った後に、

『「かといって、元テレビ屋の百田何某みたいに、毎日、全然違うメニューを出すような作家も問題だがな。前に食ったラーメンが美味かったから、また行ってみたらカレー屋になっているような店に顧客がつくはずもない。しかも次に行ってみれば、たこ焼き屋になってる始末だからなーー」

「馬鹿ですね」

「まあ、直に消える作家だ」』

と笑わせる。

なんだか引用だらけの10周年記念ブログという妙な展開になってしまったが、ご容赦を。

 

6月の柴又100kmで燃え尽き状態となり、それでも下旬には月イチの大山登山走は欠かさず出かけ、6月の月間走行距離は220km。

今月に入り、雨の中、朝ジョグとラジオ体操は続けている。8日には2カ月ぶり、通算62回目(SINCE2010~)の足柄峠走。峠越え往復45kmを6時間かかって、なんとか走りきった。

 

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柴又100k

2015-06-07 17:43:12 | レース

6月6日土曜日「第3回 柴又100k ~東京⇔埼玉⇔茨城の道~」に初参加。12時間42分01秒でゴール。

還暦記念で初挑戦した100kmウルトラマラソンは、(予定どおり?)惨憺たる結果に終わった。

(10kmラップ)

58'46"ー57’07”-62’07”-72’32”-91'10"ー73’21”-78’47-88'20"ー91’09”ー83’40”

前半50km 5時間42分 / 後半50km 7時間

スタートは朝7時。A~Hまでブロックごとに3分間隔のウェーブスタート。制限時間は14時間。100kmには1800人が出走したとのこと(他に60kmの部あり)。

葛飾・柴又の河川敷公園発着、江戸川沿いに遡上し埼玉・三郷、春日部などを経て茨城・古河市の手前の五霞町(ごかまち)で折り返す往復100kmのコース。2週間ほど前にコース試走で片道だけ走ってみた際、江戸川沿いに来たはずが最後はいつの間にか利根川と表示されており、???。調べてみたら、江戸川は利根川の支流のひとつで長さ60kmほど。その分岐点が関宿(せきやど)ということを初めて知った。

初めての100kmではあるけれど、2011年つくば100kmウォークでは徹夜約17時間で歩いており(走ってはいけない)、今回は走っていいわけだから最低5~6時間は縮められるだろうと臨んだのだが……。

中間点の手前、五霞町に大規模エイドが設営されており20分ほど大休止。ここで食べたスイカは実に美味だった。多くの人はうどんを食べていたが、この時点でワシはもう胃の調子が悪く食べられなかった。胃薬も飲み、留意はしていたのだが。その後、70km以降は水分も食べ物も受け付けなくなり、ふらふらで走り続ける。km9分台まで落ち、ラスト40kmに6時間近く要してしまう。これはつくば100kmウォークの時に練習で参加した荒川40kmウォークとほぼ同じタイム。ナサケナイ。

3月1日の静岡マラソンを起点に3カ月で1000km走り込み、それなりに練習を積み、準備も整えてきたはずが、この始末。ラスト、すでに日没から30分以上が過ぎ宵闇迫る中、フィニッシュゲートが見えた時、自分への怒りがこみ上げてきた。このまま終わっていいのか、と。土手から河川敷への下り坂を駆け下り、先行するランナーをすべて抜き、怒涛のゴール。時々、最後だけ猛スパートしてる人を見かけるが、まさにあれ。みっともないかもしれないけれど、そうせずにはいられなかった。

ともあれ、ゴールできてほっとした。川沿いの土手をひたすら走るコースながら応援の方々も少なからずいらっしゃって勇気づけられた。とくに春日部では刀水AC関係の方々からご声援をいただいた。ありがとうございます!

ゴール後、精も根も尽き果て動けなくなり、這うようにして救護のテントに行き休ませていただく。ようやく回復し、帰り道に柴又帝釈天のお店でねぎらいの声をかけていただく。もう2度と100kmなんて走らないと決めていたはずなのに、よし次こそは! ともう心変わりして帰路についたオヤジであった。

 

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大山登山

2015-05-24 22:35:36 | トレーニング

本日は神奈川県伊勢原市の大山(おおやま)に登山。

ここでは、以前当ブログに書いたように毎年3月に「大山登山マラソン」が開催される。小田急・伊勢原駅前をスタートし、大山の中腹に鎮座する大山(阿夫利)神社下社前(標高700m)にゴールする。距離は9km程度ながら行程すべて上り坂で、とりわけラスト2kmの参道は1610段の石段が待つ過酷なレース。

今年第30回記念大会が開催され、ワシも3年ぶり5回目参加したのだが、タイムは1時間11秒。これまでの4回は57~58分で、かろうじて1時間を切っていた。ゴールして1時間を超えてしまったとわかり、猛烈なクヤシサがこみ上げてきた。

今回は男子年代別で最年長である「60歳以上の部」での出走となったが、年代別で20位。この年代男子で1時間を切れたのは完走者279名のうち18人だけだった(全完走者2288名中394人、17%。うち女子は完走334名中15人のみ)。

クヤシサのあまり、中1日おいた火曜(たまたま仕事が休みの日だった)にまた同コースを登って来年の雪辱を期すとともに、これまでゴール地点から先の山頂までは行ったことがなかったので初めて山頂(標高1252m)に登ったのだった。それから月イチの大山詣でが定番化し、きょうが3回目。山頂への登山道はずっと狭い山道が続き見晴らしはあまりないのだが、1カ所だけ富士山が遠望される場所があり富士見坂の道標が立っている。本日は雨予報だったにもかかわらず、3回目の山頂登山で初めて富士の姿を拝見できた(写真)。

来年の大会では必ずや再び1時間を切る! との思いを込めて富士を仰ぎ見たのだった。

[本日の行程] 伊勢原駅前発6:48⇒下社前8:08分⇒山頂9:08⇒下社前10:08 

下社前には3軒のお茶屋さんが並んでおり、ワシは山頂登山後に右端のお茶屋さんでお汁粉と大山名物の三色豆腐をいただくのが、これまた定番となっている(パターン化しやすいオヤジである)。

下社前発10:20⇒小田急・鶴巻温泉(伊勢原駅の隣駅)駅前の秦野市営温泉・弘法の湯11:46

走行距離 約27km(うち3割ほどは山道歩き)

温泉(2時間1000円、平日800円)で汗を流して心身ともに癒され帰路に着いたオヤジであった。

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連続10回目の仙台国際ハーフ

2015-05-10 21:18:04 | レース

約3年ぶりの更新。永らくのご無沙汰をお詫び申し上げる。仙台でハーフマラソンを走り、帰ってきたオヤジである。 

10年前、このブログを始めたのは、ようやく初出場を果たしながら15km関門止めに終わった仙台国際ハーフマラソンの未完走記を書くためだった。あれから10年、東日本大震災をはじめさまざまなできごとがあった中で、開催中止になった2011年の大会を除き、今回で10回連続出場することができた。感謝。

ここ数年、記録は長期低落傾向を続け、ハーフマラソンでも2010年の千葉マリンハーフの1時間34分05秒以来1時間35分(km4分半ペース)を切れなくなっている。初出場した頃の仙台国際ハーフの参加資格タイムはまさにその1時間35分以内の公認記録だったから、そのタイムをクリアすることがワシにとって至上命題であった(その後、緩和され1時間40分以内になり現在に至る)。

今回は久々に、ある程度練習も積めてkm4分半ペースをめざし臨んだのだが……。

結果は、1時間37分55秒。 23分16秒ー23分03秒ー23分01秒ー23分38秒ー4分57秒

どの5kmも22分台では走れず。これが今の精一杯の走りだった。ともあれ、来年の参加資格を一応確保でき、ほっとした。

 

これまでの10回を振りかえると、

①2005 第15回 (15km関門止め) ②2006 第16回 1時間38分02秒

③2007 第17回 1時間36分15秒  ④2008 第18回 1時間32分59秒

⑤2009 第19回 1時間33分32秒  ⑥2010 第20回 1時間35分57秒

(2011 第21回 震災のため中止)     

⑦2012 第22回 1時間39分21秒  ⑧2013 第23回 1時間40分15秒

⑨2014 第24回 1時間44分43秒  ⑩2015 第25回 1時間37分55秒

 震災前は陸連登録選手のみ出場の1000人規模レースだったのが、震災後の第22回からは一般参加による1万人規模の大会となった。

その第22回大会ではかろうじて1時間40分をクリアして翌年も登録選手の部で出場したものの15秒オーバー。その年は他のレースでも参加資格タイムを確保できず、昨年の第24回大会はついに一般参加となった。これまであたりまえと思っていた仙台市陸上競技場への入場もできず場外でのアップ、スタートも後方となり渋滞でkm5分ペースがやっと。実にクヤシイ思いを味わい、ようやく気合が入り、秋のレースで参加資格タイムをゲットし、今回に臨んだのであった。

50歳時に初出場してから10年、今年還暦を迎えた。今回、登録選手の部で60歳以上は数十人程度。年々、参加資格確保は年々至難となるだろうが、できるかぎり継続したいものである。 

なお、女子では前田彩里選手(佛教大~ダイハツ)が1時間10分24秒で初優勝。ちょうどゴール直前の快走を、当方はまだ15kmくらいの地点ですれ違い目撃できた。世界陸上でも結果を期待したい。

※5/25追記:今回の大会記録に年代別出走者数がようやくアップされた。登録の部出走者は男子939人、女子216人。うち、60歳代は男子26名、女子8名、70歳代は男子2名のみ。あと10年、登録の部で出走を続ける……うう、きびしいだろうなあ。でも、やってみたい!

 

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振り出しに戻る

2012-09-30 23:31:40 | トレーニング

丸々2ヵ月ぶりの更新。ご心配いただいた方々には本当に申し訳なく存じます。いちおう元気に過ごしております。

右足の疲労骨折で走れなくなり7月の走行距離はゼロ。8月もゆっくりジョグのみで月間24km。
しかし、このまま走らずにいても良くなる見通しは立たないため、覚悟を決めて9月半ばから学校で昼休みランを始め「ランナーである自分」にスイッチON。本日の月例川崎にも参加し、かろうじて月間100kmに達した。

昨日の土曜は夕方から刀水ACの練習会に1ヵ月以上ぶりで参加させていただいた。
月末恒例の5kmタイムトライアル。km4分半ペースはとても無理、せめてkm5分は切りたいと思いながらスタート。23分30秒。練習会での5kmTTではワーストだが、これが現時点の自分の走力。ここからまたスタートしていこう。

5kmのそのタイムには記憶がある。10年近く前、初めてレースというものに出場した「静岡・駿府マラソン」5kmの部で一生懸命走った時とほぼ同じタイム。
2002年の9月末にランニングを始め、半年後の春3月に初レースを迎えたあの頃に戻ったかのよう。
もちろん、あの頃のままではないし、この10年間がなかったわけではない。これからの新しい10年を始めたいと思う。

※ついでに、ほとんど運動歴のなかった私がなぜ突然走り始めたかをたまに聞かれるので、ここに書いておく。
一言でいえば、「新たな日課がほしかった」から。
10年前の秋、47歳だったワシは12年間続けてきた保育園の送迎がまもなく終わる状況に、言い知れぬ寂しさを感じていた。二人の息子は6歳違い、計12年間の保育園通いは主として私の担当だった。12年も続けると、ほとんど永久に続くような気がしてきたが、あと半年で終わると実感した時、何か新たな日課が必要と強く思った。
そんな時、たまたま朝早く近所の公園に行ってみたらたくさんの方が歩いたり走ったりしていた。で、自分も始めた。それがきっかけだった。
走り始めてすぐ、わが青春の街・仙台でハーフマラソンがあり、出場するには1時間35分の公認記録が必要(当時) と知り、km4分半でハーフを走ることが至上命題となった。2年がかりでその目標は達成した……。


先週の日曜(9/23)にも仙台を走った。
「PARACUP in仙台」というチャリティリレーマラソンで、被災した仙台空港のすぐ横の特設コース2.3kmをチームで3時間に何周できるかを競う。ワシを含めてチーム参加ではなくシングルエントリーした人は当日、にわか作りの5人チームで走った。どうなることかと心配したが、それぞれの精一杯の走りでなんとか16周できた。
制限の3時間以内であれば次の周回に入れる。たまたま、「アンカー」に渡せるかどうかの順番に当たってしまい、もう必死で走り、なんとかあと10秒のタイミングできわどくタスキをつなぐことができ、駅伝の醍醐味をわずかながら味わえたオヤジであった。

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近況

2012-07-31 13:02:18 | その他の雑記

7月も末となった。昨日は通学中の介護福祉士養成校で系列専門学校合同の運動会(スポーツフェスティバル)があり、本日は休校。休養がてら、この1月ほどを振り返ってみる。

6月30日、練習会で月末恒例の5kmタイムトライアル。22分35秒。真剣に走って5kmでkm4分半を切れなかったのは何年ぶりだろう。
翌週、足の違和感が気になるので、何度かお世話になった整形外科へ。X線検査では骨の異常はみられないものの、症状から右足の中足骨に疲労骨折あるいは腱鞘炎の疑いあり。検査機関に行きMRIで精密検査の結果、「疲労骨折の手前」の状態とのこと。以後、今に至るまでランニングはほぼ休止中。
夏場の恒例レースになりつつあった7月の「所沢3種耐久」と8月の「奥武蔵ウルトラ78km」はすでに申込済みだったが欠場に。

7月中旬にはデイサービス施設で初の実習5日間。授業で学習してきた内容が目の前に現実としてあることに、ようやく自分が何を学んでいるのか実感が湧いてきた。
勝手に独断で動いてしまったり、何をどうしていいかわからない場面があったり、見習いの悲哀と無力感をたっぷり味わった一方で、大正生まれの利用者の方々とのコミュニケーションは亡き父母と再会したようで心うれしい時間だった。

実習終了直後には義母(昭和ひとケタ世代)が両膝の人工関節置換手術を受け、親族として立ち会った。オペ室に入ってから無事完了して出てくるまでの4時間半は長かった。杖なし歩行を長期目標に、現在は膝関節を120度まで屈曲できることを目標にリハビリ中で、ワシも学校がない日には付添・見学させていただいている。

その間、長年気になりながら敢えて行かなかった葛飾柴又を訪ね帝釈天や寅さん記念館を見学したり、初めて行った六本木・ミッドタウン内の美術館で沖縄の紅型の精巧さと描写のすばらしさに感動したり。

また7月16日に代々木公園で開催された「さよなら原発 10万人集会」では志願して集会プログラムのビラ配りボランティア。午前10時前から昼1時すぎまで人波はまったく途切れない。ひたすら配り続ける。主催者発表17万人、警察発表7万5000人とのことだったが少なくとも10万人は超えていただろう。とりわけ、80代以上とお見受けする女性が猛暑にもかかわらず多数来場され、そのやむにやまれぬ思いに胸打たれた。

映画で面白かったのは『GIRL』『愛と誠』、昨夜観た『The Lady アウンサンスーチー』も不屈の人生に感動して涙があふれた。ただ、イギリス人の夫が病に倒れても咳きこみながら喫煙を続ける場面には首をひねらざるを得なかったけれど。
小説ではなんといっても原田マハさんの『楽園のカンヴァス』(新潮社)。今回の直木賞候補にも挙げられた傑作だが惜しくも受賞はならなかった。ピカソが大きく影響を受けたといわれるアンリ・ルソーの名画の真贋鑑定をめぐり展開される時空を超えたミステリー仕立てのストーリーに思わず引き込まれる。

そういえば、比較的年齢の近い同級生によびかけて「読書会」も立ち上げた。固定メンバーはワシを含めて3人にプラス1~2名程度のこぢんまりした会だが、憧れだった読書会というものを主宰できただけでもう感激。
7月初の第1回に課題書としたのは近未来を描いた介護小説『七十歳死亡法案、可決』(垣谷美雨作/幻冬舎)。2020年、強行採決で「七十歳死亡法」が成立。日本国民は70歳を迎えた日から30日以内に安楽死を義務づけられた。施行は2年後の4月1日。少子高齢化による国家財政の破綻を救う窮余の方策の成否は……。緊迫した社会情勢のなか、物語は閑静な住宅街に暮らす平凡な家族の介護に焦点を当てていく。
自分ひとりで読んだのとは全く異なる視点や意見・感想に触れることができるのが読書会の醍醐味。この後、第4回分までお題の本が決まっており、なんとか続きそう。

かつての青春の日々は先が見えず鬱々とした暗い日々だった。今、思いがけず訪れた「青春の再来」に心踊らせているオヤジである。

走れないため体重増が懸念されたが、話題の「ロングブレスダイエット」に取り組んで2週間。とくに食事制限せずに体重は3kg減で久々の54kg台に、体脂肪もマイナス2%で11%台となり、ほぼベスト時と同じになった。
これはダイエット法というよりも、まぎれもなく呼吸法と一体となった筋トレの一種だろう。

本日、授業は休みだが夕方から合唱部の練習があるため、これから学校へ。

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初のOWS

2012-06-25 23:47:35 | レース

オープン・ウォーター・スイミング、つまりプールではなく海や湖などの自然環境で泳ぐこと。
写真はレース当日の朝、普段は遊泳禁止となっている幕張海岸の沖合250mあたりに浮設するブイをスタッフの方々が運ぶところ。

日曜、「幕張チャレンジトライアスロンフェスタ2012」(千葉)に初参加。といってもこの場所自体は毎年1月に連続出場を重ねている「千葉マリンハーフ」の会場で、なじみがある。

初心者向けのアクアスロンの部、スイム750m+ラン5kmで初めての海レースを体験した。
一般男女合わせて76人(うち女性13人)でスタート。スイムで男子4名がリタイア。
タイムは合計52分17秒、総合72名中61位。内訳は、スイム29分35秒(69位)、ラン22分42秒(25位)。

スイムは惨憺たる結果に終わり、30分の制限時間ぎりぎり。実質ビリである。
海のレースが初めて、着用義務のウェットスーツで泳ぐのも初めて。
レースで「初めて」は禁物なのに初めてだらけ。スタート直前に試泳した時点で激しく後悔した。
プールとまったく勝手が異なり、海水は黒く濁って視界が全然利かず恐怖心で呼吸ができない。
やめられるものならやめたい気持ちでいっぱいになったけれど、あっという間に8時半スタート。

本番になっても状況は変わらず、普通に泳げない。クロールは断念し、カメのように顔を突き出したままの平泳ぎでのろのろと前へ。海岸から沖合まで250mのブイまでがとてつもなく遠かった。
ブイから海岸線と平行して横に250m、そしてスタート地点近くまで向かう途中で20分遅れでスタートするメイン種目のトライアスロン第1ウェーブが一斉に泳ぎ出したのが見えた。

そのあたりからようやく平常心が戻ってきて、まず顔を浸けて普通の平泳ぎ、ラスト100mはクロールで。
浜で応援する方々が「あんなに泳げるのにこの人、なんでビリなの?」などと話す声がよく聞こえる。すみません、普通に泳げたのは最後だけなんで。

トランジット(更衣)へ走ろうとするも脚がもつれて走れない。最終走者への拍手が温かくも痛い。
ランはマリンスタジアム付近の1.7km弱コースを3周回。2周目に入ったあたりからようやく普通に走れるようになり、なんとか10人ほど抜いたか。

海の波に揺られてとてつもなく心細い思いをしていた時はもう二度と出るまいと誓ったはずなのに、ゴールすればすべて忘れ、よし来年こそはと当然のように決意するいつものオヤジであった。
何はともあれ、無事帰還できてよかった。

☆オヤジの応援歌 (11)
幕張前日の土曜は、これまた初体験。荒川区内の障害者施設合同運動会の支援ボランティアをさせていたき、全員参加でたのしくノリノリで踊ったのがAKBのこの歌。

 ♪ ヘビーローテーション (AKB48/2010)

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実習先、決まる

2012-05-26 22:14:52 | トレーニング

介護福祉士養成校に入学して約2ヵ月。7月に予定されている1週間のデイケア実習をさせていただく施設が昨日決まり、きょう場所の確認に行ってきた。日暮れ時、近くの公園からはスカイツリーがよく見えた。

同級生の中にはすでにヘルパーとして現場経験を積んでいる方や、高校新卒で入学後アルバイトで介護施設で働いている人も。ワシはまったくの未経験であり、ど素人。正直かなりの不安はある。
しかし、振り返ればこれまでも大なり小なり「できそうもないこと」に直面してきた。やってみて、できたこともあればできなかったことも勿論あった。ともかくやってみなければわからない。

その日まで、まだ1ヵ月余の時間がある。できる限りの準備をして、あとは飛び込んでみよう。


47歳でランニングを始めてから今年でちょうど10年になる。この10年間はハッキリ言ってしまえば「ランニング第一」に近い気持ちで過ごしてきた(その割にはフルのベストタイム3時間22分はいささか淋しいが)。
これから当分の間は、そういうわけにはいくまい。

このブログも、2005年に初出場できた仙台国際ハーフであえなく15km関門で止められてしまったクヤシサいっぱいの「未完走記」が最初だった。あれから7年、今年の仙台国際ハーフ参加記が1050本目の記事となり、「仙台に始まり仙台で終わる」ということで実はこれをもって最終回にするつもりだったのだが……。

しばらく休んだだけですぐ気が変わり(笑)、また折に触れて書きたいことを書くことにしたので改めてよろしく。

本日は刀水ACの5月最終練習会につき、月末恒例の5kmタイムトライアル。いつもどおりに準備運動と筋トレ後にスタート。21分43秒がやっとだった。これが現時点の走力。
 4'23"-4'24"-4'26"-4'23"-4'07"

そういえば、筋トレで腹筋をしていた時に参加メンバーMさんが空を見て不思議な虹を発見。
大空に半弧を描く普通の虹ではなく、太陽の周りに丸く虹色の帯が。しかも2重である。

これは日暈(ひのかさ)という現象だそうで、稀に見られるらしい。きれいに2重に見えるのはかなり珍しいようだ。以下は某サイトの画像から。

※なお、話のついでみたいで申し訳ないけれど、Mさん、5km20分切りおめでとうございます!! 思うように走れなかったこの2年、長かったでしょう。つらいことも多かったと思います。あきらめることなく努力を重ねての復活、すばらしいです。見習いたいので今度、つめのあかをくださいね。

変な虹の写真まとめ


 円形虹 (Circular Rainbows)
発生条件の難しさからなかなかお目にかかれない珍しい虹。
わずかな乱れもないその円形はまるで巨大なコンパスでえがかれたよう
20120526125415_123_1 

環天頂アーク(通称:逆さ虹)
20120526125415_139_1

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仙台国際ハーフ

2012-05-13 22:32:34 | レース

1時間39分21秒。仙台ハーフでのワースト記録を更新してしまったが、登録男子の部の参加資格1時間40分はかろうじてクリアした。
発着地の仙台市陸上競技場は写真のように、最近流行のブルートラックにリニューアルされていた。

「第22回 仙台国際ハーフマラソン大会(杜の都ハーフ2012)」に参加。2005年に初出場して以来7年連続(昨年は震災で中止)。
前回までは、参加資格タイムの公認記録を持つ陸連登録者のみの1000人規模のレースだったのが、今回は一般開放で一挙に1万人超のマンモス大会に。
これまでの仙台国際ハーフに強い思い入れを持つ方々の中にはその変容を受け入れ難く出場を取りやめた向きも少なからず。ワシも思い悩んだ末に、それでもやっぱり仙台の街を走りたいと参加を決めた。

スタート時刻が近づく。従来は競技場内から先に女子、5分後に男子がスタートしていたが、今回から登録者は競技場内で待機するもののスタートは競技場付近の道路上からブロック別に整列し一斉スタート。号砲の前に、震災で亡くなられた方々に全員で黙祷を捧げる。
10時5分スタート。本日ここに立てたことを深く深く感謝する。

 23'41" ー23'39" ー23'22" ー23'42" ー4'57"

先週の春日部大凧ハーフが1時間43分半くらいだったので、1時間40分切りは容易でないことは充分に想定しており、そのとおりすれすれの展開となった。春日部よりも4分縮めたのは、現時点の走力としては上出来か。

コースも大きく変わった。最大の変更点は、スタート/フィニッシュがともに仙台市陸上競技場(付近)となったこと。従来は競技場内周回後に周辺を回ってから市南部の長町方向へ向かった後、市街中心部をめざして北上。ラストは仙台の代表的ストリート、けやき並木が美しい定禅寺通りを駆けぬけて仙台市役所前広場にゴールだった。
新コースは前半に定禅寺通りを往復など主要市街地を走行し、後半は競技場周辺を周回する。

序盤に広瀬川を2回渡るため橋のアップダウンがあるものの後半はほぼフラット。以前はラスト近くに長い上りがあったのと比べれば走りやすくなった。

ただ今回のコースは市街地走行後に競技場前まで戻ってから6kmほど周辺を走って競技場内を3/4周してゴール。
いったんフィニッシュ地点に近づきながらまた離れていくコースは他大会にも見られるけれど、ランナー心理からすればいささかつらいものがある。できるものなら、フィニッシュ地点に近寄らずに周辺で距離調整してほしいものである。

大規模大会への変貌に伴い運営スタッフも市民ボランティア含め2000人に大増員。気温が上昇したこともあり給水体制に一抹の不安があったけれど、大きな混乱やアクシデントはなかったようだ。感謝。

受付でゼッケン類と一緒に「感謝とともに前へ、仙台のちから。」と記されたシールが配布され、ワシも含め多くのランナーが背中や袖に貼って走った。
タイムはともかく、走れることの幸せを改めて強く実感したオヤジであった。


☆オヤジの応援歌 ⑩
 帰宅したらNHKBSでちょうどこの歌を合唱していた。震災直後に仙台市内の中学生たちが歌い多くの人の心に灯をともしたこの合唱曲。

 ♪ あすという日が (仙台市立八軒中学校吹奏合唱部/2011)

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連休も終わり

2012-05-06 20:13:52 | トレーニング

GW最終日の本日は晴れ間ものぞいたものの荒れ模様の天候。
茨城、栃木を始め関東各地で竜巻や落雷で甚大な被害が報道されており、胸が痛む。


連休後半は、通算36回目の足柄峠走やハーフマラソンのレース出走など。
写真は5/5葛西臨海公園に自転車で行った時。干潟に渡る橋をバックに。左端に小さく見える白い三角は富士山の遠望。

5/4は「第24回 春日部大凧マラソン大会」に参加。5月第2週に毎年開催されるワシにとってのメインレース「仙台国際ハーフ」直前なので、「大凧」のほうは10kmか5kmに出走するのが恒例になっているのだが、今年は中9日あるので久々にハーフの部にエントリー。

現時点の走力から見て、おそらくkm5分ペースが精一杯。1時間45分以内のゴールを目安に。
10時7分スタート。
この「7分」というのは、途中2.5km地点に踏切があり、電車は通常運行するため、なるべく支障が小さくなるように設定しているそう。ともかく、踏切に止められないことを本日の目標として走り出す。

が。寸前でアウト。2km地点を9分15秒くらいで通過し踏切が眼前に迫り、「よし、間に合った」と思った瞬間、カンカンカンと赤信号が鳴り出した。即止められてしまう。ううう、無念……。

ロスタイムは1分少々程度だったけれど、すっかり気落ちしてガクッとペースダウン。km5分ペースをきちっと守って走り続ける刀水ACの大姉御さま(60代年代別入賞常連) の背中がかろうじて見える範囲でなんとか踏みとどまる。感謝。

朝まで降り続いていた雨がやみ、時々日射しも出て蒸し暑かったのが途中でまた降り出し、かえって走りやすくなった。中盤はずっと江戸川の堤防上の狭いコースで追い抜くのも難しいのだが、そこを無理やり強引にジグザグ走行で抜いていく男がいて、危うく脚が接触しそうになる。こちらが急ブレーキかけてかろうじて転倒は免れたものの怒りが湧いてきて、その野郎をマーク。ついさっきまでkm5分ペースでひーこら言ってたのがウソのように元気になる。(笑)

堤防を降りて、市街地の広い道路に出たところでペースアップ。残り5km地点からほぼkm4分半ペースで追いつき一瞬で追い越す。どうだ。

結局1時間43分34秒でゴール。それにしても、ハーフだけで6000名余のエントリー者数はコース容量の限界を超えているのかも。ネットのレース評でも多くの人がその点を指摘しているとおりである。

もうひとつ、「踏切止め」に関して。「得難い経験として貴重」との趣旨を述べた感想があり、目からウロコの思い。そう、何事も経験としてプラスにとらえることこそ大切。当たり前のようだが、いざその場に身を置くとなかなかそう思えないものではあるけれど。

久々にビジネス書の類を読んでいる中の1冊、『自分の秘密 ー才能を自分で見つける方法ー』(北端康良著/経済界) の結語にも「人生とは体験すること」とあった。
これから自分の進む道もさまざまな試練が続くことは容易に想像がつく。すべてを貴重な体験として、糧として行きたいと改めて思うオヤジであった。


昨夜、オーストラリア・メルボルンに8日間滞在し、留学兄弟たちの様子を見てきた妻が無事帰宅。あちらはもう冬の気配でかなり寒かったそう。

これで「走り放題」の連休も終わり。9連休の走行距離は150km程度で、休養2日。今年24回目の開催となった山口の「萩往還」250kmの部を制限48時間内で完走された刀水の猛者には及びもつかない。

ただ、ワシはそもそもウルトラマラソンには向かないようなので、当分はフルの自己記録更新を第一目標に。走行距離はあまり気にしすぎないでスピード持久力の養成を主眼にランニング技術向上をめざしたい。

☆オヤジの応援歌 ⑨
 連休中に、かねて録り貯めしておいた録画を休養日にまとめて見た。そのうち、期間限定で再結成したプリンセス プリンセスのドキュメンタリー、復活ツアーの冒頭に歌ったのがこの大ヒット曲。
     ♪ DIAMONDS(ダイアモンド) (プリンセス プリンセス/1989) ※2012復活版

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