お遍路 K 秋ちゃん・・・きのうの晩ごはん、 おやじの田舎家庭料理・・・

素朴でシンプルな健康晩ごはんです。田舎のおやじが、頑張って毎日作っています。

発心の道場阿波一国参り道中記

2014年08月27日 | 札所巡り

 よく、四国遍路はなぜするのですかと、聞かれることがある。ただ単に「歩きたいからそれだけです」と答える。しかし、何かしら背負って歩いている人もいる。煩悩を断ち切る。懺悔する。などと歩いている人は皆無に等しい。歩いていると、白、緑、赤、銀、金、錦といって、何回、何十回、何百回と巡ったかの自慢話も聞こえてくる。何も考えないで歩くのが四国遍路ではないか、歩いた後で何かが見えてくる。それでいいと思う。お寺やお墓参りに行ったこともなかったが遍路をしているうちだんだんと感謝の気持ちもわいてきた。そこには、1年365日お寺の梵鐘を毎朝6時について本堂の前に立って勤行している自分がいた。かくして平成22年初夏四国の空に旅立った。あ、それともう一つ、今までいただいた御朱印、どれがどこの寺社だかわからないので、四国八十八ヵ所の御朱印を掛け軸にし家宝にするのも目的の一つだ。

阿波1日目

 先ずは、1番札所霊山寺で遍路用具の白衣、輪袈裟、金剛杖、納経帳、勤行集を購入。その場でお遍路さんに変身。いよいよ四国八十八ヶ所阿波一国参りの始まりである。期待と不安が混同する。

第1番札所霊山寺

 1番札所だけあって賑っていた。初めての勤行はちんぷんかんぷんでただ読むだけ。隣の人はすらすらと唱えていた。大丈夫かなーと思いながら1番札所を打ち終え遍路道へ。ところが急に雨が降ってきたので慌てて雨具取り出しザックカバーをかけ出発。どうなることやら。2番札所極楽寺の売店で「この先店が無いから、弁当いかがですか」と弁当をすすめられ買うことに。2番札所を打ち終え、3番札所金泉寺、4番札所大日寺と打つ。途中の遍路道は昔ながらの風情のある遍路道である。大日寺では雨宿りと昼食をするため納経所でお世話になる。ついでに勤行集の読み方や節など教えてもらう。その甲斐あって何とか声を出して勤行することができたが、まだまだ恥ずかしいという気持ちもある。食事を終えて大日寺を出発。途中、遍路休憩所で布団とダンボールに包まって寝ている人がいた。浮浪者なのかなぁと思いつつ気味が悪いので知らぬ顔で通り過ぎていく。四国遍路にはそういう人が少なくないことも後でわかる。5番札所地蔵寺に着くと雨足が強くなってきた。しかし、雨が降ろうと槍が降ろうと歩かねばならない。そんなことはない・・・地蔵寺には五百羅漢巡りというのがあるが、雨のほうが気になって、本当は余裕がなく見学はしなかった。後で聞いたのだが、名古屋の若者は見学してきたとのこと。打ち終えて今日の宿、森本屋へ。地蔵寺からはすぐの所にある。まだ13時30分。早いのかなーと思いつつ声をかけるが返答がない。ようやく外の気配を感じとったのか宿のおばちゃんがでてきた。「早くても大丈夫ですか」と言ったら「いいですよ、雨具は玄関に掛けておいて金剛杖は洗って部屋に持って行って」と言われ16畳くらいある座敷に通された。部屋には、だいぶ昔撮ったと思われる団体遍路さんの色褪せた写真が掲げられてあり年期の入った部屋である。少し寒い。石油ストーブはあるのだが灯油が入ってない。電気コタツがあるのでスイッチを入れて休み、ついでに濡れた衣服も中に入れ一緒に乾かす。今日の行程は約11㌔強。これは後でわかったのだが1日の行程としては半分以下である。それと雨の遍路は雨具を着るので白衣が汗を吸ってしまいぐちゃぐちゃになるので白衣は着ないで歩く等々いろいろ分かってくる。風呂が沸いたのでいただき夕食までビールは我慢する。17時、若い遍路さんが到着し部屋に通される。ふすまが開いていたので挨拶をする。今日、名古屋から徳島市に着きそのまま歩いきたとのこと。38㌔もよく歩いてきましたねーと言うと、足が痛くて大変でしたとのこと。ザックからいろいろ荷物を出し広げていたが、どれもこれも1番札所前のドライブインで遍路用品を買ってきたとのこと。必要のないものもいくつかあり、肝心の同行二人の地図は持っていなかったので後で購入するといいですよと教えてやった。買ったというより押し付けられたと言っていた。また、長いこと歩いてきたのでマメができて痛いとのこと。イソジン消毒液を持って来たので、針に糸を通し消毒液に漬け、針先を焼いてマメに糸を通し、水を抜いてカットテープを貼ってあげた。また、靴をもう少し良い靴に変えた方が良いのではとアドバイス。何一つ準備しないで来たとのこと。それは後でわかるのだが・・・そんなこんなで夕食の時間になる。夕食は全部で6人。最初は皆さんおとなしかったが酒が入ってきたら口の方も開いてきた。広島から来た遍路さんは何回も来ているのでいろんなことを知っていた。今回は、奥ノ院巡の遍路。福島正則公の話になったらさっそく携帯の写真を見せこれがお墓ですとのこと。歴史と密教、特に密教にはかなり精通しているみたいだ。名古屋の若者に携帯電話がかかってきた。「今、入院しています」との返事。訳があるみたいだ。出立も早くそれ以来逢っていない。奈良から来た70歳代のおじさん遍路はこの後また一緒に同行することに。神奈川から来た夫婦の遍路さんはインスリンを打ちながらの遍路。たいへんに思う。名刺代わりに納札(おさめ札)を交換。いろんなものを抱えての遍路。人それぞれの遍路である。※現在の森本屋は改装してみちがえるようになった。