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アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

愛がたりない

2004-09-05 18:45:07 | 
愛が足りない

そう、タインは思った。
家主はどうも他の兄弟たちをばかり可愛がっているような気がする。
みんなが家に入っているときも、自分だけ外に出されたりするし、
ご飯の時も、自分がいくら催促しても返事もしてくれなくなったりもする。
コマリン義母さんやマスキー姉ちゃんだって、最近ちっともボクを構ってくれない。
やはりボクは愛されていないんじゃないだろうか。
そう思うと、やり切れない。
そんな時は必ず何か熱いものが胸にこみ上げて来て、あの雪の日を思い出したりする。

あの雪の日・・・

深い山の中に置き去りにされたボクは、
何日も食べるものもなく、
疲れ果て、声は枯れ果てて
あてどなく凍えるような足を引き摺って、
林の中を彷徨い続けたんだっけ・・・
それを思い出すと悲しい。
とても悲しい。
ボクは思わず精一杯叫ぶ。

「ボクにも、愛をください」と・・・



タインは裏山に捨てられていた子猫だったんだ。
そう、去年の12月。雪の降る寒い日。
両手のひらに乗るほど小さかったタインは、山の上に住むお婆さんに抱かれて猫家に連れて来られた。
スーパーの買い物袋に入れられてね。
全身骨が触れるほどに浮き出て、
とうに弱って動けないくせに目ばかりぎょろぎょろして、
声は、その時は既に子猫の声ではなかったよ。
恐ろしいほどにしわがれたガラガラ声。
多分泣き叫び過ぎて、声帯がどうにかなってしまったんだろう。
それは、その日から8ヶ月あまり経った今でも変わらない。
あの時に比べたら、しわがれようはだいぶよくはなったけれどね。

当時猫家には8匹の猫がいたから、
タインは末っ子として猫家一家の仲間入りをした。
なんてったって、ひとりだけ図抜けて小さかったものだから、
特にみんなから可愛がられたよ。
ロッキーやレオ、そしてあの時病気で臥せっていたラムだってさ。
そしてタインはだんだんと回復して、
春が来る頃には、今のように大きく、たくましくなっていたんだ。

でも、タインの癖は、いつまでも直らない。
それはね、ちょっとしたことでギャアギャア騒がしいばかりに鳴くんだよ。
ご飯の時、寂しい時、何か言いたいとき、
ホント、まるで大ごとが起こったかのように、目をぎょろりと見開いて、
あの少しだけかすれた声で、うるさいくらいに鳴いて、鳴いて、鳴き続ける。
私もできるだけそれに答えるようにはしてるけど、
なにせ、どうしたって鳴き続けるものだから、
仕舞いにはとても相手し切れない。
この家で生まれ育った他の猫たちは、
腹が空いても、ご飯の時間までどこかで涼んだりしながらじっと待ってるのにね。
仮に鳴いたって、何度か返事すれば、すぐに落ち着くんだけどね。
タインだけはちょっと違う。

またタインは、マスキーやコマリンにちょっかいを出すんだ。
遊んでるんじゃなくてさ。
どうしてなんだろう。
とうに避妊手術を受けた彼女らを、顔を見れば追いかけ回す。
そのうちメス猫たちは、タインを嫌がって遠出するようになってしまった。
彼女らだって、本当は自分のうちで休みたい。
だから時々は、彼女らだけ家に入れて、タインを入れないようにしてる。
もちろんタインひとりだけじゃ可愛そうだから、
他のオス猫たちも一緒に外に出すけどね。
でもタインはそれが不服みたい。
言い聞かせても、わからない。
他の猫たちは、そうじゃないんだけどね。

タインは元は捨て猫。
愛する母ちゃんから引き剥がされて、
飼い主に山の中に捨てられてしまった猫。
そんな哀しい思い出が、
彼をいつまでも意固地に、我がままに、堪え性もなくさせてるのかもしれないな。
だとすれば、かわいそうなタイン。

いつか自分が充分に愛されてると気づくその日まで、
お前を人一倍、愛し続けてやろう。




【写真はこの夏のタイン。】


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22 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
タインちゃん (persempre)
2004-09-05 19:29:40
いい飼い主に 愛されて幸せですね。



安全に、愛情に囲まれて育った人間の、鷹揚さというものは、確かにあると思います。



ひどい目にあったものは、同じ立場の人間の気持はわかるかもしれないけど、なかなか、またその状況に降りていこうという気持にはなれないのが、普通なのでしょうね。 そして、無意識にブロックしてしまう。 それを、乗り越えられれば、チクチクと残るものはあっても、幸せを手にいれることができるのでしょう。



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どこかで (koko)
2004-09-05 20:08:24
私はアダンに対して愛情をセーブしている部分があります。

理由は定かではありませんが、たぶん自分が親の愛情に押しつぶされてしまいそうだった頃、(こうかくと随分と、小生意気に聞こえそうですが・・・)それが愛情だったかどうかさえも今では知るところではないのですが、とてもつらい時期がありました。だから、アダンに対して、いつか自分が親に持った感情を自分に持つのではないかと、ふと考えてしまいます。

子供のときは惜しみなく愛情を与えなさいと周りは言います。

時にそれはどうかとも思ってしまうんです。

愛のかたち。というはかりがあれば楽なんでしょうけど・・・



だから私は、今のままの自分で体当たりです(笑)毎日毎日・・・



ただ、それは表面上だけであって、実際は手を抜かずに愛してますけどね、それをあえて、アダンに伝えない部分があるということです・・・かな?
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persempreさんへ (アグリコ)
2004-09-05 20:30:14
私たちはそれぞれ、稀少(ユニーク)な可能性を持ってるんでしょう。

それは、残念ながら、習得する過程で痛みを伴う。

大きな可能性には大きな痛みが。

その可能性は必ず

自分自身を幸せに導くものだと信じてます。

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kokoさんへ (アグリコ)
2004-09-05 20:36:36
愛情を感じていて、押しつぶされそう、という経験は残念ながら私にはないんです。

kokoさんは、確実に私なんかとは違った可能性を持ってるんですね。(当たり前のことですが)

やはり私たち人間は、みんなで手をとり合って、初めて全体として完成するんでしょう。

もちろん個々の人はそれなりに完成してるんでしょうけどね。

猫たちと暮らしてると、自分の過去や生きる方向なんかにも思い巡らされたりして、我ながら意外です。
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どちらだろう? (persempre)
2004-09-05 22:08:05
愛情なのか、相手をコントロールしようとしているのか。



愛情は、手放してこそ、「可愛い子には、旅をさせよ」



コントロールしようとしては駄目ですよね。
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僕にも愛をくださーい! (海猫)
2004-09-05 23:48:46
タインちゃん。

私も愛がほしいよー!persempreさんが言うように、相手をコントロールしよう”と思うのはダメですね。おたがい傷つきますね。



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はじめまして(*^_^*) (プチとまと)
2004-09-06 00:13:35
プチとまとです。タインちゃん可愛いですね。私も猫が大好きです。猫ちゃんは沢山あいをくれますね。
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Tainちゃん (zapallito relleno )
2004-09-06 00:46:06
可愛い!(^O^)沢山愛されてる。ウフフ……幸せいっぱいビール一杯。心ドキドキ。
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Unknown (take)
2004-09-06 02:31:31
愛が足りない・・・。

それは、タインさんの誤解だとしても、

愛って満ち足りてる、とか、不足しているって

いうものなのかなあ、と考えてしまいました。

愛って?

もっと、別の所にあるものなんじゃないか、なんて考えるわたしは、なんなのでしょう。

愛情不足で喘いでるくせに、そんなこと考えるんです。

あ、愛と、愛情は、私の中で違うのかも知れません。

ややこしいですね。

こんな定義は無意味でしょうか・・・。
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自分との対話 (agrico)
2004-09-06 07:36:50
愛であっても相手を所有したい、思うとおりにしたいという欲であっても、時に同じ現れ方をしますね。

現象だけをいくら分析しても、堂々巡りです。

それは、頭を働かせる分野ではないと思います。

自分自身と直面しなければ、突き詰められないことではないでしょうか。

日常の「思い込み」の中に、もしかしたら本当の自分が隠れているかもしれませんよね。

それをできるのは、自分しかいないでしょうね。
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