前の記事では、
「ほとんどのブログでは、大学教授にしても、精神科医にしても、ニュース記事までが因果的思考であり、原因とその関係を中心にして考えているだけだ」
と書いた。
少し高度な人は、原因とその関係、その結果を合理的に考える、というようにする。このような考えの正しさとは「合理的正当性」が文章として証明されるところにある。しかしそれで本当に正しいと言えるのだろうか?
自分の考えが間違っていたとしたら、どのようにしてそれを知ることができるというのか? それには、因果的というより、合理的というより、もっと客観的な思考が必要になってくるのだ。
言葉が数字のように計算できたら、完全な思考が手にいられる。と考えると、すでに「計算言語学」というものがあるという。私程度で考えられることはもうすでにあるようだ。しかしこれはそんなに単純なものではなかった。
私の考えはもっと簡単だ。
世の中には関数というものがあって、エクセルやデータベース上で自動計算を使用したい場合に必要になる。パソコンは計算機であり、統計関数やら、集計関数などを使って利用することができる。
関数
一定の規則(独立変数)=従属変数
定番の関数だ。これを言葉で表す。
没個性の問題=長期間、労働や仕事を持たないなどの社会への不参加や、引きこもってインターネットでの匿名書き込みなどを続けている、友人がいない、などの理由で個性がなくなってくると社会的な規範意識が薄くなる。インターネットでの匿名書き込みなどでは、「祭り」などと称しての言葉の暴力に参加しやすくなる現実がある。これを覆面効果などと呼ぶ。
没個性の問題(放火無差別殺人の情報)
=個性のない人間は刺激的な情報の影響を強く受ける。
「特段変わったところのない、ごく普通。おとなしい。地味な感じ。無気力。人付き合いが下手」という、これらの言葉は容疑者の個性のなさを表している言葉だ。
このような没個性が刺激的な無差別殺人の報道に強く影響された。
これは問題を解明するための論理的な思考である。計算するとは説明するのと同じことだ。数式が示すのは計算する手順であり、それは思考の流れそのものだ。
問題を解明するのには、一定の規則を利用するのが一番合理的な方法である。それが関数を利用する目的である。
この「一定の規則」は、心理学や犯罪学の学説であったり、哲学であったり、同様の事件を分析した共通点であったりする。
私が心理学を利用するのは、このためであり、何も権威にあこがれているからではない。それに心理学だけに注目しているわけではない。それもほんの一因でしかないことだ。なるたけ標準語だけで表し、専門用語は使わないようにしている。
このブログでは何度も書いたことではあるが、心理学や哲学は、知っているだけではどうしようもないものだ。心理学の学説や、哲学者の明言に、現実を当てはめて語っても、何も役に立たない。重要なのは知っていることではなく、どのように理解したかであり、またそれをどのように利用するか、なのである。
そしてもっと重要なのは、個人的な考えも変更しうるような、客観的な思考を持っている、ということなのだ。そう、重要なのは自分の考の間違いに気付くことなのだ。そして自ら改善できることだ。しかしこれは多くの人が日常で持ちえてない、より自律的な思考なのである。
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「ほとんどのブログでは、大学教授にしても、精神科医にしても、ニュース記事までが因果的思考であり、原因とその関係を中心にして考えているだけだ」
と書いた。
少し高度な人は、原因とその関係、その結果を合理的に考える、というようにする。このような考えの正しさとは「合理的正当性」が文章として証明されるところにある。しかしそれで本当に正しいと言えるのだろうか?
自分の考えが間違っていたとしたら、どのようにしてそれを知ることができるというのか? それには、因果的というより、合理的というより、もっと客観的な思考が必要になってくるのだ。
言葉が数字のように計算できたら、完全な思考が手にいられる。と考えると、すでに「計算言語学」というものがあるという。私程度で考えられることはもうすでにあるようだ。しかしこれはそんなに単純なものではなかった。
私の考えはもっと簡単だ。
世の中には関数というものがあって、エクセルやデータベース上で自動計算を使用したい場合に必要になる。パソコンは計算機であり、統計関数やら、集計関数などを使って利用することができる。
関数
一定の規則(独立変数)=従属変数
定番の関数だ。これを言葉で表す。
没個性の問題=長期間、労働や仕事を持たないなどの社会への不参加や、引きこもってインターネットでの匿名書き込みなどを続けている、友人がいない、などの理由で個性がなくなってくると社会的な規範意識が薄くなる。インターネットでの匿名書き込みなどでは、「祭り」などと称しての言葉の暴力に参加しやすくなる現実がある。これを覆面効果などと呼ぶ。
没個性の問題(放火無差別殺人の情報)
=個性のない人間は刺激的な情報の影響を強く受ける。
「特段変わったところのない、ごく普通。おとなしい。地味な感じ。無気力。人付き合いが下手」という、これらの言葉は容疑者の個性のなさを表している言葉だ。
このような没個性が刺激的な無差別殺人の報道に強く影響された。
これは問題を解明するための論理的な思考である。計算するとは説明するのと同じことだ。数式が示すのは計算する手順であり、それは思考の流れそのものだ。
問題を解明するのには、一定の規則を利用するのが一番合理的な方法である。それが関数を利用する目的である。
この「一定の規則」は、心理学や犯罪学の学説であったり、哲学であったり、同様の事件を分析した共通点であったりする。
私が心理学を利用するのは、このためであり、何も権威にあこがれているからではない。それに心理学だけに注目しているわけではない。それもほんの一因でしかないことだ。なるたけ標準語だけで表し、専門用語は使わないようにしている。
このブログでは何度も書いたことではあるが、心理学や哲学は、知っているだけではどうしようもないものだ。心理学の学説や、哲学者の明言に、現実を当てはめて語っても、何も役に立たない。重要なのは知っていることではなく、どのように理解したかであり、またそれをどのように利用するか、なのである。
そしてもっと重要なのは、個人的な考えも変更しうるような、客観的な思考を持っている、ということなのだ。そう、重要なのは自分の考の間違いに気付くことなのだ。そして自ら改善できることだ。しかしこれは多くの人が日常で持ちえてない、より自律的な思考なのである。
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