言語分析未来予測

上石高生
言葉の分析からの予測です。分析の正しさは未来に答えが出ます。分析予測は検証可能でなければなりません。

過去の幼児殺害からの遺体遺棄事件の分析検証.1

2008年12月14日 07時43分45秒 | 検証
 無料のブログのために容量確保のため削除した過去の記事より。

【秋田小1殺人事件】
 被害者は、小学1年、米山豪憲君(7)で、容疑者は2軒隣に住む無職の畠山鈴香(33)であった。しかしこの事件の以前、4月に、容疑者の長女で小学4年だった彩香ちゃん(9)が、自宅近くで行方不明になり水死体で見つかっていた。
 豪憲君は06年5月17日午後3時半ごろ、下校途中に連れ去られ、ひものようなもので首を絞められて殺害。遺体は約10キロ離れた市道脇の草むらに遺棄されていた。
 捜査の結果、容疑者の自宅内とふだん使っている白い軽自動車の車内から複数の血痕(首を絞められて圧迫された際に出たとみられる鼻血)が見つかっている。

 特長としては、畠山容疑者がマスコミをわざわざ自宅に招き入れ、自分の娘も事故死ではなく他殺である、と強く訴えていたことである。しかし報道が自分の思ったようなものでないと、自宅に集まっていたマスコミに癇癪を起こしてもいた。

○06年6月に書いた分析
 確実な事実として近所の子供を殺害したということと、見た目の印象として感情が欠如しているような淡々としているその話しぶりなどをあわせて分析する。
 子供には力がなく、逆襲の心配もなく、抵抗も弱いために、簡単に目的を達成できると犯人は考えている。子供はだまされやすいため近づきやすく、誘拐も監禁も簡単に実行でき、遺体になれば損壊しなくても遺棄しやすい。また事件ともなれば容疑者は低年齢の子供から女性、または変質者と幅が広くなり、捜査がより困難となってしまう点も犯人にしては好都合となる。
 このような子供を狙った理由とは、以前に子供を亡くした理由が、監督不行届などの親の責任であるのに、警察の捜査の手落ちという転嫁のための犠牲がほしかったからなのではないかと予測できる。
 暖かみがない雰囲気が、愛する能力と優しさの欠如を連想させる。それで切れやすく暴力的であれば、自己規制は皆無になってしまうだろう。そうなれば社会人として調和が保てず、多くの問題を起こすことになる。また衝動の抑制がなければ、内面的な葛藤をコントロールできない状態となるだろう。
 このような性質は生前の自分の子供にも影響を与えていたのではないか。
 子供に対して優しさがなければ、理不尽な暴力による支配となり、それは容易に虐待の連想ともなりうる。
 特に東北地方でありながら、ガスも使用できないようなすさんだ生活を送っているとは、子供や自分の生活においても、その最低条件も諦めたような投げやりな態度と言わざるをえない。
 それでもレポーターや記者たちの前に出て大いに話し始めるという自己顕示を見せるのは、まるで現在の不幸における同情を欲しているかのようである。
 優しさがなく暴力的であり、自らすさんだ生活を選び、投げやりな態度で日々を送っていたにも関わらず、現在の不幸における同情を求めようとするなら、今までの状況を周囲からの疎外感や被害感へと脚色しなければならなかった。それこそが彩花ちゃんの育児放棄と保護者の無責任から周囲の目をそらすための嘘であったと予測できる。

 06年6月の秋田小1殺人事件は、長女彩香さん(当時9)の殺害を認めたことで、秋田県藤里町の連続児童殺害事件となった。それで報道では、犯罪被害給付金制度の遺族給付目的の動機ではないかと憶測か飛び交ったのである。

より予測的な分析 2007年07月12日 09時36分39秒
 秋田県藤里町の連続児童殺害事件は去年の6月に起きた事件だが、1年過ぎてこの9月から裁判が始まるらしい。
 米山豪憲君、7歳が、架空の犯罪者をでっち上げるために殺害されたのだとしたら、人の命を何とも思わない、それこそ“無感動な性格障害”が災いした冷酷さを感じさせる。
 現在的に考えれば、長女彩香さんの殺害、を架空の犯罪者の仕業にしたかったのは、被害給付金制度の遺族給付目的、が動機であったためではないのか。それこそが合理的に考えられる動機であろう。

去年の事件 2007年07月11日 11時06分31秒
 10日のニュース記事で「畠山被告には人に触れられることを嫌う障害があった」という新しい情報が掲載されている。それが橋から長女が転落死した原因であるという主張のようだ。実際、弁護人は秋田地裁に畠山被告の精神鑑定を請求している。
 解離性障害による健忘や、分離的な行動、という重い障害まで弁護人が想定している。

被告の内心にある無責任 2007年09月12日 13時49分58秒
畠山被告、娘への殺意は否認…連続児童殺害で初公判(読売新聞) - goo ニュース
 「当時の精神状態が正常だったか、私にはわかりません」とは、畠山被告の罪状認否での言葉である。
 過去の自己が異常だったとすると、この人間は異常な自分と正常な自分を経験したことになる。逮捕されて現在に至る自分が正常だということが、「当時の精神状態が正常だったか」との言葉になるのだろうが、「私にはわかりません」とは、無責任でありたいということだろう。
 またこの記事での「罪のない2人の子供にごめんなさい。米山さん家族には申し訳ありません。ゲームとは違うのに、リセットボタンを探し続けた」などの言葉は、現実性の希薄さを表わしており、これも裁判においての無責任を願うような言葉である。

秋田小1殺害事件 2007年12月03日 14時58分37秒
長女転落「記憶なし」 畠山被告、精神鑑定で診断(産経新聞) - goo ニュース
 12/1のニュースでは、秋田地裁が実施した精神鑑定で、記憶を被告が失っていた、という診断である。
 もちろん精神科医の鑑定と張り合うつもりはないが、仮病(詐病)は専門家でも見分けにくいものである、と過去の分析でも書いた通りである。

畠山被告に無期懲役 2008年03月20日 08時30分55秒
土下座し「お子さん奪った」=畠山被告、判決に表情変えず-顔覆う遺族・秋田地裁(時事通信) - goo ニュース
鈴香被告、無期判決 法廷で土下座 「申し訳ありません」(産経新聞) - goo ニュース
 ニュース記事では、亡くなった自分の長女に対して「かわいいと思えない」や、「2歳からの3年間はほとんど会話もしていなかった」などと通院先の精神科医に漏らしたこともあった、という報道もある。
 12回の公判で「彩香が事故で、私の不始末で亡くなったということが証明されれば、私は下された刑を受け入れる」と被告人が語ったとしても、実際は死刑ではなく、無期懲役である。殺意は認定されながらも「酌量すべき点も少なからず認められ、躊躇を覚えざるを得ない」というのが裁判長の判決理由らしい。しかし殺意を認定したのはこちらの過去の分析予測以上のことであった。
 一方では分析通りの「現在の不幸における同情を求めようとした」被告人の訴えが認められたということだ。
 しかし「豪憲君(殺害)については、彩香ちゃんの死は事件だとする自分の主張に目を向けさせるため、とっさに殺害したと判断」としたのも、こちらの分析以上に長女への殺害をも転嫁させたかったということだろうか? しかし、このことには「計画性はなかったとし、彩香ちゃん事件への疑いの目をそらすためとの検察側主張は退けた」という。
 殺意は認めながらも、長女殺害へのカモフラージュ(豪憲君殺害)ではない、とするなら、豪憲君殺害は単なる連続殺害であるということか。このように計画性もなく、短期に自分の子供と、近所の子供を次々に殺害したとするなら、こちらの方が罪が重いようにも感じるのだが、どうだろう? では幼児連続殺害事件のときは、何人殺せば死刑になるのか? という疑問も湧いてくる。
 弁護側にしても即日、不服として控訴し、また長女の殺意認定について争うようだ。

 「殺意は認めながらも、長女殺害へのカモフラージュ(豪憲君殺害)ではない」というのが判決の内容だが、「豪憲君(殺害)については、彩香ちゃんの死は事件だとする自分の主張に目を向けさせるため、とっさに殺害したと判断」という検察の主張の方が、こちらの分析予測と一致した。

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