のこのことテレビに出てきて、またテキトーなことを得々と語っていた。4日のBSフジ番組に出演していた河野洋平元衆院議長のことである。政治家はもともと我(が)が強く、自分が一番だというタイプが多いものだが、それにしても「重鎮」「大物」と言われるOBたちに、自身を全く省みずに現役政治家の足を引っ張りたがる者が目立つ。
「(合意の)内容の外であり、毛頭考えていない」
安倍晋三首相は3日の衆院予算委員会でこう述べ、慰安婦問題に関する昨年12月の日韓合意に関連し、韓国の元慰安婦支援財団が求めている首相の謝罪の手紙を出す考えのないことを表明した。河野氏はこれに対して、早速、こんな批判を展開したのである。
「もう少し言い方はあったのではないか。人間性の問題かなと思う。もっと寄り添った言い方があったかもしれない」
どうしてそこまで韓国側に寄り添わなくてはならないのか、さっぱり理解できない。人間性まで持ち出す話だろうか。
安倍首相の発言は、韓国お得意の「ゴールポスト移動」にはもう付き合わないとの日本政府の立場を示したものであり、当然のことである。首相は合意当時、周囲にこう話していた。
「河野談話のときもアジア女性基金のときも、彼らが約束を守らなかったことを念頭に、今度は『最終的かつ不可逆的な解決だ』と韓国の外相にも述べさせ、それを(第三国の)米国が評価、支持するというプロセスを踏んだ。ゴールを固定化していくためだ」
「今後、私からは慰安婦の『い』の字も言わない。この問題については一切触れない。今回の合意をもってすべて終わりだ。このことは(12月28日の)朴槿恵大統領との電話会談でも言っておいた」
増して、韓国側は「適切に解決されるよう努力」すると約束した在韓日本大使館前の違法な慰安婦像の撤去・移設について、いまだにしかるべき行動に出ていないのである。
また、首相の手紙についてはこれまで橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎の4首相が「心からのおわびと反省の気持ち」を記した手紙に署名し、元慰安婦に届けてきた。だが、それは問題解決につながらなかった経緯もある。
河野氏は日韓合意自体は高く評価しているという。それならば今回の安倍首相批判は結局、私は優しくて良心的だが、首相はそうではないと言いたいだけということだろうか。こうした河野氏の言動を見るたびに、哲学者、ニーチェの次の言葉を思い出す。
「同情深い者たちにおけるよりも大きな愚行が、この世のどこかで行われただろうか。同情深い者たちの愚行以上に多くの悩みを引き起こしたものが、この世に何かあっただろうか」
元慰安婦の女性らの言葉を無批判に垂れ流すことを「良心的」な報道だと疑わなかったマスコミや、必要以上に彼女たちに寄り添おうとするあまり、証拠資料も日本側証言もないまま慰安婦募集の強制性を認めた河野談話のあり方こそが、慰安婦問題の原点である。
河野氏ら「同情することにおいて至福を覚えるような、あわれみ深い者たち」(ニーチェ)こそが、慰安婦問題をいたずらに悲劇化し、複雑化させて拡大し、その解決を遠ざけてきた。
安倍首相をはじめ現在の政府は今、むしろ河野氏らの後始末に悩み、追われているのである。そこに気づくべきだろう。
「(合意の)内容の外であり、毛頭考えていない」
安倍晋三首相は3日の衆院予算委員会でこう述べ、慰安婦問題に関する昨年12月の日韓合意に関連し、韓国の元慰安婦支援財団が求めている首相の謝罪の手紙を出す考えのないことを表明した。河野氏はこれに対して、早速、こんな批判を展開したのである。
「もう少し言い方はあったのではないか。人間性の問題かなと思う。もっと寄り添った言い方があったかもしれない」
どうしてそこまで韓国側に寄り添わなくてはならないのか、さっぱり理解できない。人間性まで持ち出す話だろうか。
安倍首相の発言は、韓国お得意の「ゴールポスト移動」にはもう付き合わないとの日本政府の立場を示したものであり、当然のことである。首相は合意当時、周囲にこう話していた。
「河野談話のときもアジア女性基金のときも、彼らが約束を守らなかったことを念頭に、今度は『最終的かつ不可逆的な解決だ』と韓国の外相にも述べさせ、それを(第三国の)米国が評価、支持するというプロセスを踏んだ。ゴールを固定化していくためだ」
「今後、私からは慰安婦の『い』の字も言わない。この問題については一切触れない。今回の合意をもってすべて終わりだ。このことは(12月28日の)朴槿恵大統領との電話会談でも言っておいた」
増して、韓国側は「適切に解決されるよう努力」すると約束した在韓日本大使館前の違法な慰安婦像の撤去・移設について、いまだにしかるべき行動に出ていないのである。
また、首相の手紙についてはこれまで橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎の4首相が「心からのおわびと反省の気持ち」を記した手紙に署名し、元慰安婦に届けてきた。だが、それは問題解決につながらなかった経緯もある。
河野氏は日韓合意自体は高く評価しているという。それならば今回の安倍首相批判は結局、私は優しくて良心的だが、首相はそうではないと言いたいだけということだろうか。こうした河野氏の言動を見るたびに、哲学者、ニーチェの次の言葉を思い出す。
「同情深い者たちにおけるよりも大きな愚行が、この世のどこかで行われただろうか。同情深い者たちの愚行以上に多くの悩みを引き起こしたものが、この世に何かあっただろうか」
元慰安婦の女性らの言葉を無批判に垂れ流すことを「良心的」な報道だと疑わなかったマスコミや、必要以上に彼女たちに寄り添おうとするあまり、証拠資料も日本側証言もないまま慰安婦募集の強制性を認めた河野談話のあり方こそが、慰安婦問題の原点である。
河野氏ら「同情することにおいて至福を覚えるような、あわれみ深い者たち」(ニーチェ)こそが、慰安婦問題をいたずらに悲劇化し、複雑化させて拡大し、その解決を遠ざけてきた。
安倍首相をはじめ現在の政府は今、むしろ河野氏らの後始末に悩み、追われているのである。そこに気づくべきだろう。