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●『別丁 石川真澄 という人がいた』読了(3/3)

2008年11月13日 07時53分45秒 | Weblog
【筑紫哲也編集、『別丁 石川真澄 という人がいた』】
黒川さんは「・・・一九五七年、朝日新聞社に一緒に入った。この年・・・足切りの常識テストがなく、例年より変わり種が多いといううわさだった。・・・二年後・・・も常識テストなしだったが、本多勝一とか筑紫哲也とか変わり過ぎが入ってきたので、以後常識テストなしはやめになったとか聞いた」(p.36)

ある時、誘い出し役の辻元さんとともに、石川さんは、筑紫さんに都知事選に出るように熱心に口説いたそう。筑紫さんがそれを受けていたら、あんな酷い状態にはならなかったかも。

本多さんによる最後の電話インタビューでは、「やはり一番問題なのは「表現の自由」」とし、『週刊文春』によるある政治家の娘の離婚問題掲載記事販売差し止めの件について。「あのとき僕はつくづく思ったんだけど、みんな表現の自由を問題にし、応援したくもないクソッタレ文春を弁護しなけりゃならないことにウンザリしながらやってました。それ自体はまあ正しいとしても、その副作用として「表現の自由すなわちメディアの自由」と強調されすぎた。・・・自分の気持ちを個人として素直に表現できる自由、そのことの大事さ。しかしあの事件は、メディアの自由、自分たちの商売道具を大事にするために言ってるんだと、一般の人たちに思われたでしょ。・・・「メディアの自由」と思われたらメディア側の負け(p.66)。本多さんが石川さんに最後にお会いしたのは疋田桂一郎さん (3) を偲ぶ会だったそう。「とりわけ日本に、惜しい政治記者を失った。・・・石川氏の連載「現代史ウォッチング」(『朝日新聞』一九九三年秋) を再読してみると、現在の日本をことごとく予見している」(p.67)
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