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●東京電力原発人災、大熊町双葉病院の患者遺族が東電を提訴

2013年03月02日 02時30分27秒 | Weblog


asahi.comの記事(http://www.asahi.com/national/update/0222/TKY201302210508.htmlhttp://apital.asahi.com/article/story/2013022200005.html?ref=comtop_btm)

 津波と地震による自然災害だとでも? 「原発事故によって亡くなった人はいない」「放射能で亡くなった人は1人もいない」とでも??

   『●なんだ、結局、やらせ「将来原発比率意見聴取会」じゃないのか? まさに茶番劇
   『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」

 「東京電力福島第一原発に近い双葉病院(福島県大熊町)の入院患者が原発事故後、取り残されて避難が遅れ、多くが死亡」とは・・・・・・痛ましい。原発再稼働・原発建設再開・原発輸出できる神経を疑う。それを許せる政党への投票者・支持者の神経・「品格」・「資質」も。色んな争点があるのは分かる、でも許してはいけない、譲れない争点であったはずだ。

   『●田中優子さん「誰の名前を書くのか、その人の品格が問われている」
   『●映画『放射線を浴びた『X年後』』: 
         「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」

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http://www.asahi.com/national/update/0222/TKY201302210508.html

2013年2月22日8時2分
双葉病院の患者遺族、東電を提訴へ 原発事故で過酷避難

 【藤原慎一、大月規義】東京電力福島第一原発に近い双葉病院(福島県大熊町)の入院患者が原発事故後、取り残されて避難が遅れ、多くが死亡した問題で、亡くなった患者のうち7人の遺族が東電に対し、患者1人あたり3千万円の損害賠償を求める訴訟を近く東京地裁に起こす。

 政府の事故調査・検証委員会は昨年7月の最終報告で、避難の遅れについて、県や自衛隊、警察などの連携不足が原因と指摘。一方、病院の対応については、鈴木市郎院長が患者の救出に立ち会ったことなどから、問題視していない。

 遺族側は「すべては事故に起因している。責任の所在を明確にし、裁判の長期化を避けるため」として、訴える相手を東電に絞る。

・・・・・・。
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http://apital.asahi.com/article/story/2013022200005.html?ref=comtop_btm

東電の責任、白日の下に じいちゃんなぜ…事故なければ
2013年2月22日

【大月規義】 東京電力福島第一原発の事故から間もなく2年。避難、救出が遅れ、多数の入院患者の死亡につながった双葉病院(福島県大熊町)の患者の遺族が東電を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こす。賠償制度の枠のなかで東電に請求する方法もあるが、遺族は訴訟の道を選ぶことにした。「裁判にしないと東電の責任がうやむやにされる」との思いからだ。

 原発から約8キロ。安倍ノリ子さん(71)と夫の正義さん(76)は同県浪江町の自宅を津波で流され、同県相馬市に避難している。避難先の家の居間の仏壇には、99歳で亡くなった正義さんの父、正さんの遺影が飾られている。
 正さんは2004年、双葉病院系列の老健施設に入所したあと、脳梗塞(こうそく)や肺炎を患い、同病院へ入退院を繰り返していた。3歳で父を亡くしているノリ子さんは結婚後、正さんを実の父のように慕ってきた。ほぼ毎日、正さんの顔を見に病院に通っていた。
 震災の前日も訪れた。正さんは耳が遠いので、いつも大きめの声で話しかける。「じいちゃん、変わりはない? 11月には100歳のお祝いをしようね」。正さんが答えた。「大丈夫だ。120まで生きるんだから」。それが、交わした最後の会話となった。
 震災の日、ノリ子さんは津波と放射能から逃げながら、病院に何度も電話した。しかし、通じない。数日後、双葉病院の患者が搬送先の体育館などで大勢死亡しているとのニュースを見た。不安にかられた。
 3月20日。義父と10日ぶりに再会した。いわき市の体育館に敷かれたブルーシートの上に並んだ棺の中にいた。

・・・・・・。
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