『創』(2009年8月号)、8月に読了。
佐藤秀峰氏インタビュー。
浅野健一教授による「「足利事件」冤罪の責任はマスコミも問われるべきだ」(pp.44-53)。「マスコミは、被疑者が警察に逮捕されると「ペンを持ったおまわりさん」、判決が出ると「ペンを持った裁判官」、無罪が確定すると「ペンを持った弁護団長」になる」。富山・氷見の冤罪被害者、柳原浩さん。
佐高信さん「筆刀両断!/憲法を変えて重武装なる妄言 宮台真司」(pp.74-75)。「・・・佐橋滋は「パブリックマインドに溢れ」、最後まで非武装中立を主張しつづけた。城山三郎の『官僚たちの夏』(新潮文庫)の主人公のモデルである佐橋は、そのため、多くの財界人から敬遠されたのである。それでもその旗を降ろさなかった。佐橋こそ、宮台が見当違いに持ちあげているゲバラのように「不合理への跳躍」を試みた人間ではなかったか。宮台が肯定的に取り上げている石原莞爾は、戦後、平和憲法を絶賛したのだが、宮台はそんなことも知らずに石原に言及したのだろう。無知は恐い。いや、オメデタイ。/「左かかった党派の人々」に嫌悪感を隠さない点では同じでも、辺見庸は憲法改変に待ったをかける。ひ弱な宮台とはそこが決定的に違うのである」。
森達也さん「極私的メディア論/第45回 審査員と被写体 その1」(pp.84-87)。「・・・でも確実に劣化は進行する。・・・/1970年前後、・・・テレビ・ドキュメンタリーはとても刺激的だった。ドグマとしての公正中立不偏不党など誰も信じない。悪辣で主観的で自由奔放で、だからこそ豊かで真摯だった。・・・劣化はゆっくりと進行した。今ではもう、夕食のシーンなら食卓の上がモザイクだらけとなることは当たり前。外国人のコメントなら、翻訳テロップではなくてボイス・オーバーも当たり前。映像や音声に対するこだわりはほとんど消えた。」
「対談 北尾トロ[フリーター]×阿曽山大噴火[大川興業] 裁判員制度本格スタートで裁判はどうなる!?」(pp.92-99)。「阿曽山 ・・・模擬裁判では・・・結果がバラバラだったんですよ。/北尾 ・・・最初に同じ事件でも結果が分かれたということで、裁判所が結果をオープンすることを躊躇したのかもね。でも模擬裁判最大の問題は死刑か無期か、という事例を一度も取り扱わなかったことですね」。
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