黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

猫たちの絨毯

2012年05月10日 11時36分54秒 | ファンタジー

 冬の季節になると、外猫たちが心配で、彼らの様子にいつも視線を巡らせる。猫たちはあれだけの雪山のどこに安眠できる住処を持っているのだろうか、ヒトなら一晩すら生きながらえない厳しい条件下、真冬をなん度も乗り越え、猫生をまっとうする彼らの力強い生命力には、崇高ささえ感じる。とくに、大雪の中でも、母猫に甘えながら、雪まみれになってはね回る子猫を見るとうれしくてたまらない。
 この数年、駅裏の家の前庭には、金茶色の猫の姿がばったり見当たらなくなり、全身濃いグレーの中に、ちょっとだけ明るい茶の混じった猫ばかりになった。数が少なかった金茶色は突然変異だったのか。黒っぽい彼らは、すぐ傍らを通っても、金茶猫と違って、こちらに見向きすることもない。当然、頑なに無口だ。
 その家の前庭には、この土地特有の大きな灯油タンクがどんと据えられている。その真下に、この春も雪溶けが進むにつれて、埋もれて見えなかった絨毯がお目見えした。その絨毯は、けっこう大きめの、成猫で七、八匹くらい座れそうなものだ。猫が多く集まる年だと、絨毯の上は毎朝、乗客猫でいっぱいになるのだが、今年はまだ二匹しか見ていない。少ないときはほんとうに寂しい気持ちがする。それに子猫がいない。ということは、去年の後半から今年にかけて、猫の出産がなかったのか。あるいは生まれたものの、いつもより寒かったこの冬を乗り切れなかったのだろうか。きっと後者の見方が正しいのだと思う。今年は成猫でさえ少ないのだから。
 その絨毯は家の中に敷かれていたのだろう、よく目にする洋風のもので、真ん中辺は無地、縁の方に幾何学的な模様があって、真っ白な雪に洗われたようにきれいなクリーム色なのだ。今朝、絨毯の真ん中に、外猫に比べ一回り大きい、白黒のぶちの家猫が一匹、紐につながれて座り込んでいた。二匹の痩せた外猫は絨毯から降りて、家猫の前と後ろを見張るような格好で、薄汚れた去年の雑草の上にじっと蹲っていた。
 外に出された家猫の首から伸びる紐は、決まって灯油タンクの鉄の脚に括りつけられていた。きっと、この絨毯は家猫を汚さないために敷かれているのだ。外猫はそのことを知ってか知らずか、家猫がそこに座るとき、絨毯の上にはいない。彼らが金茶色の猫のようにおしゃべりだったら、いろいろ不満を述べたかもしれないと思った。(2012.5.10)
 
 

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