帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (八十五) 俊恵法師 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-28 19:32:21 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り、「言の心」を心得て、且つ歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、
「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。ものに「包む」ように表現されて有り、それは、俊成の言う通り、まさに「煩悩」であった。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (八十五) 俊恵法師


  (八十五) 
夜もすがらもの思ふころは明けやらで ねやのひまさへつれなかりけり

(夜もすがら・眠れず、恋しく思うころは、明けてくれないで 寝屋の隙間さえ、暗く・無情だったことよ……夜もすがら・眠らず、もの思うころは、果ててくれないで、根やの秘間、冴え、冷ややかなかりだったなあ)

 

言の戯れと言の心

「夜もすがら…夜通し…一晩中」「もの思ふ…ひとを恋しく思う…そのことで悩む…言い難いことを思う」「明けやらで…(夜が)明けきらないで…(もの思い)し尽くせないで」「ねや…寝や…寝部屋…根や」「ね…子…根…おとこ」「ひま…隙間…暇…秘間…おんな」「ま…魔…間…おんな」「さへ…までも…添加の意を表す…さえ…冴え…冷たい…冷ややか」「つれなかり…つれなき…反応の無い…冷淡な…無情な…連れもて逝かない」「かり…(つれなく)あり…狩り…猟…獲る…娶る…まぐあう」「けり…詠嘆の意を表す」。

 

歌の清げな姿は、あの人が恋しくて眠れない夜の長くわびしきありさま。

心におかしきところは、夜もすがら、根とかが、つとめても、果てきれない秘間のつれないありさま。

 

俊恵法師、父は『俊頼髄脳』を著した源俊頼、祖父は源経信、ともに「新古今和歌集」に多数の歌が入集する。俊恵は鴨長明の歌の師だったようで、長明の『無名抄』に登場する。「俊恵歌躰定事」によると、次のように教えられたという。



 俊恵いはく「世の常のよき歌は堅文の織物のごとし。よく艶優れぬる歌は浮文の織物を見るがごとし。空に景気の浮かべる也」。「艶の優れた歌」を二首示された。「ほのぼのと明石の浦の朝霧に嶋隠れゆく船をしぞ思ふ」「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして」。

 

古今和歌集にある人麻呂と業平の歌である。業平の歌を聞きましょう。
 作歌事情は伊勢物語によれば、或る藤原氏の娘に恋をしたが、その人は東宮妃候補となって、五条の后の里の家で入内の準備を始めた、知ってか知らずか、業平は逢いに通った。にわかに「来る勿れ」と伝言を遺して娘の姿は消えた。苦しく辛いがどうしょうもない。一年経って、去年のあの時が急に恋しくなって、梅の花盛りに、あの五条の家に忍んで行って、泣きながら月の傾くまで、板敷きに臥せって詠んだ歌、

 月やあらぬ春は昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして

(あの時の・月ではないなあ、春は以前の春の気配ではない、すべて変わってしまった・わが身ひとつは、元の身分のままで……つき人おとこよ、在るのか春の情、張るものは武樫のはるではない、わが身の一つのものは、元の身のままで)


 「月…春の夜の月…月人壮子…おとこ」「春…季節の春…青春…春情…張る」「むかし…今は昔…以前…一年前…武樫…強く堅い」。

 

俊恵法師の教えは、「世の普通の良き歌と違って、艶情に優れた歌と言うのは、浮き紋様の織物を見るようである。見る人の空想に、景色や人の気持ちが浮かぶのである」。ほぼ、このように聴くことが出来る。