帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (203)もみぢ葉の散りてつもれるわが宿に

2017-04-17 19:14:01 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 203

 

(題しらず)             (よみ人しらず)

もみぢ葉の散りてつもれるわが宿に 誰を松虫こゝら鳴くらむ 
                             
(詠み人知らず、女の詠んだ歌として聞く・男歌を二首挟んで再び女歌が三首続く)

(秋の・もみじ葉が散って積もっているわが家に、誰を待つ虫、これほど盛んに鳴くのでしょうか・君よ。……厭きの・も見じ端が散り果て、つもる、わがや門に、誰を待つ、女の身の虫が、これほど甚だしく、泣くのでしょうか・君の貴身)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「もみぢ…紅葉…も見じ…妹見るつもりなし…藻見ないでしょう」「も…妹(いも)…藻…女」「見…覯…媾…まぐあい」「じ…打消しの意志を表す…打消しの推量を表す」「葉…端…身の端…おとこ」「ちりて…散って…散ってしまい」「て…つ…完了を表す」「宿…家…言の心は女…やと…屋門・夜門…おんな」「松…待つ…言の心は女」「虫…鳴く虫の言の心は女」「ここら…沢山…さかん…ななはだしい」「らむ…だろう…推量する意を表す…どうしてだろう…原因理由などを推量する意を表す」。

 

紅葉散り果て積るわが家に、誰を待つ虫、これほど盛んに鳴くのでしょうか、君を待っている。――歌の清げな姿。

飽き色の果て、も見じ端が、降り散らして、積もるわがや門に、誰を待つ身の虫、これほども泣くのでしょうか・貴身を待っているのよ。――心におかしきところ。

 

秋の候、通い来る夫君の訪れを待つ女を「清げな姿」にして、貴身待つおんなの身の虫の嘆きを表出した歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)